カーテンが風に揺れている。
薄いレースのカーテンは午後の光を遮らない。
風に揺れる木々の葉越し、レースの編み目越しに差し込む光は、緩やかに揺れて床に光の模様を描く。
ゆったりと踊るそれは、どういうワケか3拍子で。
まるでワルツを踊っているようだ、と、リビングのソファに寝そべり光のダンスを眺めながら八戒は思った。
時間潰しに手に取った借り物の推理小説は、とうに読み終えてローテーブルに乗せてしまった。
掃除も洗濯も、料理ですら、今日の八戒は禁じられてしまっている。
そのくせ夕方4時までは来るな家にいろ、などと外出禁止令まで出されて、退屈で退屈でしょうがなかったのだ。
そうして暇を持て余し、推理小説を読み終えソファに寝そべったところで、踊る光を床に見つけた。
ゆらり。ゆらり。ゆらゆら。
思いがけず目に入った光のワルツは、眺めていると穏やかで楽しいが、うっかりすると眠気を誘われてしまいそうだ。
時計に目をやれば、そろそろ4時。ここで眠るわけにはいかない。
──そろそろ起き上がって出かけようか。
思わないでもないのだが、もう少しこの気分を味わっていたかった。
この気分。
誰かが、今日、八戒のために場を整えて、八戒を、待っている。
そんな人がいるこの気分を。
もう少しだけ、堪能したい。
(我が儘、ですかね?)
誰が見ているわけでもないのに密やかに苦笑して、八戒はそんな己の心の動きを不思議に思った。
と、その時だ。
「八戒? ……寝てんのか?」
リビングの入り口から、遠慮がちに問いかける声が響いた。
「いいえ?」
答えると、声の主──悟浄は、途端ひそめていた足音をいつも通りのレベルに引き上げ、軽やかに歩み寄って、あっと言う間に八戒のすぐ目の前に立っていた。
「なーにやってんだよお前。そろそろ来る頃だと思ってたのに来ないから、迎えに行けって玉連達に店から叩き出されちまったぜ俺」
文句を言う口調も、今日はいつもより心なし軽い。
「ああ……すみません」
応えると、何かを感じ取ったらしい悟浄は、ぺたん、と床に座り込んでしまった。
「で?」
「え?」
「何してたんだよ」
「ああ、はい……見てました」
「何を?」
「光を」
「光?」
「ええ、そこの。なんだか踊ってるみたいだと思いませんか」
八戒の指差す先には揺れる光。
緩やかにたゆたうそれを見詰めて淡く微笑い、けれど悟浄はまた問うた。
「ああ……で? それだけじゃねーんだろ?」
──誤魔化せない。
こういう時に悟浄を誤魔化そうと思っても無駄だ。
また苦笑しながらそう思って、八戒はあっさり白旗を掲げた。
「不思議だな、と思ってたんですよ」
「不思議……? 何が」
「こんな気分で今日いられるのが」
正直に答えると、悟浄がふっと黙り込んだ。
「だってここに来て最初の誕生日って、僕、凄かったんでしょ?」
──自分はよく覚えていないけれど。
微笑みながら言う八戒から、悟浄がすっと目をそらす。
髪をがしがしと掻きながら、それでも何も言わないのは、悟浄の優しさだと知っていた。
肯定すれば八戒の負担になる。否定をすればウソになる。どちらも嫌な悟浄は、だからこうして黙り込むのだ。
よく覚えていない自分だけれど、それでも最初の年は凄かった。
この日が近付くに連れて、鏡を見るのが嫌になった。
挙げ句、当日になると、花喃がいないのにひとり時を重ねる自分が嫌で嫌で、自分の姿を映すものを──鏡と言わず窓と言わず、グラスや、湯を張ったバスタブ、洗面台まで、気が付けば軒並み破壊していて、雨でもないのに、と帰宅した悟浄を酷く驚かせた。
翌朝、どうやら無理に押し込めてもらったらしいベッドから起きだして、
『……誕生日だったんです、昨日』
と、本人以外には理由にもならなそうな理由を告げた八戒に、悟浄はただ
『……ああ。ナルホド』
と、言った。
どうしてそこで納得されたのかは後日判明するのだが、その時は、受け入れられると思っていなかったために、八戒自身が驚いた。
驚いて、感謝したのだ。この優しい存在に。
結局、次の年もその次も、誕生日が訪れる度に八戒は必ず、少なからずバランスを崩して、その度に悟浄や、悟空や三蔵やマスター達に、“自分”に戻る手助けをしてもらった。
そんな、自分がだ。
いつの間にか、本当にいつの間にか、ゆったりと、こんな穏やかな気分で誕生日を迎えられるようになっていた。
花喃を忘れるのではなく。悟能だった自分を葬るでもなく。ただ全てを包み込んで、それでも“自分自身”として、この日を迎えていられるように。
──全部、彼等がいてくれるからだ。
「悟浄?」
そっと呼び掛けると、悟浄が深紅の瞳を真直ぐ八戒に向けた。
何だ、と、視線だけで問いかけて来る。
その目に応えて
「ありがとうございます」
告げると悟浄はさも不思議そうな顔をした。
「何で? 何を? 何に?」
「全部。」
笑いながら返すと、悟浄はますます眉を顰める。
クスクスクスクス笑いながら八戒がソファから立ち上がると、悟浄は呆れたように肩を竦めた。
「行くか。でないと料理全部あいつらに食われちまうぞ」
──お前の誕生パーティーなのに。
自分の困惑も浮かぶ疑問も、とりあえず八戒が笑っているから良しとしてくれたのだろう、立ち上がって悟浄も笑う。
「はい。」
出かけるために窓を閉めると、光のワルツもそこで止まった。
少しだけ、残念だと、思った。
けれど。
「おーい、行くぞ?」
呼ばれて向ける視線の先には、深紅の鮮やかで大事な存在があって。
「はい」
誘われて出かける先には、やはり鮮やかで大事な友人達がいるのだ。
ハミングバードのマスターが、好意で店を貸し切りにしてくれて、今日は八戒の誕生パーティーが、あの店で開かれる。
カーテン越しの光のワルツなんて目じゃない、下手をすると本当にワルツを踊りだしかねない。
そんな友人達が八戒を待っている。
八戒の前に置かれるグラスは3つ。
八戒と、花喃と、悟能の分。
全てを知って受け入れてくれる存在と、全て知らないまでもあるがままでいさせてくれる存在たちは、こんな風にも八戒を大事にしてくれている。
窓を閉め、カーテンを閉めて、リビングを出ると、悟浄はもう外に出て八戒を待っていた。
ジープを呼んで先に飛ばせ、家に鍵をかけて歩き出せば、木々の葉の隙間から零れる午後の光が踊った。
(ああ、ホントにワルツみたいですね)
その光景を眺めながら、ゆったりとしたステップを踏むように穏やかに弾む己が心を、八戒は確かに感じていた。
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