── Dear III ──

 

 

 

 小春日和、という言葉がまさにぴったりな午後だった。
 別段戸外にいるわけでなくとも、窓から見える景色を明るく穏やかな陽射しが照らしていれば、それだけで気持ちは和む。
 まして手元には宿から借りた本日の新聞主要数紙、テーブルの上にはほどよい温度の香り高い茶と茶菓子があるとくれば、文句のつけようのない時間である。
 悟浄はおろか悟空や八戒までが、ジジ臭い、と言って笑うこともあるが知ったことか。
 これは三蔵にとってたいへん充実した時間の過ごし方だった。
 ほかほかと湯気を立てる小ぶりな饅頭をふたつに割れば、知らず三蔵の口元に淡い笑みが浮かぶ。
 ひそかに、と本人は思っているが、少なくとも旅の同行者にはそうと判る程度には、三蔵は甘いものを好いている。
 この宿にして正解だった。
 昼前に街に着いて、ここの食堂を見い出した悟空の嗅覚を、誉めてやってもいいと思う。
 一昨日、昨日と、野宿にもかかわらず雨に見舞われ、辟易した一行が早々に部屋を取ったこの宿は、食堂も営む一般的な造りで、良心的な価格ながら、部屋も清潔で供される料理の味も良かった。
「……。」
 ぱらり、新聞の紙面をめくり、ぱくりと饅頭にかぶりついて、ほどよい甘味をゆっくり味わう。
『甘いものでお腹いっぱいにしないでくださいね。今夜はパーティーなんですから』
 こどもに言い聞かせるような八戒の台詞を思い出し、手元の皿の上の饅頭の数を数えて──3つ頼んで残りは1つになっていた──追加はよそう、と考えたその時だ。
「ヒマなのか?」
 まさか自分にかけられたとは思えない台詞が、自分にかけられたとしか思えない至近距離から降って来た。
(何だ。誰と間違えてやがる?)
 少なくとも今日着いたばかりのこの街に、こんな風に声をかけられるような知り合いはいない。
 だから人違いだと思った。
 だから、不快をあからさまに顔に出しながら、文句のひとことも言ってやるつもりで、三蔵は顔を上げたのだ。
 けれど……
「……あ?」
 三蔵の口を突いて出たのは、なんとも間の抜けた声だった。
 相手──つまり声をかけてきた男の風体が、意表を突きすぎていたせいだ。
 自分のことを棚に上げるようだが、そもそも金髪というのが珍しい。
 さらによく見れば瞳も紫で、まるで自分のようだと思った。
 が、そんなことはすっ飛ばす衣装を男は身に纏っていたのだ。
 着ているのは白の薄物。
 上下に別れ、さらに上着が前後に別れて膝あたりまであるところは、アオザイとかいう異国の女性の衣装に似ていなくもないが、袖がなく肩がむき出しで、二の腕から手の甲にかけてやはり白い手甲のようなものを付けている。
 ──それだけだ。
 一瞬相手の正気を疑った三蔵である。
 12月も間近に迫り、肌寒いを通り越して立派に寒くすらあるこの時期に、いくらなんでもあり得ない。
 遥か遠い国では桃源郷と夏冬が逆転しているとも聞くが、ここは桃源郷なのだ。
 見ている方が寒い。
 そもそも、少なくとも桃源郷の男性の衣装としては、いささかならず奇異だ。
 ましてこの男は、美醜に興味のない三蔵をして整っていると思わせる顔立ちをしている上に、悟浄や八戒と並ぶか、下手をしたら上回るほど背が高かった。
 ただでさえ金髪紫眼に僧服の自分が目を引いているはずなのに、傍らにこの男が立っては、周囲の視線はここに釘付けに違いない。
 呆気に取られついでにそこまで思い至って、三蔵は初めて周りに目を向けた。
 だが、だ。
 どういうわけか。
 まったくもって不思議なことに。
 時間帯ゆえかまばらとはいえ客もいるし、当然店の者もいるのに、誰ひとりこのテーブルに……この男に、注意を払っていなかった。
