──残照──

 

 

 

 日暮れ間近の細い道を、三蔵はひとり歩いていた。
 己が肩書きに付きまとう、三蔵にとっては雑事でしかないことで、とある寺院の“お偉いさん”に招かれた、その帰路のことだ。
 頭の堅い連中相手のこと、悟空や悟浄や八戒を伴えばまた「下賤の者を」と煩わしい囀りを聞かされそうで、鬱陶しいから
『うぜぇ、来んな』
 と言い捨てると、丁度良いとばかりに3人に、ついでに散歩でもしてゆっくり後からこれこれここの店に来い、などと言われた。
 傲岸不遜を地で行く玄奘三蔵法師様が、待ち合わせの場所と時間まで指定されて、大人しくそれに従っているのは、今日という日のせいである。
 ──誕生日、なのだ、今日は。
 今日、11月29日は、父と慕った今は亡き師が、彼の誕生日だと決めた日だった。
 誕生日おめでとう、と言われて、たとえ師からの言葉であっても嬉しいと思ったことなど一度もなかった。ただ、恥ずかしいような逃げ出したいような面映ゆさを覚えただけだった。
 それが実は“嬉しい”の1つの発露形だと悟ったのは、つい最近のことである。
 悟空と悟浄と八戒がニヤニヤ笑いながら嫌がらせのように歌う──その実根底にあるものはとても真摯な──バースデーソングに、うんざり脱力してテーブルに突っ伏し
『テメェらいい加減にしろよコロすぞ!』
 と呻って凄んだ途端、
『まーたまた三ちゃんったら。ホントは嬉しいくせに照れちゃって〜』
 と悟浄に言われた時には本気で殺してやろうかと思った。
 まして、悟浄の言葉と悟空の笑顔と八戒の穏やかな微笑みに、“なるほどあの面映ゆさは嬉しいということだったのか”、などと心の片隅で納得している自分の意識についうっかり気付いた時には、とうとう自分も終わったか、としみじみ溜め息を吐いたものだ。
 それなのに……それでも、今三蔵は、待ち合わせの時間に間に合うように、待ち合わせ場所へと足を進めている。
「なぁにが誕生日おめでとうだ、ったく」
 さも嫌そうに呟くと、からかうように、宥めるように、冷たいくせに柔らかな風が、ふわりと三蔵の髪をなぶった。
 落としていた視線を上げると、街の明かりがもうすぐそこまで迫っている。
 呼び出された寺院は街外れの山の中腹にあったから、行きも帰りも半分以上は山道だったのだけれど、お陰で山をほぼ下りきった今でも、見下ろす形で夕暮れ時の街の明かりを一望出来た。
 視線を横に流すと、黒々とした山の稜線を朱金の光で彩って、今しも陽が落ちようとしている。
 金色に輝く太陽が一際明るく輝いて山の向こうに姿を消すと、後を追うように紅く染まった空がその色を刻々変えた。
 鮮やかな金から、どこか淋しい紅へ。さらにそこへ淡く碧を重ねて、その色が薄れる辺りに薄く紫。その紫が段々と色を濃くして、やがて見上げる空が藍に染まる。
(残照、か……キレイなもんだな)
 柄にもなく思ったその時、黄昏時から夜へと色を移す空を、渡り鳥らしい影が過ぎった。
 南に渡るにはいささか遅い時期だろうに、それでも──だからこそ、か──鳥達は列をなして、三蔵の視界を横切ってゆく。
 そういえば昔、師匠と一緒に、やはり渡る鳥を見上げたことがあった。
 さも感慨深げにしみじみと、自身の想いがただ零れたようにあの時師匠は語ったけれどあれは……あの言葉は、おそらく自分に向けられたものだった。
 ──本当の自由は、還る場所があること。
 その言葉を贈られた子供の頃には見えなかったものが、今の三蔵には視えている。
「還る場所、か……」
 呟いて視線を引き戻せば、すぐに街の明かりが目に入る。
 先ほどよりも更に数と輝きを増やした、あの明かりのどれかに連中がいる。
 三蔵の誕生日を祝うための、料理と酒と時間と気持ちを整えて。
 いつもいつも三蔵を“呼ぶ”金眼の小猿と、誰よりもいい加減に見えてその実きっと誰よりお人好しな紅エロ河童と、一見人当たりが良さそうでそのクセ中身は多分誰より激情家の、碧の瞳の笑顔魔人。
「なぁにがめでたいんだか誕生日なんて」
 ひとりごちながらそれでも歩みを止めないのは、いまだに誕生日がめでたいとはとても思えない気持ちの傍らに、それを嬉しいと思う自分が確かにいるのを、自覚してしまっているからだ。
「ま、良い酒が飲めるしな」
 自分自身への言い訳と照れ隠しだと、判っていながら呟いて、三蔵は帰路を急いだ。

