── 花をあなたに ──

 

 

 

 あれはまだ9月に入ったばかりの頃だったはずだ。
 カレンダーの絵は秋らしく変わっても気温は連日真夏日で、ジープに留守を預けて──竜の生態になどまったく詳しくない自分達だが、それでもこの暑さは良くはないだろうと判断したからだ──買い物に借り出された悟浄は、暑さのせいで消費の早い缶ビールを1箱右腕に抱え、左手には氷をたっぷり入れてもらった肉入りの袋を下げていた。
 八戒は八戒で両腕に当初買う予定だった野菜を山ほど持って、さらに笑顔でタラした店主達からこれもこれもとおまけを渡され、喜びながら困っていた。
 日盛りを外して出て来たといっても、まだ陽射しはキツいし気温も高い。
 だから少しでも早く帰ろうと、ふたり、歩調を早めていた。
 そんな時だったから、余計に印象に残ったのだ。
 ついでに場所も場所だった。
 八戒が花屋で足を止めたのだ。
 普段から店先を飾る花々に目を向けては
『そんな季節なんですね』
 と微笑むことの多い八戒だけれど、足を止めて花に見入ることはまずない。
 それがわざわざ立ち止まり、近付いて覗き込んだりしたものだから、悟浄の目にはやけに珍しく映ったのだ。
 だから訊いた。
「ナニ。なんか珍しいモンでもある?」
「え? ああ、珍しいといえば珍しいですかね」
「なに?」
「これです」
「?」
 首をかしげた悟浄である。
 八戒が指差す先には、小ぶりの球根があるばかりだ。
 1ネットに2、30もあっただろうか。ちょっとしたサイズの観葉植物より、幾分高い値がついていた。
 ますますもって判らない。
「それ、ナニ?」
 訊ねた悟浄に、八戒は笑って答えた。
「サフランだそうです」
「サフラン?」
「ええ。ほら、そこに書いてあるでしょ? サフランの球根って」
「……ああ」
 なるほど、確かに書いてある。
 が、そのサフランの球根のどこが『珍しいといえば珍しい』のか、悟浄にはまるで判らなかった。
 あからさまに首を傾げたわけではなかったが、八戒には悟浄の疑問が十分伝わっていたらしい。
 ふんわりとした笑みを浮かべたまま、八戒は楽しそうに言った。
「サフランというのは、クロッカスの仲間で、秋に薄紫の花を咲かせるんです。その花自体も可愛いんですけど、その雌しべがね、すごく香りが良くて高価なスパイスなんですよ」
「ふぅん?」
「あなたパエリア好きでしょう? あれ、サフランが高いからいつもはターメリックで代用してるんですけど、ホントはサフラン使うんです」
「……へぇ」
「スパイスは売ってるのをよくみかけますけど、花は見たことがないし、まして球根って、僕、初めて見るんですよねぇ」
「…………へぇ」
 紫。
 高価。
 香り高いもの。
 微妙な気分になるのは何故だろう。
「悟浄?」
「ん? いや、なんでもね」
 思わず自分自身に首を傾げそうになるのを押しとどめ、悟浄は顎で球根を指して問いかけた。
「買う?」
 見たことがなくて、欲しいのなら、せっかくだから今買えば良い。
 いろいろとマメな八戒だから、きっときちんと育てるだろう。
 けれど、八戒の答えは否だった。
「やめときます」
「なんで?」
「育て方判りませんし、それに、一度にこんなにたくさん買っても……ね」
 そんなものだろうか。
 八戒なら、育て方を知らなくても誰かに教わりそうに思う。そうでなくてもどこからか知識を仕入れてきそうなものだ。
 今度こそ首を傾げた悟浄だったが、八戒はもう花屋に背を向けて、すたすたと歩き始めている。
「ちょ、おい、八戒待てよ!」
 こんな大荷物を抱えてひとりでいるところなんぞ、顔なじみの姐さん達に見られた日には、後で何を言ってからかわれるか判らない。
 慌てて八戒を追い掛けながら、悟浄はそれでも、まるで気にしていない風でありながら、どこかできっぱりと無理矢理割り切ったようにも見える同居人の細い背中を、自分でもよく判らないもやもやとした思いで見詰めていたのだ。

 

 

