あれは、自分達が出会ってから初めて迎えた悟空の誕生日だったろうか。
 テーブルに並んだごちそうやケーキを前にして嬉しそうに笑う悟空を見ながら、悟浄がいつもの軽口に紛れ込ませて、多分彼の本音だろう言葉を漏らしたのは。
『おー、喜んじゃって小猿ちゃん。誕生日ケーキが嬉しいんだろ、いいねぇお子ちゃまは』
 視線がかすめるようにたったひとりに集まって、同時に消える、音。
 次の瞬間悟空が頬を膨らませて言った。
『お子ちゃまって言うなエロ河童!』
『あぁ? お子ちゃまをお子ちゃまって言ってなぁ〜にが悪いんだよ?』
『んだとぉー!? そいじゃお前、ケーキ食うなよ! 俺のなんだからっ』
『んだとコラ、ここの家主は誰だと思ってやがる、ああ!?』
 放っておけば際限なく続きそうなそのじゃれあいを、三蔵のS&Wが止めて。
 そうしてその日は時と雰囲気に任せて流してしまったその言葉を、その意味を、けれど八戒が、悟空が、三蔵が、忘れることはなかった。
 だから──

 

 

 

──前略 沙悟浄様──

 

 

 

「じゃあ悟空、三蔵、お留守番よろしくお願いしますね」
 八戒の念押しに
「いってらっしゃい!」
 と笑って手を振る悟空の膝の上には、ジープがいる。
 紅葉のシーズンでほぼ満室だという、その街で一番大きな宿を諦めて、折良く空きのあった街外れのコテージを──その方が安上がりだったこともあって──借り切ったのが昨日の夕方。
 荷物を降ろして一息ついたところで、ジープの様子がおかしいのに八戒が気付いた。
 そういえばここのところ野宿続きで、結構な強行軍をしてもいた。それはひとえに街と街の間が開きすぎていたせいなのだけれど、休みナシの日々に、どうやら自分達だけでなくジープにも疲れが溜まっていたらしい。
 それなら、と、急遽休養日を設定した、今日がその『オフ日』なのだった。
 だが、旅を続けていないからといって、何もすることがないわけではない。
 食料その他必需品の補給は必要で、けれど疲れているジープは使えないから、八戒と悟浄が買い出し部隊となったのだ。
 もちろん、徒歩である。
 遠ざかる後ろ姿を、悟空はジープの背中を撫でながらしばらく窓から見つめていた。
 そうして、二人の背中が木立の向こうに消えた頃。
 それまで無言で新聞を読んでいた三蔵が、煙草を灰皿に押しつけて、訊いた。
「…………行ったか?」
「…………うん。」
「よし。5分で着替えろ」
「オッケー!」
 ザッ、とばかりに立ち上がって、きっちり5分後コテージの前庭に姿を現した二人は、何故か厚手のコットンシャツとジーンズといういでたちに身を包んでいた。
「ジープ♪」
 悟空の呼びかけに「キュ〜イ」と答えて、体調不良なはずの白竜が『ジープ』へと姿を変える。
「行くぞ」「うん!」「キュー」
 運転席に乗り込んだ三蔵のジーンズのポケットには、密かに八戒から託された『お買い物リスト』が、入っていたり、した。

 

 

