ミッドナイトシンデレラ
焼き上がったハンバーグを皿に移し、和風のきのこソースをかける。ご飯を盛りつけ、冬瓜のスープをよそって、氷を入れたグラスに麦茶を注ぐ。真ん中にはバジルを散らしてドレッシングをかけたトマトと、かぼちゃのサラダ。
「よし。」
自分の『作品』の並んだテーブルを見渡して、紅尾は庭に面した居間の窓際に陣取る少女に声をかけた。
「かりんー、ごはんできたよー」
「はーい」
ぽん、と跳ね上がるように立ち上がり、ぱたぱたと軽い足音でダイニングにやってくるのは、篠宮花梨。もうすぐ15。紅尾の従兄の一人娘だ。
「やった、紅尾さんのごはんだ!」
喜ぶ花梨を見下ろして、呆れた声で呟いた。
「あのさぁ、ほんっとに、今から食べるの?」
ただいまの時刻、午後5時30分。
いくらなんでも早すぎないか?
それならそうで品数を減らそうと思ったのだが、花梨からのリクエストが出たのでそれもかなわなかった。
──ホントに食べるのかこれを今から?
無言のまま視線で問いかける紅尾を、見上げて花梨は握り拳で主張する。
「いいのー。だって暗くなったらそばにいないと、見逃しちゃうもん」
「……さいですか」
苦笑混じりに小さく答えて、紅尾もテーブルに着く。
隣で桜里と清流がクスクス笑った。
*********
3日前のことだ。従兄から電話があった。
『紅尾、月下美人、見に来るよな?』
一夜限りの花、ミッドナイトシンデレラとまで呼ばれるその花を、見てみたいと常々紅尾は思っていたから、一株育てている従兄に、咲きそうになったら知らせてくれと頼んでありはしたけれど。
去年初めて、ひとつだけ開いたをその花を、仕事の都合で見逃してしまった紅尾だから、今年こそはと思ってもいたけれど。
それでも従兄の妙な断定口調が気になって
『そりゃ見たいけど……でもその口調、アヤシイなあ。何か、ウラ、ない?』
鎌を掛けてみたら、案の定。
もとより隠すつもりもなかったのだろう、相手はあっさり自白した。
『バレたか。いや今回丁度週末に咲きそうなんだけどな、俺達夫婦、週末ちょっと泊まりがけで出なきゃいけないんだ』
『は〜ん。ナルホド。で、月下美人をエサに私を呼んで、花梨の面倒見させようって魂胆なわけだ』
『ご名答。ダメか?』
『いーえ。ダメじゃないですよ、オニイサマ。釣られて差し上げましょう、月下美人に』
答えて紅尾はここにいる。
清流と桜里までいるのは、『一人だけ月下美人の花を見るのはずるい!』との二人の波状攻撃に、紅尾が敗北を喫した結果だ。同席するのが花梨──紅尾ほどではないにしろ血筋故かやはり色々なモノを視る──一人というのも、紅尾の折れた一因ではあったが……
今、桜の精霊と地気の化身は、食事を終えた花梨を真ん中に、月下美人の鉢の前に陣取って、世間話を繰り広げている。
(変なトリオ。)
洗い終わった食器を乾燥機に任せ、デザートにと冷やしておいた桃をむきながら、見やって紅尾は他人事のように思った。
(ま、花梨のことは言えないけど)
──種族だのなんだの、そんなことはうっちゃって、会話が出来れば楽しい。
こんな風に考える紅尾だから、清流と同居もできるし桜里達ともつきあえるのだ。
(さて、私も混ざるか。いくらなんでも今回見逃したら空しいし)
切り分けて皿に盛り爪楊枝を添えた桃と、麦茶のグラス4つを一緒に盆に乗せ、
「ほい、デザート。冷たい内に召し上がれ」
居間へと移動した紅尾は、フローリングの床に直接盆を置き、自分も花梨達のそばに腰を下ろした。
「やったー♪」
待ちかねたように手を伸ばす花梨は、そんな時でもちらちらと月下美人を気にしている。
それを左右から覗き込んで、
「花梨ちゃん、どうしてそんなに一生懸命なんですか?」
半ば呆れた風に、紅尾達の感想を代表して口にしたのは、清流だ。
ごくあたりまえの疑問、のはずだった。
少なくとも紅尾や清流や桜里にしてみれば。
けれど、
「え……?」
問われて清流を見返した花梨の目には、驚きとも、怯えとも、痛みとも、卑下とも取れる、何とも複雑な感情が浮かんでいた。
「…………花梨? 何故そんな顔をする」
言って桜里が花梨の肩にそっと手を置く、それだけのことに、花梨の華奢な肩がピクンと揺れる。
なにかあるな、とは、言葉にはしない三者共通の意見だった。
「花梨。父さんも母さんもいないんだから、ぶちまけるなら今のうちだよ」
ショートカットの頭をポンポンと軽く叩いて、紅尾が先を促す。
「…………ん。」頷いて、それでも花梨は俯いて黙り込んだ。
「花梨?」「花梨」「花梨ちゃん」
急かすではなく、ただ穏やかに、紅尾達は少女の名を呼ぶ。
そうしてまたしばらく時が過ぎた後、