 そのことに気付いた瞬間、三蔵は男にこう問いかけていた。
「……アンタ、何だ?」
 と。
 誰、でも、何者、でもない。
 まったく見えていないのか、それとも『見えているのに見えていない』のか知らないが、これだけ目立つ風体に誰も注意を払わないのは、この男が──もしくはこの男に関わる何ものかが、何かをしたせいに違いない。
 思えば声をかけられるその瞬間まで、気配に聡いはずの自分がこの男の存在にまるで気付けなかったのも、絶対に絶対に妙なのだ。
 だから訊いた。
 『何』だと。
 けれど、その三蔵の問いに、男は何故か答えあぐねたようにそっと眉根を寄せて首を傾げた。
 まるで答えを探すように。
 まるで、どう答えるべきかを探すように。
 その様子に、三蔵は、さっさと答えを得ることを放棄してしまった。
「……まあいい」
 敵でないならそれでいい、と。
 少なくともこの男に害意はないように見えたから。
 すると男は不思議そうに
「いいのか?」
 などと抜かすのだ。
「いい。面倒臭い」
 返した言葉は本心だった。
 嫌味に聞こえるだろうがそれでもいいと思った。
 なのに今度は
「そうか。すまん」
 などという言葉が返るのだ。
 妙に素直なところは育ちの良さを感じさせる。
 ますますもってこの男が判らない。
 が、追求するだけ無駄な気がした。
 判らないままで良い気がしたのだ。
 だから、
「で?」
 と、なんだかずいぶん前の話に戻った気さえする質問を、隣に立つ長身に投げかけた。
「で、とは?」
「さっき俺にヒマかと訊いただろうが」
「……ああ」
「何故そう思ったんだ?」
 いきなり何だとか、失礼な、とか、その格好は何事だ、とか、そんなことをどこかへ放り投げれば、残るのはそれだけだった。
 まさか茶を飲んで新聞を読んでいるだけでヒマ人よばわりはしないだろう。
 少なくともあの状況に三蔵は満足していた。
 だいたいナンパでもあるまいし、『ヒマなのか』などと、仮にそう見えたにしても、初対面の相手にいきなり言っていい台詞ではない。
 何か根拠があるのだろうと──あってほしいと、三蔵は思った。
 そうしたら。
「ああ……似てたからな」
 男は言ったものだ。
「似てた?」
「ああ」
「……誰に」
「俺だな。」
「アンタに?」
 ──どこが、と。
 訊ねようとした三蔵を遮って、男の方が自分の言葉を翻した。
「ああ、いや、少し違うか。俺に似ているというより、前に他のヤツが俺を評して言った台詞があるんだが、お前さんを見ていて『こういうことかな』と思ったんだ」
「……一体何を言われたんだ」
 いずれにしろ気になる三蔵が問うと、男は苦笑混じりにこう答えた。
「俺自身は別に苦にしているワケではないんだが、仕事をしている時の俺の様子が、別に嫌いじゃないが飽きたから誰か邪魔しに来てくれないかと、言っている風に見える、と」
 口に出して言っているわけではないがどうも身近な者にはそう映るらしいと。
「まあ実際邪魔が入ればそれを理由に仕事をうっちゃるワケだがな」
 笑う男の表情は既に苦笑ではなく、どこか楽しげな色がある。
「それに、俺が似ていたと?」
 問うと男は
「似ていた、ではないな。お前さんを見ていて、あれはこういうことか、と思ったんだ」
 ひとり頷きながら言葉を返す。
 と、いうことは、だ。
「俺もそう見えたと言うのか?」
 嫌いではないが新聞を読むことに飽いていたと。
 誰かが──と言ってもこの場合は非常に限られるが──邪魔しに来てくれないかと、ひそかに思ってた、と?
 わずかに眉をひそめての三蔵の言葉にも、男は笑いながらたいへん簡潔に言ったものだ。
「見えた。」
