──錦繚──

 

 

 

 色の洪水の中に悟浄はいた。
 深く澄んで晴れ渡った空の下、明るい日の光に映えて、広葉樹が秋を装っている。
 三蔵の髪のような明るい黄。悟空の瞳のような落ち着いた黄金色。中に、冬へと向かう季節にあってなお色を失わない、八戒の瞳の色を少し深くしたような常緑樹の緑がちらりほらりと入り交じって、渓谷を囲む秋の錦の色に深みを添えている。
 それでも、辺り一帯を染める色を一言で言い表すなら、出てくる言葉は“あか”なのだ。
 赤。
 紅。
 朱。
 茜。
 世界中に“あか”という色を現す言葉がどれほどあるのか知らないけれど、仮に──そんなことはまずありえないが──全てを知っていても、今この渓谷を染める色のひとつひとつに名を与えることは出来ないだろう、と悟浄は思う。
 紅は嫌いな色だった。
 憎しみすら覚えるほどに、忌み嫌った色だった。
 愛して欲しいと生まれて初めて願った人に、ずっと醜い色だと言われ続けた、己が目と髪を彩る血のような紅。
 今にして思えば、彼女にとっては悟浄の髪が紅かろうが黒かろうがそんなことは関係なく、ただ愛する男の裏切りの証である悟浄自身に、複雑な感情を抱き続けていたのだろうけれど。
 悟浄の目と髪が黒ければ、義母はどこかにまた別の理由を見つけて、悟浄を痛めつけていたはずだ……とも、思うのだけれど。
 人だった実の母と妖怪の父との禁忌の交わりの末に生まれた、禁忌の子である証のこの紅も、たった一言あの人が「好きよ」と言ってくれさえすれば、自分は誰に何と言われようと胸を張って「紅は好きだ」と言えたに違いないけれど。
 それでも、義母に殺される代わりに兄に母殺しの罪を負わせて1人のうのうと生きながらえてしまったあの日から、異端の証のこの紅は、悟浄にとって、なお一層、自分が“生まれてはいけない子供”だったことを突きつける、憎むべきものになっていた。
 ──なのに。
 悟浄は、今、奔流のような紅を見ている。
 ほんの数年前までは見たいとも思わなかった紅葉を、今、悟浄は眺めているのだ。
 全て、彼らのせいだった。
 血のように見えると……戒めの色だと言ったのは、悟能という名だった男。
 紅いのは血だけではないと、敢えて言葉で撃ち抜いたのは三蔵。
 悟空は「燃えてるみたい」だと言って。
 “悟能”から“八戒”になって戻ってきた同居人は、再会早々「綺麗な紅ですね」と、言った。
 そうして、嫌いだったはずの紅が、いつの間にかそう嫌いでもない色になっていて。
 見に行きたいとなど思ったこともなかった紅葉を、見たいと望む程度には、悟浄は紅が嫌いでなくなっていた。
 彼らといるといつもそうだ。
 悩んでいたことも、目を背けていたものも、彼らは全て受け止めた上で、「それがどうした」と笑い飛ばしてしまう──そして自分も、そう出来るようになっている。
 大嫌いだった色も、忌み日だったはずの誕生日も、いつの間にか受け入れている自分に、悟浄は気付く。
 「誕生日おめでとう」は、自分のためにはまだ言えない。
 けれど、言葉に出来ない自分の代わりに、「おめでとう」を彼らが言ってくれるから、悟浄は自分の生まれた日を、そう悪くないと思えるようになったのだ。
「誕生日おめでとう……か」
 自分では言えないけれど。
 自分で自分に贈る言葉でもないと思っているけれど、彼らが贈ってくれるそれなら、悟浄は笑って受け入れられる。
 笑って「サンキュ」と答えられる。
 凪いだ心でふわりとひとつ微笑んで、悟浄はもう一度紅葉に染まる渓谷を見渡し、
「綺麗な色だよな……」
 と、呟いて。
 ふと目を遣った茂みの中に一際つややかな色を見つけて、そちらの方へと足を踏み出した。

 

 