 悟浄と八戒が、山ほどの荷物──主に食料を両手に抱えてコテージに戻ったのは、出発から3時間ほども経った頃だった。
 往復に1時間、買い物に2時間。後半は荷物を抱えてなのだから、かなりな労働だったのだけれど。
 荷物をキッチンのテーブルに置いたところで、いきなり八戒が言った。
「ああっ! しまったー。買うモノが多すぎて、煙草、買うの忘れてました!」
「げっ、マジ?」
「……八戒……」
 眉をひそめたのは喫煙者2人。なにしろ残りは互いにもう1箱しかないのだ。
「明日街に寄って買えばいーんじゃねぇの?」
 何をそんなに大げさに、と悟空が無邪気に言うと、困った顔で八戒が返した。
「それが……明日、このあたりのお店は軒並みお休み、みたいなんですよね……」
 ──しーん。
 重苦しい沈黙を破ったのは、いつも素晴らしく態度の謙虚な最高僧で。八戒の買ってきた地方新聞を無造作にめくりながら、当然のように、ひとこと。
「悟浄、行ってこい」
「ああっ? 何で俺なんだよ! お前が行けお前が! 俺はもう一回往復して疲れてんだよっ!」
「やかましい。あと1時間もすりゃ日が暮れる。道と店を知ってるお前が行く方が早い」
 いつものことながら、そのワガママっぷりに口をぱくぱくさせる悟浄に向かって、八戒が済まなさそうに両手をあわせた。
「すみません、悟浄。三蔵の言う通りだと思うんです。僕はこれから食事作らなきゃ、ですから……お願い、できますか?」
 三蔵の命令、八戒のお願い。どちらも「否」と返すのはあまりにコワい。
「…………判ったよ。」
 降参、とホールドアップした悟浄に、更に八戒が追い打ちをかけた。
「あ、悟空は連れてっちゃダメですよ。2人して無駄遣いするんですから」
「…………はーい…………」
 肩を落として悟浄はコテージを出て行く。
 後ろ姿を見送って、ぼそっと悟空が呟いた。
「うあ、背中に悲哀が出てるよアイツ」
 ひそやかに、合掌。
 その悟空に、今度は八戒から声がかかる。
「ほら悟空、あんまり時間ないですから、手伝ってくださいね?」
「は〜い!」
 振り返った悟空の顔には、何故か満面の笑みがあったのだ。

 

 

