── Ever so close III ──

 

 

 

 師走までもうあとわずかの小春日和の午後のことだ。
 三蔵の自室──執務室ではなく──の入り口から室内へひょこっと顔を出した悟空が、弾んだ声でこう訊ねた。
「三蔵、準備できた? もう出られる?」
「ああ」
 素っ気無く返した三蔵は、普段の僧衣からがらりと雰囲気を変えた、ジーンズに茶系のセーターといういでたちだった。腕には少し厚手のロングコートも持っている。
 対する悟空はといえば、こちらもジーンズに、オフホワイトを基調に大振りな幾何学模様を編み込んだセーターで、手にはブルゾンを持っていた。
「じゃ、行こっか」
 にっこりと笑う悟空にまた素っ気無く
「ああ」
 返して、2人揃って部屋を出ると、三蔵の部屋を片付けるべくやってきた古参の僧侶に
「行ってらっしゃいませ」
 と声をかけられた。
「ああ」
「行ってきまーす!」
 返る答えに僧侶が微笑んだのは、これから2人がどこへ向かうかを、彼が知っているからだ。
 今日は11月29日。三蔵の誕生日。
 だからこれから悟空と2人、友人達が誕生パーティーをするべく待ち構えている場所へと向かう。
 そのための『準備』なのだった。
 『変装』、と言い換えても良いかもしれない。
 こと、三蔵に限っては、だが。
 洋の東西の交流が盛んで、世界文化の中心の間違いなく1つである長安には、ありとあらゆる国の人間がいて、三蔵のような金髪も、他に類を見ない、というほどではない。
 実際、三蔵ほど見事な金髪紫眼ではないにしろ、髪と瞳の色の明るい人は、長安においてはそう珍しくはないのだ。
 つまるところ、珍しいのは、『金髪紫眼に僧衣』なのである。
 さすがに仏教界の最高僧の顔をはっきり見知っている人間は多くない。だから『金髪の僧侶』という目印さえクリアしてしまえば、街を歩いていても人だかりに囲まれる事態にはそうそうならない。
 だから、煩わしいことの嫌いな三蔵は、プライベートで外出する時──ましてこんな理由の時には──僧衣をカジュアルな服に着替え、なおかつふらりと立ち寄った一般人の顔をして、慶雲院の表門から、堂々と街へ出るのであった。
 とはいえ、多忙を極める最高僧が頻繁に街へ出られるわけもないし、ついでに出無精も相まって、他出自体が珍しくて。
 だからだろう、隣を歩く悟空は足取りも軽く嬉しそうだし、三蔵自身、なんとなし表情の和らいでいる自覚があった。
 時には鬱陶しくも感じる街の喧噪が、今日はただ明るく賑やかなものに聞こえる。もう師走が目の前というのに、良く晴れて陽射しが暖かいのも心地よい。
 大通りの外れで、ジープで迎えに来る悟浄と──八戒は料理の陣頭指揮に立つので──落ち合うことになっているが、そこまで歩く道のりも、丁度良い腹ごなしと思われた。
 路上に出ている焼き栗や饅頭の屋台から、ほの甘い良い香りが漂って来る。
 今日ばかりはそれに吸い寄せられない悟空が、三蔵を見上げて明るく訊ねた。
「いーにおいだな、三蔵! 俺、もう腹減ってきてる。三蔵は?」
 腹は減っていないか、パーティーのごちそうは楽しみではないか、と。
 やけにキラキラと瞳の輝いているのが、この小猿らしいではないか。
 ──いったい誰の誕生日だ。
 浮かんだ言葉がおかしくて、軽い苦笑を零しながら
「ああ、確かに少し小腹が空いたな。ごちそうとやらを楽しみにさせてもらおうじゃねぇか」
 応えると、だ。
 どうしたことが悟空が、急にきょとんと目を瞠り、それから、嬉しそうに楽しそうに、明るい笑顔を見せたのだ。
 何がそんなに嬉しいのか、不思議に思った三蔵だった。
 自分は何か妙なことを言っただろうか?
「何だ」
 問うと、悟空は笑みを浮かべたままで、
「なんでもない」
 などと言う。
 本当に何でもないならそれでいいが、如何せん悟空は笑顔のままなのだ。
 何でもないならその顔はなんだと、妙に気になるではないか。
 だから。
