前略 八戒様
──生まれてくれて、ありがとう
──前略 八戒様──
せっかくシングルが4つ空いていたのに、4人で1部屋しか取らなかったのは、三蔵の鶴の一声
「ちょっと遣いすぎたな。三仏神のカード、残金があんまりねーぞ」
が飛び出したからだ。
いつもは文句たれまくりの悟空と悟浄も、さすがに眉間に皺をいつもより多めに寄せた三蔵の顔を見れば、反論する勇気は失せたらしい。「はぁーい」と綺麗に声を揃え、手を取り合って頷いていた。
そのくせ夕食に降りた食堂では、「宿代節約してんだからこのくらいはいいだろう」なんて少し豪華なメニューを選んで、あまつさえやはり少し値の張る酒まで買って、部屋に引き上げたのがついさっき。
ぱたん、とドアを閉めた瞬間、悟浄の口元に浮かんだ笑みに、ふと違和感を覚えたけれど、『ちょっとイイ酒』が嬉しいのかな、と、そんなことを八戒は考えて。
グラスを取りに行こうとして、
「はーっかい♪」
悟空の声に呼び止められた。
「はい?」
足を止めた途端に落ちる、部屋の灯り。
「えっ?」
敵が来たのかと驚いて、慌てて振り向くとすぐにまた明るくなった。
明るさに一瞬眼が眩んで目を閉じて、再び開けた視界に、飛び込んでくるのはテーブルを囲んで立つ仲間達。
満面の笑みを浮かべた悟空。ニヤニヤ笑いの悟浄。そして相変わらず口はへの字に結んだまま、けれど雰囲気はずっと穏やかな三蔵。
「…………悟空、悟浄、三蔵?」
──どうしたんです一体?
問いかけようと首を傾げた八戒の、けれど言葉より先に、悟浄の指がトントン、とテーブルを叩く音が響いて。
「……え?」
導かれるように視線を落とせば、そこには綺麗な薄緑の紙で包まれた、ちいさな箱が、ひとつ。
おいでおいで、と悟空に手招きされて、グラスを後回しにして、3人のところに戻って。
「……なんです?」
訊ねた八戒の耳に、「やっぱりな」と溜息混じりの悟浄の声が響いて、その余韻も消えないうちに、やはり溜息混じりに三蔵が言った。
「八戒。今日は一体何日だ?」
「何日って……9月……あ」
──21日。
言われるまで気付かなかった──忘れていた、八戒の、誕生日。
「誕生日おめでとー、八戒!」
「これ、オレらから」
「そういうことだ」
さっさと開けろ、とばかりに3人の手で、ずい、と薄緑の箱が押し出される。
「…………え?」
言葉を忘れたように「え?」だけを繰り返し、半ば呆然としながら、それでもゆっくり丁寧に包装を解き、箱を開けて。
「これ……」
中身を目にして八戒は、またしても言葉を失ってしまった。
箱の中に入っていたのは
──見慣れた片眼鏡と、それを真ん中にして、守るように置かれた、薄緑の眼鏡ケースと同色の眼鏡拭き、その隣にはレンズクリーナー。
知らず八戒は自分の右目に手をやって、そこに確かに片眼鏡があるのを確認する。
自分のは、ある。するとやはりこれは。
八戒が今考えていることなど手に取るように判るのだろう、悟浄が言う。
「予備だよ予備。ホラお前の眼鏡、よくヒビ入ったりするだろー? だーから。」
すぐ街に入って修理出来ればいいけど、そうもいかないコトの方が多いしな。と。言って笑う悟浄に、悟空も横からにこにこ笑って
「そうそうっ! だから八戒の誕生日のプレゼントにしようって。」
そうして最後に三蔵が
「以前お前がレンズを入れ直してもらった街の眼鏡屋で、同じのを作らせて、ここの眼鏡屋に先回りで送らせた」
言いながら煙草に火を付けて、ひとしきり紫煙を燻らせてから、更に付け足すようにひとこと。
「ちなみに、コレには三仏神のカードは使ってない」
つまりそれは、全員が自費を持ち寄ったということで……ここのところ悟空が三蔵や悟浄の遣いをしたり、宿の手伝いをしたりしていたのも、きっとそのためなのだろう。
