── やさしい夜 ──

 

 

 

 風呂から上がり、こまごまとした用事を済ませて、八戒が部屋に戻ると、先に部屋に戻ったはずの悟浄と三蔵がいなかった。
「ただいま……あれ?」
 今夜の宿で取れたのは4人部屋で、バスルームもついてはいたが、温泉の大浴場があると聞いて、迷うことなくそちらを使った。
 2泊の予定で、宿の物干し場を借りる約束を取り付けて、さらに簡易湯沸かし器を借りて、とやっていたから、八戒ひとりだけ部屋に戻るのが遅れた。
 風呂から上がったら、夕方買い込んだ飲み物とつまみで軽く宴会でも、などと言っていたのに、戻るのが少し遅くなったから、謝らなくては、などと、思っていたのに出鼻を挫かれた形になった。
「悟空。2人は?」
 不思議に思い、ただひとり部屋に残って、ベッドの隅にちょこんと丸くなったジープの背を撫でている悟空に訊ねると、
「なんか、煙草が切れたから買いに行くって言ってたけど……そういえば遅い?」
 という答え。
 聞けば、風呂から部屋へ戻る途中で、2人は悟空と別れたのだという。
 確かに、夕方の買い出しでは荷物が多くて、悟浄と三蔵の煙草の補充は翌日に回したから、煙草を買い足しに行ったと言われれば納得ではあるのだが、煙草の自販機は宿の中だ。さほど大きくはない宿で、たかが自販機で煙草を買って戻るのに、そう時間がかかるとも思えない。
「もしかして、あの2人の好きな銘柄が自販機になかったとか、ですかね?」
「売り切れとか?」
「かもしれませんけど、それにしても」
 それでも、もしそんなことになっていたらきっと三蔵は面倒がって、外へ買い足しに出るだろう悟浄に「ついでだ」と自分の分も頼む──というか、命令する──だろうから、2人揃ってまだ戻らない、というのはいささか不自然ではあるのだ。
「……変だね」
「ですよねぇ」
 やはり同じ結論に達したらしい悟空と2人、首を傾げながら言葉を交わして、八戒は部屋の窓を少しだけ開けた。
 空を見て明日の天気を確認したかったからだ。
 が。
 綺麗な星空に明日の晴天を確信して、ふと視線を下に向けた八戒は、そこに、小さく灯る2つの赤い光を見つけたのだ。
「あ。いた。」
「八戒? ……あホントだ」
 八戒の声を聞いて歩み寄ってきた悟空も、同じものを見つけたらしく、やはり同様に声を上げる。
 なにが、誰が、などと言う必要はなかった。
 決して夜目のきく八戒ではないけれど、あの2人を見間違えることはない。まして夜目のきく悟空はなおさらだ。
 声をかけてみるまでもない。眼下に灯る小さな火は、悟浄と三蔵の煙草のそれだった。
「アイツらなんであんなとこにいんの?」
 悟空が不思議そうに呟く。八戒もまったく同感だった。
 なんだってまたこんな寒い夜更けに、それもせっかく暖まった風呂上がりに、いくら宿の庭とはいえ屋外で、2人並んで煙草を吸っているのだろうか。
「……さあ」
 物好きですよねぇ、などと、八戒がのほほんと返そうとした時だった。
 背後で小さな音がした。
「クシュン」
 悟空と顔を見合わせて振り向くと、ジープが不思議そうにこちらを見ている。
「あ、ジープ。起きちゃったんだ」
 慌てて悟空がベッドサイドに駆け戻り、寒くないか、布団代わりにタオルを、などと、甲斐甲斐しく世話を焼く。
「ああ、寒かったですねジープ。すみません、すぐ窓閉めますね」
 窓を閉めて振り返った八戒は、その様子を見て、気付いた。
「ああ、そうか」
「八戒?」
「判りましたよ悟空、あの2人がわざわざ外へ出たワケ」
「なに?」
 首を傾げる悟空に、そっとジープを指差して笑う。
 と、そこで悟空も気付いたようだ。
「ああ」
 納得したようにふわりと笑った。
 いつも以上の悪路をほとんど休みなしに走り通して、疲労困憊したらしいジープは、この街に入って4人が降りた途端に白竜の姿に戻って、くったりと八戒の腕に身を委ねた。そうして宿に着いても、市場で手に入れた林檎を時折口にしながら、そのままトロトロと眠り続けた。
 風呂から戻った悟空がジープについていたのもそのためだ。
 だからきっと、あの2人も。
「そうまでして吸いたいんですかね、煙草?」
「物好きだよなあ」
 本心からそう思っているわけではないから、なおさら茶化した言い方を2人はした。
 だって、確かに「少し控えめにしてくださいね」とは言ったけれど、吸うなとは言わなかった。
 なのに自主的に──しかもこの寒いのに、煙草を吸いに外へ出たのは、それだけあの2人がジープを大事にしているからだ。
 本人達に言えば、絶対に鼻で笑って否定するに違いないけれど、それもきっと照れ隠しで。
「今日に限ってどういう風の吹き回しでしょうね?」
 笑いながら、互いに通じているからわざとぼかした言い方をすると、悟空もやっぱり笑いながら、
「さあ? クリスマスだからじゃね?」
「ですかね」
 きっと当人達に聞けばまったく違った言い訳をするのだろうが、そこは勝手に決めつけて。
 遥か遠い西の土地で、神の子が生まれたという今日だから、
「煙草の煙のない綺麗な空気が、三蔵と悟浄からのあなたへの贈り物だそうですよ、ジープ」
 クスクス笑いながら告げると、ジープもどこか楽しそうに
「キュ」
 と一声短く鳴く。
 その声が、「ありがとう、もう大丈夫」と言っているように聞こえて、八戒は悟空と顔を見合わせ、少し笑ってまた窓を開けた。
「風邪引かないうちに、そろそろ部屋へ戻りませんか、おふたりさん。熱いコーヒー淹れてお待ちしてますよ」
 ギリギリで届くぐらいに声を大きくして眼下の2人へ。
 気付いた悟浄が振り向いて、やはり笑いながら手を上げる。
「もう1本」
「部屋で吸えばいいでしょう」
 笑いながら八戒が言う間に、三蔵が次の煙草に火をつける。
「バカですねぇ」
「好きだなー……」
 苦笑混じりに呟く八戒の隣で、しみじみと悟空が嘆息した。
 けれど。
「でも、さ、八戒」
「ええ、そうですね」
 視線を交わしてまた笑う。
 絶対に三蔵と悟浄は否定するに決まっているけれど。
 やっぱり、今夜はやさしい夜だ。

 

 

 

 

 
2008年クリスマス突発。
本当は25日のうちにアップしたかったんですが、少し遅くなってしまいました。

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