 

 

 

「三蔵、ちゃんと来るかなあ?」
 八戒の名で予約した──他の2人には任せられないし、まさか今日、三蔵の名を使うわけにはいかないからだ──店の個室で、テーブルに顎を乗せたいささか行儀の悪い姿勢で、悟空がぽつりと囁いた。
 三蔵が来るかどうか、ではなく、ちゃんと時間に間に合うように、三蔵を呼び出した寺院の連中が三蔵を帰してくれるかどうかが、悟空には心配だった。
 すかさず八戒と悟浄が言葉を返す。
「来ますよ、大丈夫。だってあの人ワガママですから。」
「そーそー。アイツのことだから、引き留められてもンなの蹴飛ばして帰って来るって」
 フォローしているんだかけなしているんだか一向に判らないその言葉に、けれど悟空は納得して
「だよなっ」
 と、笑った。
 三蔵は、帰って来る。
 ここは“彼のための場所”だから。
 きっと今頃は、寺院からここまでの道を、「うざい」とか「何がめでてぇんだ」とかぶちぶち思いながら辿っているのだろう。けれどその顔は、言葉に反して薄く淡く笑んでいるはずだ。
 それが3人には見える気がした。
 絶対に本人は認めないだろうけれど。
 ふわりと共犯者の笑みで見交わして、
「にしても、そろそろ着いてもいい頃なんですけどね」
 窓の外を見ながら八戒が言うのに、釣られて悟浄と悟空も目を遣れば、空は茜から夜の藍へと色を染め変えはじめている。
 また、悟空が呟いた。
「ちゃんと来るかなあ三蔵」
「大丈夫ですよ悟空。じゃあ、ちょっとでも遅れたらペナルティってことにしますか?」
 八戒が笑いながら言うのに悟浄が乗った。
「おお、いいねーソレ。で、ペナルティって何にする?」
「あっ、じゃあさー、三蔵が遅れたらここの支払い三蔵のおごりってのはー?」
 悟空までが乗って言うが、そんなこと、当然三蔵は何も知らない。
 本人が聞いたら良くてハリセン、キレ具合によってはS&Wの弾丸が飛ぶに違いない。
 第一、三蔵の誕生日に三蔵に支払いをさせたのでは、そもそもお祝いの意味がない。
 全て了解した上での、3人のただのコトバ遊びなのだが、八戒がにこやかに笑いながら示した提案に、悟浄と悟空は吹き出してしまった。
 八戒は言ったものである。
「こういうのはどうです? ちょっとでも遅れたら、三蔵がそこのドアを開けるのと同時に、廊下や他の個室にまで聞こえるようにバースデーソング歌うんです。ちゃんと“ハッピーバースデー、ディア 三ちゃん”って入れて」
「ぎゃははははっ、それいいっ、それっ!」
「三蔵すっげ嫌がりそうーーーっ!」
「それでなくても入ってきた途端“ハッピーバースデー三蔵!”って言ったらあの人すごく変な顔しそうですよね」
「ああ、すンだろなー、アイツv」
「何とも言えない顔ってあーいうんだよな」
 きっと、ドアを開けた途端「ハッピーバースデー三蔵」などと言われたら、あの金色の最高僧は、面食らったような、怒ったような、照れくさそうな、恥ずかしそうな……それでいてほんの少しだけ嬉しそうな、なんとも複雑な顔をするのだろう。
 くすくす、くつくつ、けらけらけら。
 笑いながら3人は思う。
 早く三蔵が来ればいい。
 ペナルティなんてどうでもいいから、少しでも早く彼が帰って来ればいいと。
 おめでとうを言っても素直には受け取らない彼の誕生日を、自分達は祝いたいだけなのだから。
 まだ笑いを納め切れない3人が、同じ想いでドアを見つめたその時、計ったように店の従業員が、個室のドアを控えめに、けれどしっかり聞こえるようにノックして、言った。
「お待ちの方がお見えになりました」
 ふわり、3人は笑みを交わす。
 もうすぐ──本当にもう、すぐ、彼がここに来る。

 どんな顔で出迎えようか。
 どんな言葉で出迎えようか。
 そうしてすぐに訪れるその時、彼はどんな顔をするだろう?
 3対の瞳が見守る中、ゆっくりとドアのノブが回った。

 

 

 

 ──Happy Birthday, 三蔵

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき(もしくは言い訳・^^;)

というわけで、2002年版「三蔵お誕生日おめでとう」小説。
最早意地というか根性というか(苦笑)。でもお祝いはしたいんですいやマジで。
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