── 風をあなたに ──

 

 

 

 11月もそろそろ半ばにさしかかろうという頃のことだ。
 三蔵の執務室で、休憩を、と庫裏方から運ばれて来たお茶と茶菓子をテーブルに並べていたら、仕事をしていた三蔵が、ふと顔をあげ、窓の外を見て、こんなことを呟いた。
「ここはまだ紅葉には早いな」
 一瞬何事かと目をむいたのは許して欲しい。
 一緒にお茶の用意をしていた僧侶とふたり、悟空はついつい手を止め目を見合わせてしまった。
 言ってはなんだが、食い気優先の悟空とはまた違った方向で、三蔵もこういう『風情』や『季節感』といったものからはいささか遠い位置にいる。
 いや、本人は感じているのかもしれないが、それをほとんど表に出さない──出したらコワい、と、悟浄あたりは言うのだろうが。
 そんな三蔵だったから、悟空も僧侶も本気で驚いてしまったのだ。
 ついでに恐る恐る聞いてしまった。
「……さんぞー、どーかした…………?」
 ちろり、眇められた紫眼が悟空を見る。
「どーかした、とはどういう意味だ」
「えっ、えーとその、……急に紅葉なんて言う、から」
「なんだ。俺が紅葉を話題にしちゃいけねぇのか」
「い、いけないなんてことはない、けど」
「けど、なんだ」
 ──あまりに珍しくて槍が降るかと思った、などとは、恐ろしすぎて口に出来ない。
 引き攣った悟空に助け舟を出してくれたのは、一緒に茶の用意をしていた僧侶だった。
「疲れると目に来ると言います。三蔵様が窓の外をご覧になったから、悟空は三蔵様がお疲れなのかと気になったのでしょう」
 三蔵様のお体を気遣ってのことですよ、と。
 無理矢理かつさらっと話題をすり替えて、
「さあ、お茶になさいませ。疲れた時には甘味が良いそうですよ」
 と、綺麗に空気を柔らげてくれた。
「ふん」
 それで流してくれたのか、それともさほど気にしていなかったのか、三蔵は軽く鼻で笑って、湯気の立つ湯飲みを手にした。
 たった、それだけのことだ。
 たった、それだけのことだった。
 けれど、この時のその三蔵のひとことは、何故か悟空の心に残ったのだ。

 

 

 それを思い出したのは、三蔵の誕生日を間近に控えた頃だった。
 どうしても、どうしても三蔵の誕生日の贈り物を思い付けなくて、悟空は悟浄と八戒が暮らす森の家を訪れていた。
「なぁにがいいのか判んねぇー……」
 密かにこの4人に共通のことではあるが、三蔵の物欲のなさは折り紙付きだ。
 酒も煙草も美味いものも、甘いものも実は好きだが、いざ『欲しいもの』となると皆無に等しい。
 その皆無に等しい『欲しいもの』も、おそらく、そして間違いなく、決して『物』ではないのだと、悟空は──悟浄も八戒も、そして親しい周りの人間も──知っていた。
 だから困り果てていたのだ。
 せっかくの三蔵の誕生日、たとえ本人はまるで重きを置いていなくても、祝いたいし、かなうならプレゼントだって贈りたい。
 金銭面では非常に苦しい悟空だけれど、祝いたい気持ちは満々なのだ。
 そうして、自分では何も思い付けず、親しい僧侶達と相談しても良いアイデアは浮かばずで、八戒と悟浄に助けを求めにひとりでやって来たのである。
「うーーーっ」
 珍しく茶菓子にもろくに手を付けずテーブルに懐く悟空を見て、苦笑混じりに悟浄が言った。
「別になんでもいーんじゃねぇのか、三蔵だろ? 物欲うっすいだろうがよ。酒と饅頭でも買ってけば?」
 悟浄の意見はある意味正しい。
 けれど。
「それは日付け変わる時に出すつもり」
 なのである。
 日付けが変わったすぐ後に、誰より早く「おめでとう」を言って乾杯したいのだ。
 誕生日のあまり好きではないらしい三蔵に、『嬉しい』を伝えたい悟空だった。
「さよか」
 やれやれ、と。
 頬杖をついて悟浄が苦笑を深くする。
「ピィーイ」
 慰めるようにジープが、小さな顔を悟空の頬にすり寄せる。
「困りましたねぇ……」
 悟浄のカップにコーヒーのおかわりを注ぐついでに、悟空のカップの冷めたコーヒーを熱いそれと入れ替えてから、テーブルについた八戒も、ふむ、と小さな溜め息を零した。
「なー、八戒、なんかない?」
「と、言われましても、悟空が思い浮かばないものを僕がというのはちょっと……」
「うー……」
 頭を抱えた悟空だった。
 が。
「心当たりの切れっぱしでもねーのか悟空。物じゃなくてもなんでも」
「ですよねぇ、三蔵がぽろっと零したこととか」
 ふたりに言われてふと思い出した。
「……紅葉」
「紅葉?」
「なんですそれ、急に?」
「ちょっと前に三蔵がぼそっと。おやつの時間に、窓の外見て、紅葉にはまだ早いな、って……」
 決して間違いではないにしろ、仮にも三蔵法師の休憩をおやつと称するあたりが悟空だ。
 つい笑ってしまいそうになった悟浄と八戒だけれど、悟空の言葉がヒントになった。
「……だったら」
「それもらっちまえばいーんじゃね?」
「それって?」
「それ。紅葉ですよ」
 どうせ『物』は欲しがらない三蔵だ。
 ならば、いっそ時間を。
 わずかでも心を動かしたらしい紅葉を。
 執務室にいては判らない風を、光を。
 三蔵に。
「…………そっか」
「そうそう」
「どこか良い場所ありますか悟浄?」
「ああ、飲み仲間にそーゆーの詳しいヤツがいるから聞いとくよ」
「お願いします。じゃあ僕はお弁当作りますね。少々遠くてもジープがいるから大丈夫でしょう」
「キュー!」
 とんとん拍子で話が決まって行く。
「夕方からハミングバードでパーティーですから、日が落ちて寒くなる前に戻って来ましょう。どうです悟空?」
「うん!」
 頷いて答えた悟空には、すっかり笑顔が戻っていた。

