『最下位の血』
少し茜に染まった空の下を、男の子がとぼとぼと歩いていました。
名前を『かず』くんといいます。
小学4年生のかずくんには、ひとつ、重大な悩みがありました。
かけっこで、どうしても一番になれないのです。
足が遅いわけではありません。タイムを計れば、むしろクラスで一番速いくらいです。それなのに、運動会の100m競走では、どうしても一番になれないのです。
去年は、先頭を走っていたら突然季節はずれのスズメバチが飛んできてまとわりつくのに気を取られ、結局最下位でゴールしました。その前の年は、誰かが連れてきていたポメラニアンがグランドに乱入してかずくんを追いかけ回したので、やっぱり最下位でした。その前は、次に使うはずの大玉転がしの玉が、どうしたわけだか転がって、かずくんの進路を阻み、最下位でした。
『一度くらい、一番を取ってみたいよなぁ』
空を見上げてため息をつく仕草が妙に老けて見えました。
「お父さん、どうしてぼく、かけっこで一番になれないんだろう?」
お風呂上がりでビール片手に新聞を読むお父さんに、かずくんは
そう問いかけました。
「・・・・・・いきなりどうしたんだ?」
「だって・・・来週なんだよ? 運動会。ぼくだって一回くらい、100m競走で1番取ってみたいよ」
しょんぼりうつむくかずくんに、お父さんは不思議なことを言いました。
「仕方がないんだ、かず。うちは、そういう家系なんだから」
「・・・・・・? どういうこと?」
「うちはね、『最下位の血』を受け継いでいるんだよ」
「『最下位の血』ぃ!?」
すっとんきょうな声をあげるかずくんに、お父さんはゆっくりと昔話をはじめました。
「そう。昔ね、速足自慢だったうちのご先祖様が、やはり足の速いことを自慢にしていたある人と、お殿様の前で競走をしたんだそうだ。結果はほとんど五分でね、でもほんの少しの差で、ご先祖様が勝ったんだ。そこまではよかったんだが、そのすぐ後に、負けたことをからかわれた相手の人が、自害・・・自殺だね、してしまった。自分が悪いわけでは決してなかったけれど、やはりご先祖様はそのことを気になさってね、以来、ご自身は決して競走をなさろうとはせず、亡くなるときには子孫に『我が血筋をもって最下位の血とする』と言って亡くなったんだそうだ」
それ以来、うちの家系は競走で一番になることはないんだよ。
静かに笑ってお父さんが言いました。
「迷惑な話だなぁ・・・。子孫のことも考えてほしいよ」
つぶやいたかずくんにお父さんが笑いかけます。
「まあ、お父さんも子供の頃はそう思ったけどね」
「今は、ちがうの?」
「うん。今は、ご先祖様の気持ちもわかるしね。それに、誰だってビリはいやだろう?」
「そりゃそうだよ、ぼくだっていやだもん!」
「そうだろうね。でも、こう思ってごらん。かずが友達を守ってるんだって。かずの競走の相手は、みんなやっぱりクラスで足が速い子たちだろう?負けたら悔しいよね。そうして、一緒に走って、かずが何故かビリになる。足が遅いわけじゃない。みんなもそれを知ってる。でも、負ける。これはね、ご先祖様が子孫に与えた試練なんだよ。みんながいやがることを、耐えることができるかどうか。能ある鷹は爪を隠すってことわざがあるだろ?ご先祖様は、それができる人間になれって言ってるんだよ」
「なんか、いまいちよくわかんない気がするけど・・・要は、ぼくがビリになることで、必要以上に悔しがる人をなくそう、ってこと?」
「ま、そういうことかな」
ぽんぽんとかずくんのあたまを軽くたたきながら、お父さんが付け加えました「ただし・・・」
「ただし、わざと負けちゃいけないぞ。かずは全力で走らなきゃいけない」
「え〜〜、なんか矛盾してない、それ?」
かずくんは不満顔です。
「そうか? じゃあ、かずは、相手にわざと負けてもらって嬉しいか?」
かずくんは思いました。『嬉しくない、ちっとも』
それに、と、お父さんが続けます。
「第一、わざと負けようとしたら、ご先祖様が怒ってひどいめにあうぞ」
「ひどいめって?」
かずくんが首をかしげると、これ、とお父さんがズボンのすそをまくりあげました。のぞきこむと、右のむこうずねに長さ15cmくらいの傷跡がうっすら見えます。
「お父さん、これ・・・」
「昔、一度わざと負けようとしたことがあったんだ。そしたら、ちゃんと石拾いをしたはずなのに、大きな石につまづいてね、その上なぜか転んだ場所にちょうど割れたガラスが顔を出していて、それでざっくり」
罰があたったと思ったね。
『全力を出せ、でも一番にはなるな、ってか?』
朗らかに笑うお父さんを横目で見ながら、かずくんはこっそりため息をつきました。
さて、運動会当日です。
プログラムは順調に進んで、かずくんの学年の100m競走が始まりました。
『今年はどんな手でくるんだろう?』
不安半分、期待半分で、かずくんはスタートラインに並びました。
ぱんっっ!
ピストルが乾いた音を立て、選手が一斉に飛び出します。
かずくんは先頭でした。ゴールテープまで残り40m、30m・・・
その時、「風船がっ!」という女の子の声が、かずくんの耳に飛び込んできました。なんだろう、と思う間もなく、目の前を赤い風船が風に乗って流れて行きました。
「あっ・・・!」
いつの間に自分がコースをはずれたのか、かずくんは覚えていませんでした。
でも、気が付いたときにはコースを大きく外れ、手には赤い風船が握られていました。
『あ〜〜あ・・・今年はこういう手できたか』
やれやれ、毎年毎年違う手を考えて、ご先祖様も凝り性だよなぁ。
心の中でぶつぶつぼやきながら、かずくんは『風船の持ち主』を目で探します。
女の子はすぐに見つかりました。コースのちょうど反対側で、観客席と競技場を分けるロープにしがみつくようにしてこちらを見ています。
「はい。今度は逃げられないように、しっかり握ってるんだよ」
持ちやすいようにひもを輪に結んでから手渡してあげると、女の子は嬉しそうにうなずいて「おにいちゃん、ありがとう!」と笑いました。
かずくんまで嬉しくなるような笑顔です。
「さ〜て、一応ゴールしなくっちゃ」
駆け足でコースに戻って、やっぱり駆け足で走り始めたかずくんを、同じグループで走った友達が、ゴールテープを持って待っていてくれました。
「ビリ〜〜〜っ♪」
笑いながらかずくんがゴールすると、みんなが拍手をくれました。
「まったく・・・美味しいヤツ」
ぐりぐりげんこつで頭をこづきながら友達が笑います。
「えへへ」
舌を出して、かずくんも笑います。
女の子が風船を持った手を元気よく振っていました。
『最下位の血』ってのも、悪くない、かな?
思った瞬間、ご先祖様の声が聞こえた気がしました。
『さ〜〜て、来年はどんな手を使おうかの?』
どうせならかっこいいのがいいなぁ・・・とかずくんは思いました。
終
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