── Drive
──
しばらくぶりの島影にまず船長が喜んで、碇を降ろし買い出しに出た港町は、そこそこの賑わいを見せていた。
買い出し部隊はサンジ、ナミに、ゾロとチョッパー。
ロビンが船に残るのはいつものことだが、ルフィとウソップが居残りなのは、大喜びで船を下りようとした彼ら2人に、ナミとサンジが声を揃えて
『一通り補給が終わるまで街に出るな!』
と厳命したからだったりする。
理由は簡単。
買い出しが終わる前に下手に騒ぎを起こされては、必要物資が揃えられなくなるからだ。
ナミから、ルフィと同じく“騒動の種”と見なされているゾロが同行を許可されたのは、単に荷物持ちとして使えるからだった。
それは薬を仕入れるために下船したはずのチョッパーも同様だったらしい。今ゾロの隣を歩く彼は、大きなソリを引いていた。
船を降りて繁華街に出るまでナミを乗せていたそのソリには、既にナミとサンジの収穫物が結構な量積み込まれている。
『チョッパー、ドライブ行こう! ね? あたしアンタのソリに乗っけてもらうのも好きなのよ、いいでしょ?』
言ってチョッパーにソリを出させたナミの言葉には一部真実も混じってはいたのだろうが、本音は『荷物持ちが欲しい』だったのは、この状況を見れば明らかだった。
雪の上で本領を発揮するソリに、石畳の街路はキツい。自然耳障りな音が立つ。
ザリザリザリ。
そのままチョッパーの苦労を物語るような音に、思わず、といった風情でゾロが言った。
「おい、重くねぇかチョッパー、大丈夫か?」
「え? ああ、大丈夫だよ?」
きょとん、と見返したチョッパーである。
確かに荷物は積まれているが、今のところそれほど重たいものはない。持って歩くにはかさばって邪魔だから、と、サンジとナミが置いていったものがほとんどだ。
だいいち。
「ってゆーかオレよりゾロの方がもっとずっと重そうなもの持ってるじゃないか、大丈夫か?」
言いながらゾロを見上げて、チョッパーは少し心配そうな顔をした。
「いや別に?」
平然と答えるゾロに呆れてしまう。
両肩に大きな酒樽を、紐で持ちやすくまとめてあるとは言っても2つずつ、合計4つも乗せていながら、「いや別に?」もないものだ。
チョッパーがソリに乗せている荷物より、絶対にゾロの酒樽の方が重い。どうせならソリに酒樽を乗せればいいと思うのに、それをゾロに言うと、
「いーんだよ筋トレだから」
と返されて。
結局、優しいのか単に筋トレが好きなのか、判断に迷うチョッパーなのである。
ザリザリザリ。
ソリに荷を乗せ酒樽を担いで、2人はゆっくりと大通りを歩く。
ざっと市場を端まで歩いて一通り店をチェックした帰り道。
チョッパーとゾロはゆっくりゆっくり港へと道を下る。サンジとナミは買い物をして、買い付けた物を2人に預ける。サンジとナミが買い物の途中でゾロとチョッパーを見失ったら大通りを港へ下ればいいし、逆にゾロ達が買い付け部隊を見失ったら、そのまま歩いて船に戻って構わない。
そういう取り決めのもとに、この買い出しは決行されていたりする。
──全ては天下無双の方向音痴のためである。
恐ろしいことにその“方向音痴”は己が方向音痴っぷりをまるで自覚していなかったりするものだから、チョッパーは迂闊に側を離れられない。
どのみちトナカイの姿のままでは薬剤を買うにも胡乱な目を向けられそうで、結局チョッパーは必要な品をメモに書き付けてサンジに渡し、自分は荷物持ちとゾロのお目付役にひたすら徹することにしたのだ。
ザリザリザリ。
先程それぞれ望む店へと入っていったサンジとナミは、まだ、姿を現さない。
ザリザリザリ。
だから、ゾロとチョッパーは、行き交う人や街並をゆっくりゆっくり眺めて歩く。
ザリザリザリ。
と。
──ガッ
ソリが道に転がる小石を噛んだ。
「うぐぇっ!?」
「チョッパー!?」
「げっほげほげほ……」
「おい、大丈夫か?」
問いかけながら、ゾロは酒樽を下ろしてすぐに小石を取り除いてくれた。
「ありがと、ゾロ。あー助かった!」
さっさと立ち上がったゾロをチョッパーが見上げると、アラバスタの王女に“ミスター・ブシドー”と呼ばれた男は、不機嫌で心配そうな、なんとも不思議な顔をしていた。
「……ゾロ?」
「いや……やっぱソリで石畳って無理があンだろ。荷物軽くするか、もうこれで一旦止めにして船へ戻るかしねぇか、チョッパー」
「なんで? 別に平気だよ?」
「いや、けどよ……」
言い募る姿につい笑いを零してしまった。
基本的にゾロは優しい。
どれほどぶっきらぼうに見えようと時々相当抜けていようと、一度護ると決めたものは極力護ろうと手を尽くす。
多分、今こんなことを言うのも、さっき引き綱に首を絞められたチョッパーを気遣ってくれているからだろう。
けれど、それは、チョッパーには。
「全然平気だからさ、ゾロ。このくらいの荷物、重くないし。それにさっきの石は、オレが足下ちゃんと見てたらきっと踏んでなかったし。ドクトリーヌにもそれでよく怒られてたのに、しばらくソリ引いてなかったから忘れてた」
