── Continuo II ──

 

 

 

 さほど広くはないバスルームに、あたたかな湯気が満ちる。床がちっとも冷たくないのは、先にシャワーを使った八戒が温めてくれていたからだろう。
 髪を洗い、体を洗い、自分で触れてすらそうと判るほど砂埃にまみれていたのをさっぱりと洗い落として、悟浄はほっと溜め息をついた。
 乾燥地帯を1日走り続けて、辿り着いたのがこの街だった。乾いた風は砂をはらんで、屋根のないジープに吹きつけた。気温は低くないとはいっても、そこはさすがに11月で、この宿で折よく空いていた2人部屋を2つ取り、まずは埃を落とそうとシャワーを浴びて、いかに自分が冷えていたかに気が付いた。
「あー、あったけーーー」
 肌を伝う湯の温かさに、ついしみじみと声が出る。
 と、
「オヤジくさいですよ、悟浄」
 すぐドアの外で、自分のものだけでなく悟浄や悟空、三蔵の服まで洗濯用にまとめているらしい八戒が、笑いながらそんなことを言ってくれる。
「ンなこと言ったってお前、結構寒かったじゃねーかよ」
「ええ、まあ、そうですが。だからってそんな、まるで温泉にでもつかったみたいに」
 悟浄の抗議に返す声も、まだわずかに笑い混じりだ。
「うるっせーな、もー。いいだろ、シャワーでもホントにあったまるんだから。つかお前はちゃんとあったまったのかよ? 結構シャワー短くなかったか?」
 笑われるのが少しばかり悔しくて、つい拗ねた口調になりながら、それでも悟浄の口からは、八戒を気遣う言葉が飛び出す。
「今度はおかあさんみたいですね」
 また、ドアの外で八戒が笑った。
「やかましい。ちゃんとあったまったかって聞いてんの。俺より寒さに弱いくせに笑ってんじゃねー!」
 荒い口調で言う台詞がこれなのだから、我ながら締まらない。自覚があるから余計に気恥ずかしさが募る。
 すると、八戒がふと口調を改めて、
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。ちゃんとあったまりましたから、心配しないでください。それより、あなたも、急がなくていいですから、しっかりあったまってきてくださいね」
 と、言った。
「へぇへぇ」
 首筋から背中にかけて湯を当てながら悟浄が答えると、また笑いながら八戒が言う。
「じゃ、先に行きますね。別にこのまま宿にいてくれてもいいですけど、ご希望があるとか、自分で好きなの選びたいとかだったら、早めに僕らに追い付いてください」
 今日の日付けは11月9日で、今日は悟浄の誕生日だから、酒やつまみを買い込んで、夜は簡単ながらパーティーをやろう、ということになっている。
 八戒が言うのはその買い出しで、悟空はもちろん三蔵まで荷物持ちに担ぎ出し、主役に楽をさせようとしてくれているらしい。
 滅多にないことだから、喜んで甘えるつもりで、悟浄は八戒にこう返した。
「おー、りょーかい。んじゃ、また、あとでな、八戒」
 当然八戒の返事も
「ええ」
 だった。
 なんの不思議もない。
 当たり前の答えだ。
 だが、何故かその瞬間に、何故だか悟浄は相棒の名を呼んでいた。
「八戒!」
「うわびっくりした。なんです悟浄?」
 何、と、問われても、悟浄にも理由は判らない。呼び止めて何がしたいのかも判らない。
 けれど、何故だか呼び止めたかった。
 どうしてだか知らないが、そのまま行かせたくないと思った。
 自分の行動に首を傾げながら、結局悟浄は
「いや、その……き、気を付けてな!」
 などと、自分でもバカバカしいと思う言葉を続けてしまった。
 ところがだ。
 「何なんですか一体?」とでも言って笑うに違いないと思った八戒が、意に反して、しばらく悩む風情で黙り込んでから、真面目な声で、こんなことを言ったのだ。
「……ねぇ、悟浄。やっぱり、一緒に行きましょうか」
 その言葉を聞いた瞬間、悟浄は、またしても自分で不思議なことに、たかがこの程度のやりとりではあり得ないほどの強さで、何故か、嬉しい、と、思った。

 

 

 

