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 朝夕の気温差が大きくなって、空の青さが深みを増し、木々がその身にまとう色を緑から紅や黄へと染め変え始めた、ある秋の日。
 バイト先から買い物をして帰ってきた八戒が、買ってきたものの片づけを手伝わせながら、悟浄にこんなことを訊いた。
「悟浄、明後日、ヒマですか?」
「明後日……? 別に何も予定ねーけど、ナンで?」
 何か大きな買い物でもしたくて、それで荷物運びが欲しいのだろうか?
 密かに警戒しつつ問い返した悟浄に、八戒は裏のない笑顔で言った。
「いえ、そろそろ紅葉シーズンだから、紅葉狩り、行きたいなー、なんて」
 先日遊びに来ていた悟空が、明後日なら三蔵も忙しくない、と、嬉しそうに言ったのだそうだ。
 あの金眼の少年にとっては、紅葉しているかどうかよりも、彼の保護者が一緒かどうかの方が、余程大事、なのだろう、と。
 ふわりと微笑って八戒は続ける。
「前に新緑見に行ったところ、そろそろ紅葉してないかと思って。おべんと持って、行ってみません?」
 つまるところ、ピクニックだ。
 そのまま夕食作りになだれこみ、当然のように手渡されたタマネギの皮をむきながら、それに集中するフリをして、悟浄はどこか上の空で──じつはそれすらも素振りに過ぎないのだけれど──言葉を返した。
「あ? あー、紅葉狩り、ね。いンでない?」
 以前、雨が続いて沈み込んだ八戒を、気分転換になればと、少し歩いた先の渓流に連れ出したことがある。
 今から半年ほど前、新緑が陽の光に煌めく頃のことだ。
 その帰り際、確かに自分は言った。
 秋になったら紅葉を眺めに来ようと。
 そんなことを言える自分を半ば不思議に思った、それも悟浄は覚えていた。
 紅葉をそれと認識して楽しみながら見た記憶など、実のところ悟浄にはない。
 悟浄にとって紅はあくまでも自分の髪と瞳の色であり、彼の人の忌み嫌った色、最期に彼の人を染め、兄の手を染めた色だったから、黄色く色づくものならまだしも、その色の濃さを愛でられる紅葉に、悟浄が気持ちを向けるはずがなく。
 紅いものが血だけではないと理性と感情の両方で理解した後でも、それはやはり変わらなかった。
 けれどあの時紅葉狩りの話を出したのは確かに悟浄で、だから余計に不思議に思ったのだ。
 今だって、紅葉狩りと言われて一瞬躊躇する自分がいるのに、あの時は何故、と。
「悟浄?」
 黙り込んだのを不審に思ってか、人参を刻んでいた八戒がふと顔を上げる。
 その伺うような表情に、悟浄は
「よし、タマネギ皮むき完了。いいじゃん行こうぜ紅葉狩り。猿と坊主も呼ぶんだったら弁当めちゃ大量で作るの大変だろうけどな」
 と、口元に笑みを刻んで答えた。
 ──確かめてみようと思った。
 八戒や悟空や三蔵と出会って、多分少しくらいは自分も変わっただろう今、自分の目に、どんな風に紅葉が映るのかを。
 笑みの裏側にあるものに気付いたからだろうか、八戒は一瞬悟浄の瞳を覗き込み、ほんの少しだけ間を置いて、そうして
「大丈夫ですよ。悟空と三蔵、きっと前の夜からウチに泊まりに来ますから、そしたらちゃーんと手伝ってもらいますv」
 と、穏やかなのに見る側の背筋が冷える必殺の笑みを、その顔に浮かべて宣った。

 

 

 