特注品で決して安くはないこの片眼鏡は、なくても左目でものは見えるが、なければ左右の大幅な視力の違いが頭痛や吐き気を引き起こす。
過去、レンズにヒビを入れて使えなくなる度に、密かに自分が苦労していたのを──隠していたつもりのそれを、彼等はやはり気付いていたのだろう。
だからこその、予備。
「……ありがとう、ございます」
彼等の想いの結晶を、抱きしめてそっと目を閉じ、八戒が呟いた時。
「おい悟空」
「わーってるって。ちゃんと借りてきた!」
ゴトン。
なにやら重たい音がした。
「悟浄」
「はいはい、こっちもオッケーよん♪」
バサッ。
今度は重いんだか軽いんだか判らない音。
強いて言うならその音は……
ガサガサと何かを開ける音に、次いで、ザ、とどこか乱暴な音が響いて、八戒の思いは確信に変わる。
ゆっくりと目を開けて、ゆるゆると顔を上げて……
翡翠の瞳に映ったものは、白い花瓶に生けられた色とりどりの花たちだった。
男に贈るものでは普通ない。
だからこれは八戒のためのものではない。
これは……
「これは、花喃に、だ」
当然のように言う三蔵。
「やっぱ女の子には花でしょー」
「俺はケーキがいいけどなー」
隣でそんなことを言う、悟浄と悟空はいつもよりずっと穏やかに笑って。
その、笑顔に、泣きたくなった。
八戒の誕生日は同時に花喃の誕生日でもある……喪った恋人で、双子の姉だったひとの。
自分は花喃を忘れていない。忘れられない──忘れない。
花喃を喪ってひとり誕生日を迎えることに、今でも罪悪感を覚える自分がいる。
それでもいい、そのままでいい、と、これが彼等の意志表示だ。
そんな仲間がいてくれることが嬉しくて。泣きたくなって。だから香りを楽しむフリをして、花束に顔をうずめていたのに、
「あー、三蔵が八戒泣かしたー!」
「あーあ、ったーくこのボーズはよぉ」
「うるせぇっ、それを言うならテメーらも同罪だろうが!」
彼等にはやっぱりバレていた。
──隠す必要なんて、なかったんですよねぇ。隠したって無駄なんですから、この人たちには。
彼等の前では無理をしなくてもいいんだと、そう思ったら自然と涙が笑みに変わった。
「ありがとうございます。いい香りですね」
顔を上げると3人は、彼等なりの笑みをそれぞれの顔に浮かべて。
「さーて、酒盛りやるかー! 悟空、グラス取ってこい!」
「うんっ!」
「氷も忘れんじゃねぇぞ、悟空」
「わーってるよ三蔵っ。あ、八戒!」
「なんです?」
「その眼鏡ケースな、ゾウが踏んでも壊れねぇって、店の親父さんが言ってた!」
「あっはは、それじゃあ安心ですね」
横をすり抜けざまの悟空の言葉に、今度は本気で笑ってしまった。
今日、彼等が4人部屋を取った理由が、今、判った。
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前略 花喃様
あなたの愛した人は、今、俺達と一緒にいます。
妖怪になって、名前を変えて……けれどその本質は少しも変わらずに。
あなたの愛した猪悟能は、あなたの愛したひとのまま、変わることなく、ただその種族と名を変えて、今、俺達と一緒にいます。
あなたを今でも忘れずに。あなたを今でも想い続けて。
──あなたがいなければ八戒はいない。
八戒の中に、あなたはまだちゃんと生きている。
あなたを忘れた八戒は……きっとそれは八戒じゃないから。
俺達にとっては、あなたを愛した猪悟能も、全部含めた八戒が、とてもとても大切だから。
だから、あなたにも、俺達は言いたい。
今日、誕生日を迎えたあなたに。
前略 花喃様
──生まれてくれて、ありがとう。
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