綺麗に晴れ渡った空の下、賑やかな雑踏の中を、右腕に大きな紙袋を抱えて、八戒は急ぎ足で歩いていた。
悟浄と悟空と三蔵は、今夜のための買い出しをするのだと、商店街に入った時から別行動を取っている。
今夜と明日と、宿は二泊で取っているから、なにも今日、八戒が買い出しに出る必要はないのだけれど、つい下調べをしたくなるのは多分持って生まれた性格だ。
どうせならゆっくり見て回りたいと言った八戒に、色々と吟味したいのだろう悟浄達も同意して、結果、さほど大きくはない商店街ながら、待ち合わせは1時間半後に商店街入り口の広場で、ということになった。
その時間を決めた時には、正直少し持て余すかも、と八戒は思ったのだが、そこを押し切ったのは悟浄で。
『いいや絶対お前もそんくらいかかる。』
自信満々に断言されて、いささかムッとしたのだけれど、実際こうして急ぐ羽目になっているのは、自分の読みが甘いのか、悟浄が自分の性格をしっかり把握しているのか、いずれにせよ少々情けなくまた恥ずかしくも思う八戒だ。
「よいしょ」
早足のせいでバランスの崩れかけた紙袋を抱えなおすと、軽いわりにかさ張る荷物がガサリと大きな音を立てた。
釣られるように、本日限りの特売でつい買ってしまった品の数々を、心の中で指折り数えながら反芻する。
お一人様一点限りのインスタントラーメンのパック。ストックの切れていた懐中電灯用の電池に、残り少なくなっている悟浄と三蔵の煙草と、同様にそろそろ切れそうな彼等のライターのオイル。ついでに立ち寄った本屋で、気に入りのシリーズの新刊を買ったのは、まあ自分へのプレゼントということにしようか、などと。
考えながらスタスタと歩いて、目的の広場が見える頃には、もう待ち合わせの刻限がすぐそこまで迫っていた。
ぐるりと見渡せば、探すまでもなく目に飛び込む色がある。
(もう来てる)
思った八戒が歩調を速めるのと、その人がこちらを向いて笑いながら手をあげるのが同時だった。
瞬間。
──早く。
何故だか知らないが、そう思った。
自然と足が速くなる。
何かに急かされるように駆けて、悟浄の前に辿り着いた時には、すっかり息が弾んでいた。
「冷やしとかないとまずいモンがあるから、三蔵と悟空は先に宿へ帰ったぜ。……って、なんでそんな慌ててンの、お前?」
笑いを含んだ声で不思議そうに悟浄に問われても、八戒自身にも理由が判らない。
ただ。
「さあ? 何ででしょう、僕にもよく判らないんですけど、なんだか急がなきゃって思って……」
「ふぅん?」
「まあいいじゃないですか……お待たせしました。」
ただ、そう告げて笑った瞬間に、やはりどうしてだか判らないけれど、泣きたくなるほどの強さで、
──間に合った
と、思った。
その時はそのまま流したその出来事を、さもどうでも良い風を装いながら悟浄が訊ねてきたのは、八戒の誕生パーティーと称した宴会でひとしきり騒いで、三蔵と悟空が彼等の部屋へ引き上げた後のことだった。
「なあ、八戒?」
「はい?」
「昼間、だけど。なんでお前あんな急いで、あんな……顔、してたんだ?」
つとめて何気なく軽く言いながら、けれど声にわずかな躊躇がある。そんな風に悟浄に言わせる、自分はどんな顔をしていたのだろう。
「あんな顔、とは?」
そちらの方が気になって問うと、悟浄はやはり躊躇いながら、
「なんてンだろ、その……怒ンなよ? 笑ってるのに、泣いてるみてーつか、そんなよーな、顔」
その答えを聞いた八戒は、やられた、と思った。
嬉しいのに切ない。ほっとしたのに苦しい。笑いたいのに涙が出そうな。
それはあの時の自分の感情そのままの。
けれど自分にもその理由は判らないから、八戒は悟浄にこう答えるしかなかった。
「判らないんですよ、僕にも。なんであんなに気が急いたのか、なんで……泣きそうになったのか。判らないんです、僕にも。ただ……」
「ただ?」
「ええ、ただ、あの時あなたを見つけて駆け寄って、どうしてだか判らないけど、間に合った、って思ったんです」
ただ待ち合わせに遅れなかった、のではなく、もっと大事な何かに間に合ったような、そんな気が急にしたのだ、と。
自分にもよく判らないものを、判らないながら、音にする。
悟浄に上手く伝わるかどうか判らない、伝わらなくても仕方ない、そんな風に思いながら、告げる。
むしろ伝わらないのが当然だと、そうも思いながら、言葉を選んで。
するとどうだろう。
八戒の答えを聞いた悟浄が、どこか納得したような顔になって、こんな不思議なことを言ったのだ。
「そっか。なるほどな。なんかよく判ンねぇけど、じゃあアレもそのせいかも」
「は?」
「いや、お前が走って来て、お待たせしましたって言った時、さ」
「はい」
「あの時、俺、なんでか知らないけど、ああ、来たなって、すげぇ嬉しくなったんだよ」
「悟浄、それって……」
その『来た』は、単に待ち合わせ場所に時間通りに来たとかそういうことではなく、多分なにかもっと別な意味を持っていそうで。
悟浄の深紅の瞳を見詰めながら囁くと、悟浄も小さく頷いて、
「なんかよく判ンねーけど、多分、おまえの『間に合った』と俺の『来た』って、根っこはおんなじなんだと思うぜ?」
と、言った。
「そう……なんでしょう、ね、きっと」
何に間に合ってどこへ来たのか、自分達には判らないけれど。
それはきっと今の自分達に判らないだけで、意味があるのだと思うから。
「そうそう。だから、なんだか知らないけど良かったってコトにしとこーぜ、八戒」
だから笑って悟浄がそう言うのに、八戒も
「そうですね」
と頷いた。
「てワケで、何かに間に合って、どっかへ来て、なんか判らないけど『良かった』だから、とりあえず理由の判ってる『良いこと』にかこつけて、ビールで乾杯しませんか八戒さん?」
悟浄が笑う。
「おまかせしますよ」
釣られて八戒も笑う。
笑いながら冷蔵庫からビールを取り出し、カツン、と缶を打ち合わせて
「んじゃ、誕生日おめでと、八戒」
「ありがとうございます、悟浄」
そうして、何かに間に合ったらしい自分達に、なんだか良く判らないけれど、おめでとうを。
あの時自分達の心を占めたどこか切ない想いに──それでも嬉しくてほっとしたあの気持ちに、なんだか知らないけれど、良かった、と。
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