 そうして、2日後。
 悟浄と八戒の住む家から1時間近く歩いて、辿り着いた場所で目にした光景に、ビールやジュース、お茶とコーヒーのそれぞれたっぷり入った水筒という、一番重い『飲み物セット』を抱えたまま、
「……うっわ、すげー!」
 と悟空が小さな歓声を上げた。
 春には新緑に染まっていた、川を囲む木々が、今はその色を変えていた。
 水面に差し掛かる枝々が紅い。わずかに混じる色も赤みがかった黄色やオレンジ。川原には落ち葉が散り敷き、水面に落ちた葉があるところではたまり、流れ、またとどまって、鮮やかなタピストリーを織りあげる。
 渓流全体が紅く染まっていた。
「思った通りですね」
「ああ、だな。つか予想以上かも?」
「ああ、それは確かに。こうまでキレイに揃って紅葉しているとは思ってませんでしたよ僕も」
 嬉しそうに川面に向かって飛んでゆくジープを目で追いながら、囁く八戒の声にもどこか弾んだものがある。
 三蔵だけが無言だったが、この万年不機嫌面の最高僧の口から「キレイだな」などという言葉が感情豊かに漏れようものなら、寒くてオソロシくてとても耐えられないに違いない。
 うっかり音にしたらすかさずS&Wの弾丸の飛んできそうなコトを考えながら、悟浄は
「それじゃ、降りようぜ」
 と、抱えた重箱を落としたり傾けたりしないようバランスを取りながら、危なげなく斜面を下り、水音高い川原に立った。
 続いて降りてきた八戒に重箱を手渡すと、受け取った八戒は早速それらをビニールシートの上に広げ始める。
 重箱の中身は、鶏肉と根菜類の炒め煮、鶏肉の唐揚げに出汁巻き卵にアスパラのベーコン巻き。春巻きに生春巻き、ごま油と唐辛子で風味を付けた春雨のピリ辛サラダに、蒸して賽の目に切ったカボチャとサツマイモをサワークリームとヨーグルトで和えたサラダ。おにぎりはゆかりご飯のものもあれば、中におかか、梅干し、昆布に塩鮭を詰めたオーソドックスなものもある。
 どれも、八戒が、昨日から悟浄や悟空、三蔵にまで有無を言わせず手伝わせて下準備をし、作り上げた、絶品にして大量の手料理だ。
 デザートのフルーツは、別のタッパーに詰めて、実は三蔵に持たせていたりした。
 よくもまあこんなに大量に、と、広げた瞬間は思っても、それが全て4人の胃袋にきっちり収まってしまうのだからオソロシイ。
 そうしてお決まりの食料争奪戦を繰り広げ、デザートまで平らげたところで、八戒が、やはり持参していた白い箱をおもむろに取り出し、蓋を開けた。
 現れたのはアップルパイ。
 これも八戒の手焼きだった。
 昨日、川原に持ってゆくのだと言って八戒がそれを作り始めた時、悟浄は苦笑しながら
『お前、わざわざ川原にそんなモン持ってかなくてもいーんじゃねーの?』
 と言ったけれど、八戒は
『いいじゃありませんか。紅玉、たくさんいただいちゃったんです。川原で食べるアップルパイってのも、オツですよきっと』
 と笑ってきかなかった。
 ならば渓流から戻ってきてから食べるようにすればいいではないか、と、実は密かに思ったのだけれど、実際川原で食べるアップルパイは気分が変わって余計に美味しく感じたから、八戒の行動を不思議に思いながらも、何も言わないことにしたのだ。
 そうして全てを胃袋に収めた後、悟空は
「ちょっと探検してくるー!」
 と、ジープを連れて山に入った。
「……迷わねーかな?」
「大丈夫、だと、思いますけど……」
「迷ったら置いて帰る」
 好き勝手言いながらも年長組にあまり深刻に心配する気配がないのは、ジープがいるのと、悟空の『帰巣本能』を3人が疑っていないから、だったりした。
 三蔵はといえば、こんなところまで持ってきたらしい新聞を広げて読んでいる。
 紅葉に包まれた渓流にははなはだ相応しくない、けれどとても三蔵らしい行動に、「何しに来たんだ?」と半ば悟浄が呆れていると、八戒から声がかかった。
「悟浄、これ、軽く濯ぎたいんで手伝ってもらえます?」
「あ? あー、りょーかい。」
 重箱やタッパーを手分けして持ち、水際に降りてゆく。
 ……木々を染める紅が、近づく。
 自分の髪の色、自分の瞳の色、義母の身体と兄の手を染めた色が。
 ──嫌いな色だった。
 とても嫌いな色だった。
 確かに、その、はずだったのに。
 だから自分は、山や川原がその色に染まるこの時期、そういう場所にはなるだけ近づかないように、していたと、いうのに。
 それなのに、今、自分はここにいる。
 たとえ誘われてではあっても、自ら進んでここに来ている。
 この紅に囲まれて、逃げ出さずにいられる。