そう。良くあること、だったのだ。以前は。
「大丈夫なのか?」
「うん」
「重たくねーのか」
「うん、平気」
「歩き辛かったりしねぇのか」
やけに心配そうなところを見ると、先程の“首を絞められたチョッパー”は、余程ゾロにはインパクトのある姿だったらしい。
──そんなに心配してくれなくていいのに。
「平気だよ。だって前は……」
冬島にいた頃は、ヒルルクやドクトリーヌの往診に同行して、もっと重いソリを引いていた。
ヒルルクやドクトリーヌと、薬や医療器具を入れた往診セット。ヒルルクは彼自身が結構な体重だったし、ドクトリーヌは医療器具が大量だった。合わせれば今乗せている荷物などより余程重い。しかも彼等の往診は、最後には患者の家族や患者自身に怒鳴られ追い出されることも多くて、全速力で走ることがままあった。
「だから今なんて楽なもんだよ」
心配される嬉しさを笑顔に変えて告げると、誤解したらしいゾロがしみじみと呟いた。
「お前……大変だったんだなあ」
さぞかし疲れたことだろう。
呆れたようにゾロは言う。
けれど。
──それは違う。
と、チョッパーは思った。
確かに全力疾走は疲れたし、投げ付けられる物を避けるのも一苦労ではあったけれど、ゾロが言うように大変なだけでも、疲れるだけでも決してなかった。
「大変だったけど、楽しかったよ?」
だから素直にそう返すと、
「ホントかよ」
とゾロが見下ろす。
「うん、ホント」
答えてチョッパーはまた笑った。
だって本当に楽しかった。
ヒルルクやドクトリーヌと一緒にソリで走るのが楽しかった。彼等を手伝えるのが嬉しかった。患者が回復するのが嬉しかった。怒鳴られて物を投げ付けられて追い出されるのはちょっと大変ではあったけれど、それでもやっぱり楽しかった。
何より、どれほど怒鳴られても、物を投げ付けられても、追い出されても、そうされるヒルルクとドクトリーヌがどこか楽しそうだったから、それがチョッパーには嬉しかったのだ。
『二度と来るなこのヤブ医者!』
『顔も見たくない! この魔女! ごうつくばり!』
『出ていけ! お前なんかの世話に誰がなるか!』
浴びせかけられる罵詈雑言も、二人はものともしなかった。
『ちくしょーっ、お前の世話になるなんて冗談じゃない、病気も怪我もするもんかっ!』
そんな風な言葉が飛んでくると、二人は軽やかに笑いすらした。
今なら、判る気がする。
何故、ヒルルクやドクトリーヌが、あんな風に楽しそうだったのか。
きっと彼等は思っていたのだ。
それでいい、と。
あの頃あの国にまともな医者なんていなかった。自分の手で守れる人数なんて知れていた。だから。
──病気も怪我もするもんか。
そんな意地や強がりが皆の心にいつもあって、それで病や怪我が減るのなら。
そういう医者もきっとアリだと、彼等は思っていたんじゃないだろうか。
そうしてこうも思うのだ。
罵詈雑言を笑って受け流しながら、わざとそうされるような行動を時に取りながら。
誰かが……患者自身でもいい、その家族でも友人でも誰でもいい、誰かが、
『お前にかかるくらいなら、自分で医者になってやる!』
と、そう、啖呵を切ってくれるのを、彼等は待っていたんじゃないかと。
結局、チョッパー以外にそういう存在が現れることはなかったけれど、イッシー達が医者の誇りを取り戻した今、あの国に、医者の卵が生まれていればいい。
チョッパーは願う。心から。
(ドクトリーヌ……)
故郷に思いを馳せたのが判ったのだろうか。
それまで黙って隣を歩いていたゾロが、ふと思い付いたようにチョッパーに訊いた。
「……思い出してんのか、冬島?」
「え……? うん」
「懐かしいか」
「うん。」
懐かしい。とても。
……でも。
「帰りてぇか」
「ううん」
冬島は懐かしいけれど。とてもとても会いたい人がいるけれど。
それでも、帰りたいとは思わない。
今は……まだ。
「そうか」
「うん」
答えるとゾロは優しい笑顔をくれた。
少しだけ湿り気を帯びてしまった空気を吹き飛ばそうと、チョッパーはこんな提案をしてみせる。
「そうだ、今度冬島寄ったらさ、ホントにソリでドライブしよーぜ!」
こんな石畳の上などでなく、サラサラのパウダースノーを蹴散らして、本当の、ソリでのドライブを。
見上げると、ゾロが笑った。
「ああ、いいな」
それはまだ先のことだけれど。
いつか冬島の雪を蹴散らして。
この仲間達を乗せて。
いつか。
それまでは、海の上。
時々はこんな風に、石畳や、土や、砂や草の上で。
──ねえ、ヒルルク。ドクトリーヌ。
二人と一緒のドライブも大好きだったけど。
オレ、こいつらとドライブするのも、すごく、すごく……好きだよ。
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