 その時はそれきり忘れたその花の名を思い出したのは、八戒の誕生日を3日後に控えた9月18日のことだった。
 先に見付けたのと同じ花屋で、今度は1ネット5玉の小袋で、サフランの球根が売られていたのだ。
 悩んだのは一瞬だった。
 どうせ八戒は高価な誕生日プレゼントなど受け取らないし、欲しがらない。悟浄もそんなモノを八戒に渡そうとも思わない。
 逆に、普段から自分のためのものを欲することの少ない八戒に、こういうささやかなものこそ渡したいと思った。
 紫だの、高価だの、ひっかかるのはこの際無視だ。
 どのみち八戒のみならず自分にとっても、あの存在はある意味特別なのだから。
 そうして迎えた21日。
 日付けが変わった瞬間に、グラスビールで乾杯してから、悟浄は自分の部屋に一度引き上げ、八戒への“贈り物”を手に、リビングへと戻って来た。
 花屋のロゴが入っただけの、飾り気もない薄茶の紙袋を、ソファに腰を下ろしながら八戒に向けて差し出す。
 手渡された八戒は、
「悟浄?」
 案の定不思議そうな顔をした。
 自分のためのプレゼントとなど、はなから思っていない顔だ。
「誕生日のプレゼント」
 駄目押しのように悟浄が言うと、八戒は失礼にも面喰らったような表情になった。
「ほれ」
「あ……ありがとうございます。あの……開けて、いいですか?」
「どーぞ」
 かさかさと乾いた音を立てて、八戒が薄茶の袋を丁寧に開ける。
 そうして取り出したものを見て、八戒はきょとんと目を見開いた。
 取っ手のついた、底の浅い、小さな楕円の藤の籠。その中にそっと入れられた、緑色のネットに入った、艶のある淡い赤茶の球根5つ。
「悟浄これ……ひょっとして」
「ん? んー。サフラン。5個セットがあったからな、買ってきてミマシタ」
「どうして……」
「どーしてって……見たことねーんだろ、花? だから。俺もキョーミあるし。育て方難しいのかと思ったら、なんか、その籠に球根入れとけば勝手に芽が出て花が咲くらしーぜ。そんでもってスパイスも取れるってよ」
 薄紫の花を咲かせ、高価なスパイスにもなるというそれ。
 その花を誰かに重ねて、微妙な思いに駆られるのは、勝手な自分の心の動きで、八戒には無関係だ。
 そんな心の動き以上に、たとえどれほどささやかでも、八戒が自ら欲したものを、手渡したいと思った。
 だって自分はもらってばかりで。
 おはようにおはようを返される他愛無いやりとりや、何気ない会話の楽しさや、あたたかな食事や整った家の心地よさ、叱られる気まずさ気恥ずかしさ、こき使われる面倒くささとそれ以上の嬉しさを、悟浄にくれるのは八戒だから。
 他人から見ればきっとささいな、けれど大事なものたちを、八戒が悟浄にくれるから。
 だから、ささやかなものでも、わずかでも、悟浄は八戒に手渡したいと願った。
「気に入らない?」
 テーブルに片肘をついて顎を乗せ、わざと軽く問うと、八戒が微笑う。
「いいえ、まさか。ありがとうございます」
 いそいそと球根をネットから取り出し、小さな藤籠に並べて行く。
「どこへ置きましょうか。日当たり良い方がいいですよね。ああ、ジープに遊ばないように言わなくちゃ」
 嬉しそうなその様子に、ふと、いたずら心とも言えないほどわずかに悟浄の心が動いた。
「紫の花、見なきゃな。たっかいスパイスも取れるっていうし」
 す、と八戒の動きが止まる。
 びくり、釣られて悟浄の動きも止まった。
 余計な一言だったと悟浄が思ったその時だ。
 微笑いながら八戒が言った。
「悟浄、知ってます? サフランの花は紫だけど、スパイスになる雌しべの色は深い紅なんですよ。それが、あなたの触角みたいに三つ又に別れて伸びてるんです」
「ちょっと待て俺のは二まただ、ついでにコレは触角じゃねえ!」
 脊髄反射で返してしまった。
「おや。違うんですか?」
「ちがいます!」
「おや。その触角で僕を見付けて拾ってくれたのかと思ってましたが」
「だから触角じゃねーっつの!」
「なんだ、違うんですか。僕を見付けてくれた触角だから、大事にしなきゃと思ってましたよ。綺麗な色ですしね」
「……だから」
 くすくすくすくす八戒が笑う。
 なんだか力が抜けてしまった。
「ありがとうございます、悟浄。大事に育てます」
「んー」
「花が咲いたら傷めないように大事に雌しべを収穫します」
「んー」
「それで、ちゃんと乾燥させて……そしたら、そのサフランを使って、ちゃんとしたパエリア、作ります」
「うん。よろしく」
「はい。ありがとうございます、悟浄」
 嬉しそうに八戒が微笑う。
 その笑顔が嬉しいと思う。
「誕生日オメデト、八戒」
「はい」
 チリン。
 グラスを合わせて誕生日を祝う。
 ふと、悟浄は考えた。

 

 プレゼントにサフランの球根を贈った自分だけれど、逆に花をもらった気分になるのは何故だろう?

 

 

 

 
と、いうわけで。今年も
「Happy Birthday、八戒さん!」

いい加減そろそろネタ切れで書けないんじゃないか自分、とか思っていましたが、
結局なにかしら書きたくなってしまうのは、ここまで来ると最早『業』かもしれません(苦笑)。
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