「ちょっと、ね……」
ぽつりぽつりと花梨が言葉を紡ぎ始めた。
「ちょっと、変わりたいなって、思ったの。あんまり考えないで今まできて、あんまり深く考えないでパパさんやママさんや先生に言われたとこ……偏差値高いとこに志望校決めて……それでいいのかなって、思って、ね」
──ちょっと空しくなっちゃったりして。
「えへへ」と、花梨は恥ずかしそうに笑った。
「まあ、どうしてもってとこがないなら狙える中で一番いいとこへ行っとくのも後々の花梨のためだとは思うけど。その選択が間違ってるとは思わないけど……でも、変わって、みたかった?」
訊ねる紅尾の声は優しい。
「うん、ちょっとね。」
──それでも、それじゃ『自分で決めた』って胸張って言い切れない気がするから。
答える花梨の言葉を、紅尾は馬鹿馬鹿しいとは思わなかった。
覚えのない感情ではない。多分、誰でも一度はこんなことを考える。
「それで、月下美人、か?」
やはり優しい瞳で花梨を覗き込んで、桜里。
「うん。ほら、月下美人って、結構特別な花って気がするでしょ? 咲いてる時間も短いし。だから……」
だから、一夜しか咲かない花の、花開く瞬間に出会えたら、それだけで嬉しくて何かが吹っ切れる、そんな気がした、と。
そんな風に花梨は続けて。
──気分を、気持ちを切り替える、きっかけが欲しい。
多少幼くはあっても花梨の気持ちは決して理解できないものではなかったから、紅尾達はかける言葉を探しあぐねていた。
そんな時。
ふわり、と、強く、なんとも言えず甘い香りが漂って、同時に声が飛んできた。
「なぁーによ、ソレ。ばっかみたい!」
言葉の前に「ポンッ!」と何かが弾ける音がついていてもおかしくないほど威勢良く投げかけられた台詞に、思わず「こらこらこら、そんなコトきっぱり言うんじゃないっ!」と叫びかけて、紅尾はすんでの所で踏みとどまった。
空気が、甘い香りを漂わせたまま、疑問を含んで固まる。
──今のは、ダレだ?
紅尾なら状況に応じてそんな台詞も吐くが、どっこい今のは紅尾ではない。桜里も同じく言うときには言うが、言葉遣いが違う。清流に至っては、そもそもこんな台詞を言うような性格を持ち合わせていない。
発言者を捜せ。
見交わした目の中に同じ色を読み取って、紅尾は……そして花梨も、桜里も清流も、恐る恐る、声の聞こえた方に視線を向けた。
声の聞こえた方……
月下美人の鉢の方へ。
そこには、少し色の濃い肌に良く映える白いノースリーブのワンピースを身に纏った、くっきりした目鼻立ちの黒髪の少女が立っていた。
──誰ですかキミは。
花梨はきょとんと目を見開いて。紅尾と桜里、清流は、それぞれ額に手を当てて、頭痛を抑えつつ同じ事を思う。
一番早く立ち直ったのは、罵倒された花梨。
「バカみたいって何よ、失礼な! 大体アンタ誰!?」
「見て判らない?」
「判らないから訊いてるんでしょ!」
「ふ〜ん。で、そっちのあなたは?」
視線を向けられた紅尾が、溜息混じりに答えを返した。
「見当はつくよ、大体ね。月下美人の精霊、でしょ?」
──月下美人のイメージとはちょっと、いやかなりかけ離れてるけど。
溜息にはそんな想いも隠されていた。
「あったり〜。名前はルーナよちなみに」
対する少女の声はどこまでも明るい。
「え……? えっ、えぇ〜〜〜っ!」
「精霊!?」と口をぱくぱくさせながら花梨が叫ぶのに、
「そうよ。文句ある?」
「いや。ないけど。何だってまたいきなり現れるんだ? 普通精霊って、そうそう簡単に人間の前に姿見せないもんだろう」
返したルーナの言葉を引き取って、やはり溜息をつきながら紅尾は言ったが、
「だって。ここには桜の精霊と地気の化身がいるのに、何で遠慮しなきゃいけないの」
ルーナの答えはもっともだった。
桜の精霊・桜里。地気の化身・清流。紅尾も花梨もこのふたりと対等に話しているのだから、月下美人の精霊が遠慮するはずがないし、その必要もない。
「まあ、その通りじゃな」「確かに」
苦笑混じりの桜里と清流に、紅尾も「そおでした」と同意するしかなかった。
「で、姿を見せた本当の理由は?」
まさか桜里と清流がいるから遊びに、というわけではないだろう。
問いかけた紅尾に、返された答えはにべもない。
「だって、バカみたいって思ったんだもの」
「バカみたい、って、どういうことですか」
少しだけムッとして清流が詰問するのにも
「だってそうじゃない? あたしが咲くのを見たくらいで、自分を変えられるだなんて」
月下美人の化身はしれっと答えた。
「そりゃ、そうだけど……でも。だって。だってきっかけが欲しかったんだもの!」