 鮮やかな色を、彼らは見ていた。
 木々がどこか淋しさを滲ませながら華やかに己を彩るこの季節を、錦秋、と呼ぶのだという。様々な色を用いて艶やかな模様を織り出す、秋という名の錦だと。
 上手く喩えたものだと、3人は思う。
 同時に、花の咲き乱れる様を百花繚乱と言うのなら、様々な木々がその色を競うこの様は、百樹繚乱と呼んでも良いのではないかと、そうも思う。
 けれど、彼らの目を惹きつけるのは、燃えるような色達の中でなお他を圧して立つ、紅を身に纏う男、だった。
 その男──悟浄は、先ほどから渓谷を覆う紅葉を眺めて立ちつくしている。
 赤や黄が競うように見事なグラデーションを見せるこの風景の中にあって、悟浄の紅はそれらに決して埋もれない。
 どこにいても目を引き、どこにいても見つけだせる。
 その、紅が、ふと動いた。
「あ……悟浄、ナンか藪の中入ってく。何やってんだろ……八戒?」
 目にした悟空が不思議そうに問いかけるのに、八戒は苦笑しながら律儀に答えた。
「さあ……何か見つけたんじゃないですか?」
 ──あんなところに美女はいないと思うんですけどねぇ。
 天然なのか皮肉なのか判別の付かない八戒の言葉に、三蔵が読んでいた新聞から顔を上げ、呆れたようにまた目を戻した。
「にしても、お弁当も並べましたし、飲み物も準備出来ましたから、そろそろ戻ってきてくれてもいいんですけどね。」
 藪から出てきたら呼びに行きましょうか。
 「主役は何もしなくていいですから紅葉でも眺めててください」、と悟浄を追い払った当の八戒が、のほほん、と言って微笑う。
「ガキじゃねぇんだからほっときゃ戻って来るだろう。酒も食い物もあることだしな」
「ま、それもそっか」
 三蔵が言うのに、あっさり悟空が納得するのも、八戒がただ微笑みを浮かべているのも、全部、悟浄が紅の呪縛に囚われることはもうないと彼らが知っているからだ。
 紅は、もう悟浄の嫌いな色ではない。
 同様に、禁忌の子というキーワードも、もう悟浄を縛らない。
 身に纏う色も生まれも、「ま、でもこれが俺だし?」と言って悟浄は軽やかに笑う。
 鮮やかで、しなやかな、それが沙悟浄の靱さだ。
 一通りごちそうを川原に敷いたレジャーシートに並べて、3人が茂みへと消えた悟浄を待っていると、やがてガサガサと枯れ枝と枯れ葉を踏み分けて、真紅の待ち人が現れた。
「あ。出てきた。……ナンか持ってる?」
「ホントですねぇ、何でしょう」
 見守る3人の視線を集めながら、悟浄は悠然と歩いてくる。
「おかえりなさい。」
 八戒が微笑みながら告げるのに
「ただいま。」
 と、返して。
 そうして八戒の隣りに腰を下ろした悟浄は、目の前に座る悟空に、持っていたものを差し出した。
「ほれ。」
「へ? ……なにこれ?」
 悟浄が悟空に手渡したのは、小さな紅い実をいくつも付けた木の枝だ。
 それが何なのか判らず問いかけた悟空に、悟浄より先に三蔵が呟いた。
「……グミか」
「そ。喰えるぜ、悟空。すっげー美味いってワケじゃねーけどな」
 言いながら、悟浄は枝からルビーのような実をひとつ取って口に運ぶ。
 倣った八戒と悟空が揃って
「あ、甘い。でもちょっとすっぱい」
「うん。でも美味い!」
 と食べた感想を口にする。
「だろ? 栗とかキノコとか、美味いもの一杯あるけどな、ま、これも秋の味覚でしょ」
 紅いその実が食べられることを、どこで誰から教わったのか、悟浄は敢えて言わないけれど、彼が今穏やかに笑っているからには、その記憶はきっと暖かなものなのだろう。
 枝から摘み取った紅い実を、秋の日にかざして八戒が言った。
「綺麗な紅ですね」
 答えて悟浄は
「ああ」
 と返す。
 それにふわりと笑った八戒は、
「さあ、じゃ、そろそろ始めましょうか」
 と飲み物をそれぞれに手渡し、悟浄と三蔵がビールを、悟空がジュースの缶を開けるのを待って、自分はコーヒーの入ったカップを捧げ持ち。
「誕生日おめでとうございます、悟浄」
 言祝ぎを贈った八戒と、笑顔の悟空、ただビールの缶を黙って持ち上げた三蔵に、悟浄はやはり微笑って、ひとこと
「サンキュ。」
 と、言ったのだ。

 

 秋を彩る紅葉より、鮮やかな紅を身に纏う男の、今日、11月9日は誕生日である。

 

 

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

というわけで、2002年版「悟浄お誕生日おめでとう」小説。
八戒さんの分を書いた以上、後の3人を素通りなんて出来ません(苦笑)。
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