 さらに
「違ったのか?」
 と、質問を返してくれたりもした。
 思わず我が身を振り返ってしまった三蔵である。
 ──そうなのだろうか?
 今の状況を考える。
 午後の早い時間にこの街に入って、この店で食事をしてさっさと部屋を取った。
 その後八戒が悟浄と悟空を連れて買い出しに出かけ、三蔵は留守番を申し渡された。
 ひとりでゆっくり茶を飲む時間も新聞を読むのも数日ぶりで、それを堪能していたはずだった。
 だが、飽きていなかったかと言われると、自信がない。
 多分……飽きていたのだろう。
 飽きて、早く彼等が戻って来ないかと……この静けさを破ってくれないかと、知らず願っていたのだろう。
 思えば昔からそうだった。
 三蔵が書類の決済をしていると、ちょうど辟易してきた頃合で、悟空が──八戒や悟浄と知り合ってからはたまに彼等も──邪魔しにやって来た。
 その度に『大概にしろ仕事にならねぇだろうが!』と怒鳴り付けていたものだが、今、隣に立つこの男の言葉を聞くと、よもやまさかそれも……
(いや止めた。)
 考えるとなんとも微妙なところへ落ち着きそうで、三蔵は己の思考にストップをかけた。
 瞬時に渋い表情になった三蔵に、男が畳み掛けてくる。
「違ったか? もし違っていたならすまん」
 本気で謝っているように見えるから、どうにもこうにも居心地が悪い。
 けれど自分で思考にストップをかけたものを、男相手に認めるのは、三蔵としてはいささか癪だった。
 だから
「さあな。俺も自分じゃ判らん」
 答えると、
「ああ、それは確かにその通りか」
 男は納得したようだった。
 その様子に、ふん、と三蔵がちいさく鼻を鳴らした時だ。
 食堂のドアがバタン、と開いて、
「三蔵ただいま!」
 金目の小猿が駆けて来た。
 三蔵が男から視線を外したのはそのわずか一瞬。
 だが、そのたった一瞬で、視線を戻した三蔵の隣から、男の姿が消えていた。
 現れた時と同様、足音も気配もなく。
「?」
 首を傾げる三蔵に、男がいたのと反対の場所にたった悟空が問いかける。
「三蔵、どうかしたのか?」
 問われて答える言葉を三蔵は持たない。
 だから
「いや……なんでもねぇ」
 返すと、悟空は
「そっか。じゃあいいや」
 とあっさり言って、笑った。
「今つまめるものも買って来たんだ。三蔵、腹減ってないか?」
 屈託のない笑みと台詞に、知らず三蔵の口元に苦笑が浮かぶ。
「お前と一緒にするな全身胃袋」
「あー、全身胃袋だったら美味いモンもっと食えるのになあ」
「バカ野郎そんなことになったら誰が貴様にたらふく食わせるか。手術してでも胃を縮めてやる」
「うっわひでぇ!」
「ふん」
 他愛無い言葉を交わしながら、三蔵はふと思った。
 自分の退屈を邪魔しに来るのは『彼等』だが、あの男にとっての『そういう存在』は、どんな者達なのだろう?
 訊ねそこねたのが残念だった。
 その時……
『玄奘三蔵。お前がお前らしくて良かった。アイツらがアイツららしくて、よかった』
 ふと耳に届いた男の声に、三蔵は答えをもらったように思った。

 

 

 

 
と、いうわけで。今年も
「Happy Birthday、三蔵!」

八戒さん、悟浄とやったのですからまあ十六夜茶寮的には当然の流れということで(笑)。
相変わらずこれで『誕生祝い』SSになっているのか果てしなく謎ではありますが。
掲示板メールでご感想などいただけると、茶寮主、泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。

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