── Dear II ──

 

 

 

 小春日和というにはいささか早い11月の午後だった。
 悟浄は足下に大きなビニール袋を2つ置いて、酒屋の店先に立っていた。
 もちろん八戒の買い出しに付き合ってのことである。
 三蔵と悟空は別働隊。
 2・3日おきに街のあったこれまでと違い、この街を出れば次の街までまた距離がある。だから三蔵と悟空には先に宿を探させ、自分達は──というか、八戒は、値段の下調べも兼ねて買い出しに出たのだ。
 そうなれば自動的に悟浄は八戒の荷物持ちで。
 三蔵と悟空が宿を見付けたら、ジープを迎えに来させる手はずになっている。
 『お願いします』の一言と駄目押しの武器・笑顔で三蔵法師を使うのが八戒だった。
 その八戒は、今、酒屋の中にいる。
 今夜のための酒を見繕っている。
 少しばかり時間がかかっているのは、乾きものやチーズやハムといったつまみも一緒に仕入れているせいだろう。
 今悟浄の足下にあるのは缶詰やレトルトの保存食ばかりで、急いで冷やす必要がないせいもある。
 だから、悟浄はその待ち時間を自分なりに有効活用して、目の前を通り過ぎる人を眺め、女性陣の容姿を採点しながら、時折向けられる感嘆の視線や『夜』に誘う女達の眼差しに、嬉々として、だが深入りはさせない程度に抑えつつ、ウィンクを交えて応えていたのだ。
 そんな時。
「ヒマそうだな」
 こんな声が聞こえた。
 最初は自分に向けられたものだと思わなかった。
 八戒を待ってはいたが、つい先ほども、バーで働いているというお姉様と軽口混じりの駆け引きを楽しんだばかりだったのだ。
 だから悟浄は振り向きもせずに、件のお姉様に手を振り、彼女を見送っていた。
 そうしたら、今度は肩に手を置かれて、また
「ヒマなんだろ?」
 声をかけられた。
 もう間違いようがない。声をかけられたのは自分だ。
 だが、そんな事を見ず知らずの相手に言われる筋合いはなかったから、
 ──何だよ?
 と、思いきり胡乱な視線を向けてやるつもりで振り向いたのだ。
 だが、それは不発に終わった。
 ばかりか、
「……へ?」
 などという間抜けたものに変わってしまった。
 それだけ相手の風体が悟浄の意表を突いていたのだ。
 せいぜいが街の悪ガキかチンピラだろうと思っていたのに、とてもそうとは思えなかった。
 まず着ているものが
(……うお真っ黒。)
 妙にごつい靴や分厚い肩当て、長い上着はまるで
(……軍服?)
 さらに胸元で揺れているアクセサリーの形といえば、見間違いようもなく
(髑髏って……。)
 アヤシイ。
 アヤシすぎる。
 というかはっきり世界が違う。
 今にも不審人物とみなした官憲が尋問に飛んで来そうだ。
 なのに、道行く誰ひとり、彼のことを気に留めない。
 まるで彼がそこにいるのがごく当たり前のように──もしくは、彼がまるで目に入っていないかのように──歩いて行く。
「アンタ、何?」
 思わず悟浄は呟いた。
 誰、でも、何者、でもなく、『何』と。
 普通に聞けばずいぶんと失礼なその問いに、けれど男は笑って
「通行人?」
 などといささかとぼけた答えを返す。
(ウソをつけ)
 悟浄は思った。
 彼がただの通行人なはずがない。
 ナリもナリだが、何よりも、彼が声をかけるまで、自分がその存在に毛ほども気付かなかった時点で、ただの通行人でなどあり得ない。
 だが、殺気がないのだ、彼には。そして敵意もない。
 戦う気があるならとっくに戦闘は始まっているのだろうに、彼からは攻撃の意志の欠片も感じられなかった。
 だから悟浄は
「あっそ。」
 と返し、相手の出方を見ることにしたのだ。
 男は、そんな悟浄の思惑を、きちんと察したようだった。
 3度、同じことを言った。
「で? ヒマなんだろ?」
「なぁんでそう思うよ?」
 ──キレイなおねーさんと楽しく会話してたってのに?
 質問に質問で切り返す。
 すると男は笑ったままで
「何でだろう……似てたから、かね」
「……何に」
「俺。俺も似たよーな経験あるからな」
「……似たような?」
 とは、どういう意味で?
 首を傾げる悟浄に向かって、男は苦笑を交えた声で、こんな爆弾を投げてくれた。
「そ。俺もな、副官の買い物に付き合わされて荷物持ちさせられて、そいつが買い物してる間ヒマ持て余して、声かけてくれる美人とよく話すから」
「……へー」