上目遣いにルーナを睨んで、花梨は涙ぐんでいる。花梨の肩に手を置いて、清流もルーナを睨んでいる。紅尾と桜里は、意味ありげな視線をルーナに向けた。
その、視線を受けて、でもないのだろうが。どちらかと言えば花梨の涙混じりの言葉を更に叱りとばす形で、ルーナがうんざりしたような声を出した。
「だからよ! だから。あんたがそんな風にうじうじしてるから! だからいっそもっといいきっかけ作ってあげよっかなー、なんて思ったんじゃないの!」
「花が咲くのを見るよりもっといいきっかけって……?」
小首を傾げて呟いて、それからいきなり花梨が叫んだ。
「あーっ! 月下美人!」
花梨が指さす先には月下美人の鉢。伸びた茎、すらりとした葉。花茎。その先端で揺れるのは……
「あー、咲いてるや」「咲く瞬間、僕も見たかったのに」「見逃したのぉ、きっちり」
やれやれ残念、と肩をすくめて、紅尾と桜里と清流が苦笑する。
「まあでも、月下美人の花を見られただけで十分嬉しいからいいか」「ですね」「じゃな」
笑顔で見交わす紅尾達の隣で、ひとり花梨だけが不満げだった。
「どーしてくれるのよっ、見逃しちゃったじゃない! せっかく、せっかくぅー!」
──せっかく、自分を変えるきっかけにしようと思って、ずっとずっと待っていたのに。
むくれる花梨に向かって、またしてもルーナが笑った。
「ばっかねーあんた。だーから。月下美人の花を見るのと、その精霊を見るのと、どっちが珍しいと思ってんのよ?」
「そ、それは……」
「精霊でしょ。違う?」
「……違わない」
「だったら! そんなにむくれないで欲しいわね。いっそ感謝して欲しいくらいよ」
「ん……ありがとう」
ルーナに押される花梨を見やって、紅尾達は面白そうに笑っている。
気付いたのだ。紅尾も桜里も清流も。ルーナが現れた本当の理由に。
「でもなぁ……」
「何よ?」
「でもやっぱり見たかったな、ルーナさんの花が咲くところ。そしたらやっぱり、きっかけに……」
「ええい、まだ言うかぁー!?」
うにーっと花梨の頬を引っ張って、ルーナが花梨の顔の形を変える。とことん世間一般の『月下美人』のイメージを崩してくれる精霊だった。
吹き出した紅尾達を横目に、ルーナは花梨にこんこんと諭している。
曰く。
「親や教師の言いなりったって、最終的に決めたのはあんたでしょ。親や教師の意見参考にして、いいと思ったから決めたんでしょ、違う? だったら堂々としてりゃいいのよ。やりたいことがとりあえずなかったら、後でやりたいことが出来た時自分の選択肢がなるたけ多くなるようにすればいいのよ。そうでしょう?」
「うん。……うん。そっか……そうだよね」
いちいち頷く花梨の顔は、頷く度に晴れていった。
紅尾達も、優しい瞳で視線を交わす。
多分これを言うために、この気の強い月下美人の精霊は、花梨の前に現れた。
大輪の花。純白の花。甘い香りを漂わせ、一夜限りで咲いて終わる夢のような花。
イメージは限りなく儚いのに、その精霊がこんなにもパワフルなのは何故だろう。
多分当人以外の4人全員が、同じ事を思った、その時。
それぞれの顔に浮かんだ表情からその思いを読み取ったのか、ふふん、と笑ってルーナが言った。
「あなたたち。月下美人にすごい幻想抱いてるでしょう。儚いとか夢のようとか幻とか」
「え? ええ、まあ……」
ははは、と笑い返す紅尾のココロをイヤーな予感がふっとかすめる。同じように少し引き気味になった桜里と清流と花梨を見渡して、ルーナは勝ち誇ったように告げた。
「おあいにくさま。あたしは儚くなんかないわよ。確かにあたしの花は一晩で咲き終わるけどね。でも。忘れてると思うから思い出させてあげるけど。いいこと? あたしは、多年草で、常緑で。でもって極めつけは、サボテンよっ!」
サボテンと月下美人。稲と竹が親戚だと言われるよりももっとそぐわない気がすると、紅尾も花梨も桜里も清流も思った。
──知ってはいるけど、今この瞬間に思い出させないで欲しかった……。
ココロの叫びを知ってか知らずか、ルーナは更なる爆弾発言を繰り出す。
「ふっふっふ。もっといいこと教えてあげるわよ。いい? あたしの花はね、食べられるのよっ!」
エディブルフラワー・月下美人。
「ああっ、何かそれだけは言って欲しくなかった気がするっ!」
──ミッドナイトシンデレラって、月下美人は別名があるけど……そういえば本家本元のシンデレラも、実は結構強かったよな。
そんなことを思いながらルーナの台詞で頭を抱えた紅尾の叫びに、花梨も桜里も清流も頷いて、ちからいっぱいの同意を示した。
完
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