「何でもないならニヤニヤ笑ってンじゃねぇ。気色悪いだろうが。それとも思い出し笑いでもしてんのか」
 わざと鬱陶しそうに切り返すと、思惑通りに悟空は少し勢い込んで
「違ぇよ!」
 と叫んで返す。
「なら吐け」
 すかさず突くと、悟空は、半ば諦めたように、そして何故か半ば楽しそうに、
「だからさ……珍しいなーって、思って」
 と、言った。
「珍しい?」
 ──何がだ。
 重ねて訊ねる三蔵に、やわらかな表情で悟空の返すことには
「だからさ、三蔵がそんな風に正直に、小腹が空いたとか、ごちそうが楽しみだとか言うの、珍しいなって、思って」
 ましてそれが自分の誕生パーティーのことなのだから、余計に珍しく思えたのだと。
 虚を衝かれた三蔵だった。
 そう来るとは思わなかった。
 一瞬黙り込むと、悟空は自分の言葉が足りなかったと思ったのか、更なる解説を加えてくる。
「ほら、三蔵ってさ、お茶飲みたいとか言う時は言うけど、あんまり腹減ったとか何が食べたいとか、そういうコト言わねーじゃん。まあ言わなくても周りが世話してくれるってのもあるけどさ、でも……。それに、パーティーのごちそうが楽しみなんて、俺、聞いたことない気がするし」
 嬉しそうに楽しそうに悟空に言われて、三蔵ははたと思い当たった。
 言われてみればその通りなのだ。
 基本的に慶雲院にいる限り、茶だの食事だの諸々は周りが世話をしてくれる。逆に世話を焼かれ過ぎて、許可するまで仕事以外で声掛け禁止を申し渡すことも多い。
 加えて、一時期の空腹はもとより睡眠時間や己が体調に至るまでどうでも良かった頃からすれば随分とマシになっているとはいえ、その手のことには今でも悟空ほどには執着のない三蔵なので、自分から働きかけてそれらを頼むということもあまりないのだ。
 そういったことを頼もうと思う相手も実は少ない。
 おまけに、自分の誕生日というものが少し前までの三蔵には鬼門で、パーティーだのごちそうだのは歯牙にも引っ掛けてこなかった。
 その自分が、腹が空いたの、誕生パーティーのごちそうが楽しみだのと言ったのだから、悟空が驚くのも頷ける。
 それ以上に、悟空に言われて気が付いて、自分自身が驚いた。
 いつの間に自分はこんな風に、誕生日を屈託なく迎えるようになったのだろう。
 そして、いつの間にこの養い子は、三蔵自身が気付かないことに気付くようになったのだろう。
 つまるところそれは、誕生日を祝ってくれる存在を──祝われるということ自体を──自分が受け入れているということで。
 そして、自分が気付かないことを気付くぐらいに、悟空が自分の近くにいるということ……なのだろう。
 ──やれやれ、と。
 三蔵は心で溜め息をついた。
 養父でもあった師を喪い、育った寺院を離れ師の形見を探し求めて彷徨う自分は、ずっとひとりなのだと思っていたのに。
 自分の誕生日を祝う存在とも、誰かにそうされることとも、無縁なのだと思っていたのに。
「三蔵?」
 マズイことを言ったか、と、上目遣いに伺う悟空に、三蔵は小さく苦笑を零す。
 ──やれやれだ、まったく。
「なんでもねぇよ。ほら、行くぞ。食いてぇんだろ、ごちそう?」
 ぽふ、と焦げ茶の髪に手を置いて、言うと、悟空は
「うん!」
 と笑う。
 ──やれやれ。
 三蔵はしみじみと三度心中で呟いた。
 本当にいつの間にか自分は、そのどちらもを、知らず受け入れていたようだ。
 いつの間にか、これほど近く。
「ほら行くぞ」
 傍らを歩く、その筆頭に位置する存在に、ぶっきらぼうに声をかけると、彼はやっぱり
「うん!」
 と笑って──多分わざと──付け足すように、
「あ。みんなが言う前にもっかい言っとこ。誕生日おめでとー、さんぞー!」
 と、言った。

 

 

 

 
というわけで、
「Happy Birthday、三蔵!」

まあ、お約束と、いうことで。

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