「昼間はすみませんでしたね」
 悟浄の誕生日にかこつけた宴会をお開きにして、睡魔と戦い始めた三蔵と悟空を部屋に返し、空き缶や空き瓶、使った食器をざっと片付けて、一息ついたところで、八戒が突然そんなことを言った。
 いきなり謝られても、悟浄にはなんのことだか判らない。
「何の話?」
 きょとん、と問い返すと、八戒は声音に苦笑を滲ませて、
「だから、昼間の買い出しですよ。結局あなたにもずっと荷物持ちさせてしまいましたから、悪かったな、と。」
 それでやっと、八戒が何を謝っているのか判った。
 後から来ていい、と言われていたのに、一緒に出ることになって、結局悟浄も荷物持ちになったことを、どうやら気にしているらしい。
 しっかりがっつり使っておきながら心の隅では気にしている、いかにもこの男らしい発言に、悟浄はついつい笑ってしまった。
「あーそれ? 気にすんなって。一緒に出て正解だったじゃねーか。街中、結構人いたから、後から追っかけてたら合流出来なかったかもしれねーし」
 言うと、八戒は、
「まあ、そうなんですけど……でも」
 と、困ったように言葉を濁す。
「気にしなくていいって言ってンのに」
 何を気にしているのやら?
「俺もあの時、どうせなら一緒に行こうかって、思ってたとこだったんだから」
 実際とは少し意味合いの違う言葉を使いながら、悟浄は八戒に笑いかけた。
 すると、八戒は少しだけほっとした様子で、
「そうですか? なら、いいんですけど……」
 と、まだ言葉を濁すのだ。
 なんだか気になるではないか。
「けど? 他になんか理由でもあんの?」
 重ねて問うと、八戒が、まだ躊躇いがちながら、それでもこんなことを言った。
「理由、というか、その……あの時、どうしてか判らないんですけど、あなたを置いて行きたくないな、なんて、ちょっと思ってしまいまして」
 思わず狼狽えた悟浄だ。多分一瞬視線が泳いだ。
「悟浄?」
 見逃してくれなかったらしい八戒が、首を傾げて悟浄の名を呼ぶ。
「あーいや、なんでも」
「なくはなさそうな感じですが」
「いやだからホントに」
「悟浄」
「はい」
「僕も正直に言ったんですからあなたも正直に答えてください。そういえばあなた昼間もちょっと変でしたよね。またあとでって言ったすぐ後に、僕を呼び止めたりして」
「……はい」
「イヤならいいんですけど。説明、してもらえますか?」
「…………はい」
 頷きながら思う。どうしてこうも自分はこの男に弱いのかと。
 それでも、あの時ふいに沸き上がった思いを、八戒には聞いておいてほしい気もして。
 だから。
「あの時、さ。自分が残るの納得して、それでいいやって思ってたんだけど」
「けど?」
「ちらっとだけ、な。一緒に行きてぇなって、思ったんだよ、なんでか」
 言葉を選びながら告げると、八戒が
「なんだ」
 と、何故か嬉しそうな顔をした。
「同じだったんですね。僕も、あなたが後から来るんでいいって思ってましたよ。でも、やっぱり置いて行きたくないなって思ったんです、あの時」
 置いてったら会えない気がしたんですよ、と。
 商店街の人出を知ってたわけじゃないのに不思議ですよね、と。
 別に合流できなくても、宿へ戻ればいいだけなのに、そんなことも買い出し終わって宿へ戻ってから気が付いたんですけど、そのぐらい、なんだか『置いてったら会えない』って思ったんですよ、あの時、と。
 八戒の紡ぐ言葉のひとつひとつが、悟浄のあの時の心情に全てぴたりとあてはまる。
 呆れて良いのか喜べば良いのか判らない。
 なんだってまた自分達は、こんな風に同じことを、同じタイミングで考えるのか。
「……俺らって、相思相愛?」
 浮かんだ言葉を口にすると、
「この場合は以心伝心だと思いますが」
 八戒の笑顔がちょっぴり怖いそれになった。
「すみません」
 条件反射で謝ると、八戒はまた元通りの笑顔になって、
「まあ何でもいいですよ。とにかく、一緒に行けて、途中はぐれもしないで、一緒に宿に戻ってこられて、無事宴会まで終わったわけですから、めでたしめでたしってことで」
「あー、まあ、そうかもな」
「そうですよ。それに、あなたが一緒に行くって言ったら、三蔵も悟空も嬉しそうだった気がしますよ。案外あの2人も同じこと考えてたんじゃないですか?」
「……そうか? いやアイツらは荷物持ちが増えたのが嬉しかっただけだろ」
「……まあ、そうかもしれませんけど。いいじゃないですか、そういうことにしておけば」
「……ま、そっか」
 確かに、それで良いのだろう。
 一緒に行くと決めた途端に、あの焦燥感にも似た感情は、綺麗さっぱり消えたのだから。
「そーだな」
 妙に納得して悟浄が言うと、
「そうそう」
 と八戒も笑う。
「というわけで、あらためまして。誕生日おめでとうございます、悟浄」
「ありがとさん」
 なんだかワケが判らないし、ワケが判らない分妙に笑えてくるけれど、きっとこれはこれで良いのだろう。
 何故かは知らないし、何の意味があるのかも判らないけれど、自分達が一緒に行けて一緒にいることにほっとしているのは事実だから、きっと、それで良いのだろう。

 

 

 

 

 
少し遅くなりましたが
「Happy Birthday、悟浄」

八戒さんBD同様に書きたくなって書いた話。本当は9日に書き上がっていました。
あまりアップする気はありませんでしたが、こちらも所詮自己満と開き直ってアップです。

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