どうか あなたが 誰よりも --
『行けません』
行けません。
次も……その次も --
もう二度と……
そう告げた瞬間のあの人の顔を、自分は忘れない --
忘れることが出来ない。
あの人……都筑麻斗。
昔のあの人は、今と変わらず優しくて、今よりずっと不安定で……そうして自分は、あの人の3番目のパートナーだった。
顔も声も、性別さえも違うというのに、どこか母に --
守りたいと願いながら守れなかった母に --
似ているあの人を、自分は、守ろうと、守りたいと……守れると思っていた。
『俺の手は、血で染め抜かれて……』
思いの強さを試されて、魂を狩る死神になった人が、命を摘み取る度に涙を流す。
己の願いを叶えるために人を殺す、それが自分達死神だというのに、そうやって『仕事』をひとつ終える毎にあの人は揺れ、嘆く。
自分にも覚えのある感情ではあるけれど、そして死神となった者なら誰でも一度は通る場所ではあるのだろうけれど、皆、それをある程度割り切ってゆくというのに、あの人にはそれが出来ない。出来ずに、自身の闇の中に沈んでしまう。
だから自分がその涙を、嘆きを、受け止め、癒すことが出来ればいいと、そう思っていた。
けれど現実は望み通りには行かず。
『俺が殺した……』
そう言って涙を流すあの人を前にして、自分には何もしてあげられず……。
挙げ句、自分の中の闇まで呼び覚まされそうになって、そうして、逃げた。
自分が壊れないうちに。
泣き顔を見たくなかった。苦しむ姿を見たくなかった。泣きながら無理に笑うあの人を見たくなかった。
-- ただ、微笑っていてほしかった。
けれど自分には何も出来ず、何も出来ないままに、片羽で飛び続ける鳥のようなあの人を見ていることが辛くて……だから、逃げた。
『行けません。もう二度と -- 』
そう告げた時、慣れたから平気だと言ったあの人の寂しそうな横顔を、自分は忘れることが出来ない。
自分が降りた後も、あの人のパートナーは何度も代わった。
真面目に仕事をしたがらないあの人に愛想を尽かした者もいただろうし、自分と同じように、あの人の苦しみを見たくなくて降りた者もいただろう。そうしてその度にあの人は、あの哀しげな笑みを浮かべたのだろう。
それでも、パートナーとしてあの人の隣に立つことは、もう自分には出来ないから……。
-- あなただけは、幸せに……
ただそれだけを祈りながら、自分はあの人の側で、自分の心が壊れないだけの距離を保って、あの人を見つめてきた。
パートナーが決まらなければいいと、思わなかったと言えば嘘になる。
自分に出来なかったこと -- あの人を守ること --
を、やってのける誰かを待ち望みながら、そんな存在など現れなければいいと、心のどこか片隅で、確かに自分は思っていた。
そうして、彼が、現れた。
彼 -- 黒崎密。
彼になら出来る。あの人を支えることが。
遠く隔たった自分、隣に立つ彼。
寂しくない、などと自分を偽るつもりはない。けれど、あの人が笑っていてくれるなら、それでいい。
-- あなたが幸せなら、それでいい。
それだけが自分の願いだったのに……
なのにあの人は言うのだ。
『お前も 一緒でなきゃ 嫌だよ』
あの人は言うのだ、自分一人幸せになるのは嫌だと。みんな一緒でなければ嫌だと。
優しい言葉が自分を縛る。
自分の想いに気付いてくれた、その嬉しさが心を暖める。
『みんなが幸せならいい』
あの人が呟く。
それがあなたの願いなら……
それなら、誰よりもあなたが、幸せであって下さい。あなたが微笑ってくれるなら、私は
-- 私達はそれだけで嬉しいのだから。
あなたが幸せなら、きっとみんな幸せなのだから。
だから、幸せであって下さい。
どうか あなたが 誰よりも --
終
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