 そんな自分を悟浄がとても不思議に思っていると、隣からまた声がかかった。
「悟浄? どうかしましたか」
「あ? イヤ悪ぃナンでもねー」
 答えてしゃがみ込むと、八戒が。
「悟浄……ひとつお願いがあるんですけど」
「お願い?」
「……ええ」
「って、ナニ?」
「あの……」
 珍しく歯切れが悪かった。
 『お願い』があると言いながら、八戒は悟浄の目を見ない。
 こんな時は、何かある。
「言ってみなきゃ判んねーだろホラ」
 促すと、躊躇いを振り切るように八戒はひとつ溜め息を漏らして、そうしてやっと、言葉を紡いだ。
「あなたに、言いたいことがあるんです。こんなことを言われてもあなたは嬉しくないかもしれない……いいえ、多分そうなんだろうと思います。だけどあなたは僕に……こんな僕にでも、そうして『悟能』と花喃にも言ってくれたから、それが僕はとても嬉しかったから、だから……言わせて、欲しいんです」
 何を、と、悟浄は訊こうと思った。
 けれどそうする前に判ってしまった。
 八戒が何を言いたいのか。
 同時に、紅葉狩りに『今日』を選んだ理由にも、悟空と三蔵がやってきたワケにも、アップルパイの意味にも。
(ああ……そうか……)
 忘れていた。
 思い出したくもなかった。
 けれど今日は11月9日で、自分の、生まれてしまった日だ。
 ──生まれてはいけない子供だった。
 妖怪と人間の混血児だとか禁忌の子供だとかいうそれ以前に、ただあの美しい義母と優しい兄の幸せを守るそのためだけに、生まれてはいけない子供だった。
 想いを向けて笑って欲しかった義母の顔は、自分の姿を目にする度に醜く哀しく歪んだ。
 自分に想いを向けてくれた兄は、自分のせいで全てを喪い姿を消した。
 たとえ自分の髪と目が黒かろうが茶色だろうが義母の反応は変わらなかったに違いないけれど、この紅はそれだけで存在自体が罪なのだと声高に証しているように見えて、思えて、鏡を見ることすら自分は嫌った。
 そんな自分の生まれた日だ。
 覚えていたいはずもなく、まして祝えるはずもなかった。
 祝ってくれる人が……そうして欲しい人が、現れるとも思ってなかった。
 けれど八戒は言うのだ。
 悟浄に向かって。
 『誕生日』に対する悟浄の気持ちを、知っているからこそ躊躇いながら、けれどそれでもはっきりと。
 言って……くれるのだ。
「誕生日、おめでとうございます、悟浄」
 と。
 その言葉を上手く受け取ることが出来ずに、悟浄はわずかに俯いて、散り落ちた紅葉の浮かぶ水面に視線を落とした。
 どう反応すればいいのか判らない。
 『紅』に囲まれた『誕生日』に、こんな言葉を──それもおざなりのリップサービスではなく、心からの言葉を、贈られたことなどなかったから。
 けれど、どうしても何か言いたくて。
 少しずつ沸き上がってくるくすぐったいような想いを、音にしてみたくて。
 だから悟浄は、やはり躊躇いがちに言葉を返した。
「……さんきゅ。ひょっとして今日のコレも、その一環?」
「……ええ。誕生日は、賑やかな方がいいと──思って」
 その『賑やかさ』に求められるものは、普通のそれとは大幅に違う。
 普段他人のことなど知ったことかと言葉より先に態度で示す最高僧も、空気を読まず本能のままに振る舞うように見える金眼の小猿も、きっとその意味を知っていながら……いや知っているからなおさら、こうしてここに集ったのだろう、と。
 多分間違っていないだろうその想像に、ついつい悟浄は苦笑を漏らす。
「気ぃ使わなくてよかったのに」
 自分自身に「Happy birthday」も上手く言えない、心の片隅にまだ『生まれて来なければよかったのに』と虚ろな瞳でくちびるを噛み締めながら俯く子供を住まわせた、こんな自分のためになど……。
 想いを隠して呟くと、八戒は一度目を伏せ、それでも言った。
「すみません。でも、お祝いしたかったんです。あなたは僕に──僕と悟能と花喃に、誕生日おめでとうって言ってくれたから。僕もあなたが生まれてくれて、またひとつ年を重ねてくれるのが、すごく……嬉しいから」
 聞き分けのない子供に言い聞かせるように、八戒は言葉を紡ぐ。あまりにもそんな言葉からかけ離れた場所にいたために、やわらかな言祝ぎを上手く受け取ることが出来ない悟浄の心に、きちんと染み通るようにゆっくりと。
「はっか……」
「悟浄、判ってますか? あなたがいてくれたから、僕らは、『今、4人』なんですよ?」
「…………え?」