 素で頷きかけて
(──いやちょっと待て。)
「副官!?」
 悟浄は思わず問い返した。
 副官というからにはこの目の前の黒尽くめの男がその上官なワケで、ということは副官が上司を使っているワケで……
(──あり得ねぇ。)
 言いかけて、悟浄はふと思い至った。
 上司と呼べる存在を笑顔で使う男を、悟浄もひとり知っている。
 しかもそんな男を確かに今悟浄は待っていて、待ちついでに美女と会話をしていたのだから、
(──似てるっちゃー、似てるのか)
 うっかり納得してしまったのだ。
 そんな悟浄の心境の変化も男にはまる判りだったらしい。
「そ。で、どお? 似てンだろ?」
 にこやかに笑って言われてしまった。
 もう諦めるより他はない。
「あー……まあ、似てっかも」
「だろ?」
「そうみたいだな。けど……」
「けど?」
「や、アンタもじゃあ苦労してンだなーと思って」
(傲岸不遜な最高僧とか、食欲魔人の小猿とか、一見物腰柔らかなくせに実は一番喰えないヤローとかなー……)
 つい自分に置き換えた台詞が悟浄の口を突いて出た。
 するとだ。
 男は笑って言ったものだ。
「苦労、ねぇ。言われりゃそーかも知んねぇケド。でも……それが嫌いなワケじゃねぇしな」
 望むものを楽しそうに選ぶ姿を眺めているのも楽しい、と。それを呆れ混じりで待つ時間も、暇つぶしに美女に声をかけるのも、さらにそれを見咎めた副官にからかわれるのも楽しい、と。
 我が儘も、かけられる苦労も、相手が自分に甘えているからだと思えば、とても本気でなど嫌えないと。
(げ。)
 参った。
 いささか本気で参った。
 こんなところまで似ているというのか。
 悟浄とて、確かにうんざりすることも多いし勘弁しろと思うことも多いが、彼等が嫌いなワケではないのだ。
 むしろ……
(イヤよせ止めろ考えるな俺)
 その先を考えて、浮かぶ言葉といったら……。
 男はただ笑っている。
 まるで悟浄の思考が全て読めてでもいるかのように。
 いや──読めているのだろう。
 言葉で答えを返す代わりに、悟浄はわずかに俯いて、左手で頭を掻いてみせた。
 男が微笑った気配がした。
 その時だ。
「悟浄、お待たせしました」
「おう」
 反射的に視線を向けた先に、買い物を終えて大量の酒とつまみを抱えた八戒。
「ワリ、連れが……あれ?」
 連れが来たからこれで、と、男に告げようとした悟浄は、既に男の影も形もないことに、呆気に取られて驚いた。
 一体どこへ消えたのだ彼は?
 そもそも何者だったのか。
 呆然と佇む悟浄を不審に思ってか、
「悟浄? どうしたんです?」
 いつの間にか隣に来ていた八戒が、不思議そうに声をかける。
「ああ、いや……なんでもない」
「そうですか?」
「ああ」
 きっと言っても理解されない。
「ホントですね?」
「ああ。」
「じゃあ、そういうことにしておきます」
「ああ……そうして」
 八戒なら、話せばそれなりに話は通じる気もしたが、何故だかその必要はないのだと思った。
 きっと彼は、いろんな意味で、『通行人』だったのだ。
 多分、それで良いのだ。
「んじゃ行くか。荷物、まだ持てるから寄越せよ」
「大丈夫ですよこのぐらい」
「そうかー? 重くなったら言えよ」
「はい。ああ、ジープが来ましたね」
 八戒の言葉に誘われて視線を向ければ、純白の竜が飛んで来る。
 三蔵と悟空は無事今夜の宿を見つけたようだ。
「よかった。これで無事にパーティーが出来ますね」
 笑う八戒の言葉がこそばゆい。
 パーティーとは、悟浄の誕生パーティーだ。
 照れくさい。だが…………嬉しい。
「だな。しかしつまみ足りるかね?」
 ──悟空がいるのに。
 照れ隠しに言うと、
「ま、なんとかなるでしょう」
 八戒がまた笑う。
「だといいな」
 苦笑した悟浄の耳元を、涼やかな風が通り過ぎた。
 瞬間、
『お前さんが楽しそうでよかったよ、悟浄』
 どこか、今は遠く離れた異母兄にも似た雰囲気の、先ほどの男の声が、聞こえた気が、した。

 

 

 

 
と、いうわけで。今年も
「Happy Birthday、悟浄!」

八戒さんを祝ったからには悟浄もやります当然です(笑)。
果たしてこれで『誕生祝い』SSになっているのか果てしなく謎ではありますが。
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