●東京交響楽団定期演奏会「21世紀への挑戦」
 2000年3月4日(土)18:10/サントリーホール
(演奏)
 指揮=秋山和慶
 ソプラノ=森川栄子、サラ・レナード
 ピアノ=菅原幸子、辺見智子
 笙=宮田まゆみ
 語り=土師孝也
 ヴォーカル・グループ
 ソプラノ=坂本江美、渡邊史、宇留嶋美穂、大木美枝
 アルト=戸邉祐子、押見朋子、有本泰子、浪川佳代
 テノール=長谷川暁生、福留和大、志田雄啓、板橋江里也
 バス=高澤孝一、松平敬、石崎秀和、木村聡
 語り(録音)=桂竜也、野沢由香里
 副指揮:飯森範親、マティアス・ヘルマン、吉田行地
 絵画:山野辺英明
 ヴィデオ:梶木一郎、野中春江
 監修:ヘルムート・ラッヘンマン
(プログラム)
 ラッヘンマン:歌劇「マッチ売りの少女」(演奏会形式、日本初演)
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今シーズン東響定期の最大の山場はラッヘンマンの「マッチ売りの少女」。今日その日本初演が行われた。これはラッヘンマンが10年間気が遠くなるほどの困難に直面しながら作曲したまさに彼のライフワークとなる作品。いちおう歌劇とはなっているが、一般的なオペラ作品ではない。あるのはオーケストラとヴォーカル、ソリストといった音楽に多少のヴィジュアルを加えた舞台作品となっている。

はっきりいって、かなりの衝撃的な作品だと思う。たしかに通俗的な概念を排除し、音楽とドラマを再構築した作品とは聞いていたが、ここまで超越した作品だったとは。昨年見たベリオのオペラ「クロナカ」やリゲティの「グラン・マカブル」などはラッヘマンと比較すればバロックオペラに見えてくる。むしろ映像と照明によるシンプルなステージと壮大な音響空間による一大カンタータという印象を抱いた。

聞えてくる音楽はいわゆる音楽ではなく、特殊奏法それも楽器の極限状態から発せられる生々しい響きのモザイク模様。レイアウトも巨大で指揮者を取り囲む弦楽八重奏の外側左右にさらに弦楽器とヴォーカルを配置。2階席バルコニーの至るところにも各種アンサンブルを配置し実に壮観だ。全ての音は長く続くことはなく、時によってノイズとして扱われている。シンプルな音響素材が重なり集合することで独特の響きが作られる。

冒頭のヴィデオが写しだした流氷と音楽は「マッチ売り」の凍えを描き出す。途中、かなり強烈な音楽表現と遭遇するが、前半は異様な音表現に馴れていないためか、かなりの拒絶反応も感じた。しかし良く聴くとラッヘンマンの音楽も作られたものではなく、自然界に存在する響きの集りであり、ある種の親和感すら感じられるようになってくる。特に中盤以降はサラ・レナードの悲痛なヴォーカルに「マッチ売りの悲惨さ」を痛く感じ入る。響きには残酷さ、悲哀さ、自然さなどの要素がカットグラスのように散りばめられている。これら既存の感情要素を見出した時には、不思議な安堵感も覚えた。

しかしこの作品の響きはとても複雑だ。沢山のアンサンブルで構成されているので、指揮者のスコアもいったい何段になっているのか想像できないほど縦長。輻輳するノイズで風や動きのある響きは時に美しく、時に醜く、その表情の多彩さは驚くほどであるが、これを演奏した東響のテクニックも素晴らしい。いずれにしても今日1回だけでは作品の把握がとても出来ない。機会があればハンブルク初演のようにオペラ形式で聴いてみたい。


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