 

 

 29日。
 三蔵の誕生日は朝から晴れた。
 風も緩やかで気温も穏やかな、とても過ごし易い日になった。
 八戒と悟浄は、約束通り、朝の10時にジープに乗って弁当を持ってやってきた。
 紅葉狩りに行くのだ。
 場所は完全にふたりにおまかせ。
 慶雲院で拾ってもらって、西へ走ること30分ほど。
 着いた所は、さほど街から離れていないにもかかわらず、人の少ない、けれど渓流に映える紅葉の美しい、まさに穴場といえる場所だった。
「すっげぇー……!」
 呟いたまま、悟空は次の言葉を失う。
 三蔵も、
「ほぉ」
 とひとこと漏らして、腕組みをして立ち止まった。
 足下で鳴る川砂利の白に、黄や紅の葉が映える。
 日の光を受けて輝く水面にも、舞い落ちた葉が錦の模様を見せた。
 紅葉の穴場というからてっきり不便な山の中かと思っていたら、案外と街に近くて、気温も街と大差ない。
 これなら、寒さを気にしないで、紅葉もたっぷり楽しめる。
「すっげー綺麗! ここで弁当喰ったらうっまそー!」
 嬉しそうに悟空が弁当──というより段重ねの重箱と言った方が正しいのだが──を下ろしていると、何故か八戒と悟浄がジープに戻った。
「え、なんで?」
 一緒じゃないのか。
 きょとん、と問いかけた悟空に、八戒が笑って答えた。
「僕らはパーティーの準備がありますからね。遅くならないぐらいに迎えに来ますから、それまで紅葉狩りしててください」
「飼い主とペット水入らずでな」
 にやり、悟浄が笑って言う。
「パーティーに備えてお弁当少なめにしてありますけど、足りなくても夜のごちそうのためと思って我慢してくださいね」
 駄目押しのようにひとこと告げて、ふたりはさっさとジープに乗り込んだ。
「キュー!」
 またあとで、とでも言うように、ジープが一声鳴いて、エンジンがかかる。
 本当に行ってしまった彼等の後ろ姿を、見えなくなるまで見送って、
「……行っちゃった」
 ぼそり、悟空が呟くと、それを鼻で笑って三蔵が
「ふん。いいだろ、別に。ウルサイのがいなくて結構だ。せっかくの休暇なんだからな、お前も静かにしろよ、サル」
 と言い、続けて
「こんな紅葉、寺の庭じゃ拝めねぇだろう」
 と、言った。
「ん。そだな。弁当も2人占めだしな」
 返すと、三蔵がまた鼻で笑う。
 それで良かった。
 これで、良かった。
 三蔵が仕事に追われない、自分もわずかの気詰まりも感じない、こんな時間はあまりない。
 この風を感じて欲しかった。
 この時間をあげたかった。
 いつも忙しい大事な人に、この開放感を贈りたかった。
「たんじょーびおめでと、さんぞー」
 囁くと、隣でかすかに笑う気配がある。
「……気持ちいいー」
 ゴロリ、空を仰いで寝転んだ時だ。
 三蔵が悟空に言った。
「堪能しとけ」
「……え?」
「なんだ」
「なんだ、って……堪能するのは三蔵だろ?」
「どうして」
「どうして、って……だってちょっと前に紅葉がどうのって、おやつの時に」
「? その前に『紅葉狩り美食ツアー』とかなんとか言うテレビ見て羨ましがってたのはお前だろう」
「え…………?」
「?」
(────あれ?)
 おかしい。
 顔が笑う。
 これでは本末転倒なのに。
 それでも。
(喜んでもいいよな、うん。)

 

 

 

 

 
日付け変更ぎりぎりになってしまいましたが、かろうじて29日のうちに、
今年も
「Happy Birthday、三蔵!」

ぎりぎり29日にアップ。こんなに遅くなったのは初めてです(涙)。
それでも「やめよう」とは思えないこのおバカを、温い眼で見守ってやってください(苦笑)。
掲示板メールでご感想などいただけると、茶寮主、泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。

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