「ほら、やっぱり判ってない。だってそうじゃないですか。あなたがあの時僕を拾ってくれなかったら、僕は間違いなくあのまま死んでた。そうしたら三蔵と悟空が見つけるのは僕の死体で、あなたに会うこともなかったんです。あなたがいてくれたから、僕らはああして出会えたんですよ、そうでしょう?」
 言われた意味を悟浄はじっと考える。
 あの時悟浄があの場所を通りかからなければ、『悟能』を拾うこともなく、そうしてきっと『悟能』は『八戒』になることなく生を終えていた。死んだ『悟能』を見つけた三蔵は、そのままそれを三仏神に奏上し、悟空とふたり、あの息苦しい寺院での生活に、息抜き出来る場所も人も見つけられないまま戻っていったことだろう。
 そうして悟浄も、他の誰とも目を合わせないまま、ただ流れるように生きていたのに違いない。
 それは多分その通りなのだろうと思う。
 けれど。
「オ……レ?」
「ええ……そうです」
 今、自分達がこうして在るのは、それはもちろんいくつもの偶然が重なった結果ではあるけれど。
 けれどこれは、自分達が、いろんなモノを捨てながらそれでも生きることを選んで、選び続けて辿り着いた場所なのだと。
 悟浄が生まれて生きてきたから辿り着いた『今』なのだと……生まれて、生きて、良かったのだと、そう、八戒は──音にはしないけれど三蔵や悟空も、言うのだろうか。
 浮かんだ想いを八戒が言葉で肯定した。
「だから悟浄……これは僕の……自分の誕生日なんてこれっぽっちもめでたいと思えない僕の、ワガママだけど。だけどやっぱり言わせて下さい。
 誕生日おめでとうございます、悟浄」
 囁く八戒の顔に浮かぶ笑顔は、とても静かで、穏やかで、それでいてどこかに淋しさを滲ませている。
 滅多に見せない顔だった。
 あまり見たくない顔でもあった。
 ここまで言ってもらってそれでも「めでたくない」と言い張るのは、とても子供じみたことに思える。
 そして何より、その言葉を、嬉しいと思う自分がいた。
 嬉しいと思った。心の底から。
 嬉しかったのだ本当に。
 あたたかなものが後から後から満ちてきた。
 だから悟浄は笑うことが出来た。
 笑って応えることが出来た。
 たった一言ではあっても、
「サンキュ。」
 と。
 せせらぎが冴えて聞こえた。
 日に透ける紅葉が輝いて見えた。
 そうして遠くから悟空の声が。
「なあなあ見てっ! 栗栗栗ーっ! いっぱい落ちてた! 後でみんなで食べようぜー」
「バッ、バカヤロウいきなり落とすな!」
 スパン、とハリセンの快音が響いたところを見ると、悟空は栗をイガごと上着か何かにくるんで持ってきて、三蔵の側にドサッと落としでもしたのだろう。
「イッテー、殴ることねーだろ三蔵っ!」
「やかましい 人が新聞読んでんのに邪魔すんじゃねぇ!」
 どこにいても変わらない、何を前にしても自分であることを変えない彼ら。
 知らず口元に笑みが浮かぶ。
 つい先ほどまで自分だってそうだったくせに、悟浄はぼそりと呟いた。
「花より団子に花より新聞……情緒もへったくれもあったもんじゃねぇなアイツら」
「まあ、よろしいんじゃないですか? あなただって食べたいでしょ、栗」
「まーな。そんじゃ、ま、行きますか」
「そうしましょう」
 2人、笑いながら、洗い終わった重箱やタッパーを手分けして持ち、立ち上がる。
 と、いつの間にか悟浄の肩に舞い落ちていたらしい紅葉が1枚、ふわりと肩を離れて風に舞い、川面に落ちて、ゆるやかに流れた。
 目で追って八戒が穏やかに言う。
「ああ……綺麗な色ですね」
 つられてやはり紅葉の流れ行く先に目をやり、そのまま悟浄は視線を上げた。
 飛び込んでくるのは鮮やかな紅。
 けれどこの紅は、自分の髪の色でも瞳の色でもなければ、義母の身体と兄の手を染めた色でもなく、世界が今この時自らを染めて装う色なのだ。
 もう、この紅は心を刺さない。
 もうこの紅は血には見えない。
「……そうだな」
 答えながら、悟浄は、生まれて初めて、紅葉をキレイだと、思った。

 

 

 

  

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

と、いうわけで、八戒さんに引き続き、悟浄へのお誕生日おめでとう小説第2段です。
やっぱりあんまりめでたくない雰囲気の話になってしまいましたが(^^;)、まあ、ウチの悟浄の21才のお誕生日はこんなカンジということで。
掲示板メールでご感想などいただけると、茶寮主、泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。