●コレギウム・ヴォカーレ日本公演
2000年5月30日(火)18:30/東京オペラシティコンサートホール
(プログラム)
J.S.バッハ :マタイ受難曲BWV.244
(演奏)
指揮 :フィリプ・ヘレヴェヘ
独唱 :デボラ・ヨーク(ソプラノ/ピラトの妻)
インゲボルグ・ダンツ(アルト/証人1)
マーク・パドモア(福音史家)
ハンス=ペーター・ボロホヴィツ(テノール/証人2)
ステファン・マクラウド(イエス/バス)
ペーター・コーイ(バス/ピラト)
エリザベス・ヘルマンス(女中1)
マリア=ルス・アルヴァレス(女中2)
ドミニク・ウェルナー(ペトロ/祭司長1)
ドナルド・エントフェルセン(ユダ/祭司長2)
管弦楽と合唱:コレギウム・ヴォカーレ
児童合唱 :東京少年少女合唱隊
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午後6時頃の初台はマタイを聞くために駆けつけた人々で混雑している。おそらく今日は満席に近いのではないだろうかと直感した。ヨハネの時にプログラムを買っていたのでマタイの対訳を頂くことができた。もっとも字幕スーパー付きの公演であったが対訳を対照しながら聴くのが好きだ。
座席は1階でも左の扉に近い壁より。このポジションは左右に分離した合唱を聞くにはちょっとアンバランスだ。それに左手前列にビデオカメラがあって、ちょっと目障り。今日のライブは7/23にBSで放送されるとのこと。
さて、前回のヨハネ同様、予想とおり素晴らしい演奏となった。一味もふた味もちがうというよりも、確固たるバッハの真髄を聴かせてくれたと思う。個人的には前回のヨハネのほうが音楽的に魅力を感じない訳でもないが、やはりマタイの方は魅力度で勝っているのは事実。
個々のアリア、コラールなど聴き所を素晴らしいソロや合唱で聞けるのは最大の喜びでもあるが、マタイの場合には断片的な美しさよりも全体を通してのドラマを如何に把握し、祈りの境地に至れるかがポイントだと思う。そういった観点からヘレヴェヘの指揮は実に行き届いたもので、受難のドラマを淡々と進めながらも、次第に集中力あるドラマを極自然に作り上げていた。この淡々とした自然さが何とも深い感銘を与えてくれる。
よく聴くと各楽曲ごとの抑揚も巧み。例えば第2部の大詰めイエスが息を引き取る場面。福音史家による61番のレチタチーヴォはとてもピアニッシモに語らせ、しかもゆっくりと。その後に長いパウゼを置き、実に緊張した中、62番のコラールが静かに聞え始める。続く63番の福音史家の語りは間髪を入れずほとんど畳み掛けるように語らせる。こういった単純なようでいて、良く考え抜かれたテンポの進め方は絶妙と感じた。このような細部の指揮運びの積み重ねが壮大で深い感銘をもたらすのだと。特に第2部の集中力は素晴らしいもので、コーイが歌う65番アリアは感動のピークを覚えた。そのテキストは「おのれを浄めよ。自らの心を清めてイエスに入っていただく」という下りであるが、ドラマの流れはすべてここに成就するのではないかと。ヘレヴェヘの淡々とした音楽づくりもここで最も感動的だった。ついでながら67番での安らぎと希望を感じさせるソリスト達の歌と音楽。そしてフィナーレの合唱ではあくまでもイン・テンポを守り、主観的な感情を押さえながらも感動に至らしめて静かに祈りへ・・・暫くしてから拍手。オペラとは異次元の感動のためか拍手はしたくはない。前回のヨハネ同様に拍手はしないでホールを出ることにした。