 夕食は妙に豪華だった。
 わびしい野宿の食事を、ここで取り返そうとでもしているように。
 パンプキンスープにパン、サラダ、チキンソテーにポテトグラタン、ソテーに添えられた野菜はいい具合に肉汁がからんでいたし、デザートのスフレも絶品だった。
 数日ぶりにシアワセな食事を堪能してリビングに移った一同は、八戒と悟浄が街で買い込んできたビールを片手にカードゲームを始める。
 ふと。その、手を、止めて。
「そーいやさー」
 新しい煙草に手をつけながら、冗談めかして悟浄が言った。
「コレ、買いに戻った時。やっぱ目立つのかねぇ、みんなじろじろ見やがんの。注目浴びちゃって悟浄照れちゃったー」
 何を、とは、誰も問わない。
 判りきったことだった。
「一生ついてまわんのかネェ?」
 悟浄の持つ紅い髪、紅い瞳。禁忌の子供、というありがたくない烙印。
 けれど、口元に笑みを浮かべて煙草をくわえた悟浄に、いきなり悟空が。
「でもさぁ。俺思うんだけど。いつまで禁忌の『子供』なんだろー?」
「はあっ? ……っげほ!」
 飛んできた言葉に悟浄がむせた。
 隣では八戒と三蔵が「そういえば」と頷いている。
「二十歳も過ぎたいいオトナに、禁忌の『子供』もないですよねぇ」
「じゃあ何だ。成長したら『禁忌の青年』でもっといったら『禁忌の中年』か?」
「じゃあさじゃあさ、年喰ってジジィになったら『禁忌のジジィ』になんのっ?」
「……なんだかR指定生物みたいで、別の意味で『禁忌』っぽいですね」
 苦笑混じりに返す八戒までもが妙に楽しそうなのは気のせいだろうか?
「…………お前等なぁ…………」
 本日何度目かに脱力してテーブルに突っ伏した悟浄の上を、仲間達の声が素通りして行く。勝手に脱力してろ、というコトらしい。
「女の人だったら『禁忌のお姉さん』で『禁忌のおばさん』で『禁忌のばーちゃん』?」
「うーん。女性より男性サイドの方がヤらしいですねぇなんだか」
「何だやっぱりエロ河童なんじゃねぇか」
(……コイツら、ヒトのことギャグにしやがって……)
「あのなぁっっ!」
「ナニ?」「はい何でしょう?」「何だ」
 ガバッと起きあがった悟浄に向けられていた3対の瞳には、けれど言葉遊びを面白がる色はあってもそれ以上のものはなくて。
(ああそうだ)
 と。今更のように思ったのだ悟浄は。
(コイツらにとっちゃ、禁忌の子供なんてどーでもよかったんだ)
 と。
 それぞれが、それぞれに、異端の存在。
 それぞれが、それぞれに、過去、を、背負っている。
 だから彼等には関係ない。自分の存在が禁忌だろうがなんだろうが。
 ──いつか、そんな時代が来ればいい。
 妖怪と人間の間に生まれた子供が、当たり前のようにいる世の中。ただ髪と瞳が紅いだけで忌み嫌われることのない、時が。
 そんなことを思いながら、
「いんや。何でもねぇ」
 諦めたフリをして、苦笑混じりに悟浄が言った、その声に被さるように。
 リビングの壁にかかった古めかしい柱時計が、ポーン、ポーン、と12、鳴って、日付が変わるのを、告げた。
 と、
「さて。」
 いきなり八戒が立ち上がる。
「悟空。手伝って下さい」
「うん」
 キッチンに消えた2人が再びリビングに戻ってきた時、八戒の手には大皿が2つ。悟空の手には、グラスが4つとワインのボトルが握られていた。
 片方の大皿の上には、いつの間に調達したのか、数種類のチーズとクラッカー。もう片方にはやはりこれもいつ買ったのか悟浄には見当も付かない、数種類のハムと黒パンが乗っていた。
「貸せ」
 悟空の手からワインとオープナーを受け取った三蔵が、慣れた手つきでコルク栓を抜く。
 グラスに注がれたワインの色は、深紅。
「ヌーボーにはまだ早かったがな。シャトーマルゴーのヴィンテージだからいいだろ」
「…………何か、ゴーカじゃん」
 きょとん、と呟いた悟浄に、クスクス笑って八戒が言った。
「日付も変わったことですし、もういいですよね。誕生日、おめでとうございました、悟浄。てことで、乾杯。」
「はぁ?」
(──おめでとうございま『した』?)
 何故に過去形。そもそもどうして……
 そこまで考えて、悟浄はうっかりしていた自分に気付く。
 正確に言うなら忙しすぎて──つまりは使われ過ぎて、だ──カレンダーを思い浮かべるヒマがなかった。
 けれど、そういえば昨日は11月9日。自分の、誕生日。
 生まれてからずっと、ほとんど1度も、嬉しいともめでたいとも思ったことがなかった、その、日。毎年この日が巡る度、いっそ生まれなければ良かったと、呪いさえしていた。
 そんなことを、全て、知っていて。判っているから、連中は、わざわざこんなコトをしたのだろうか。
 呆けた顔の悟浄のグラスに、
「キュ〜イ」
 飛んできたジープが顔を突っ込んでワインをなめている。
「ってジープ、お前具合悪かったんじゃなかったのかよ! いいのか酒なんて」
 焦る悟浄を後目に、
「キュッキュキュ〜」
 飼い主の膝へと居場所を移したジープの背中を撫でながら、八戒が笑う。
「ご苦労さまでした、ジープ。なかなかの演技力でしたよ」
「……おい待てよ」
 てことはナニか、全部嘘なのかジープの不調も。徒歩で街に買い出しに出掛けたのも、八戒が煙草を買い忘れたのも、自分1人で煙草を買いに街まで再度往復させられたのも?
 なんで、と質問しかけて、悟浄はやめた。
 答えは明白だったから。
(……勝てねぇ、コイツらには……)
 苦笑混じりに、けれどイヤな気分など少しも覚えないまま、グラスを掲げて悟浄は言った。
「さーんきゅ」
 多分、彼等といる限り、自分が誕生日を呪うことはないだろう、と、思いながら。

 

 

 

 

 ──前略、沙悟浄様


 貴方が貴方の生まれた日を、生まれたことを、呪いさえしていたことを、知っている。
 願いを込めて手を伸ばしても一度もその手を望んだ通りには取ってくれなかった人の、負の感情の根元が貴方自身で。
 そのために、その人の側で生きたいと思う一方で、貴方が『自分が死ねば』と思っていたことを、自分達は、知っている。
 けれど、自分達は出会ったから。
 それぞれにそれぞれの痛みを抱えて、それぞれが1度は死をすら望みながら、それでも自分達は出会ってここにいるから。
 生きることをやめなかったからこそ、今があるから。
 だから、他人に言うのは得意でも、誕生日を迎えた自分にそれを言うのは多分まだ不得手な貴方の代わりに、自分達が、それを言おう。

 

 

 ──前略、沙悟浄様

 

 Happy Birthday to You.

 

 

 

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

ご覧の通りの、悟浄への『お誕生日おめでとう』小説です(笑)。
書けないと思っていたのは、「書けないよー」などとほざいていたのは一体どこのどいつでしょう(苦笑)。
ホントに、いい具合に発酵がすすんでいるようです、ワタシのアタマ(^^;;;)。