●新星日本交響楽団定期演奏会
2000年2月19日(土)18:30/サントリーホール
指揮:オトマール・マーガ
(プログラム)
湯浅譲二 :組曲「芭蕉による情景」
1.冬の日や 馬上に氷る 影法師
2.あらたうと 青葉若葉に 日の光
3.月はやし 梢は雨を もちながら
4.名月や 門に指し来る 潮頭
−休憩−
ブルックナー :交響曲第8番ハ短調(第2稿1890年ノヴァーク校訂)
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かつては新星日響を良く聴いたものだったが、都民芸術フェスティバルなる廉価版演奏会でのひどい手抜きに出くわし、以来、このオケはあまり聞かなくなった。しかし昨年のヴェロ指揮の名演と歌劇ジョコンダに感激し、もう一度このオケの真価を確認したくなった。そんな中、マーガのブルックナーの8番の予告に妙に惹かれるものを感じていた。予感は的中した。実に素晴らしい演奏であった。あまりにも感動したためか、素晴らしいなどという言葉自体が意味をなさないのであるが、今日の演奏を思い出してみたい。
本題のブルックナーに入る前に、今日はもうひとつの収穫があった。それは湯浅譲二作曲「芭蕉による情景」。これは芭蕉の俳句に基づき、湯浅の心象世界を描いたものだ。とかく現代作品は馴染み薄であり、印象に残りにくいものであるが、芭蕉を扱った切り口といい、その音楽の出来の良さに感心した。まずもって音楽の響きが良い。響きは実体を伴い、パートからパートに受け継がれる。まるで生き物がオーケストラという空間を流れているようであり、静止と動きが共存したような不思議な感覚にとらわれた。それに音楽が心地よく、芭蕉の俳句を味わう心境に相応しい気持ちにさせてくれる。静かな組曲ではあるが、アンサンブルもすこぶる優秀で、ピアニッシモのハーモニーが心に響いた。
さて本題であるが、冒頭のアンサンブルから度肝を抜く素晴らしさに釘付けとなった。フォルティッシモの伸びの良さも十分に、実に充実したアンサンブル。中高音域にややエネルギーを感じないでもないが、そのブルックナーサウンドにまず圧倒された。ブラスは微塵もけばけばしさがなく、弦や木管同様、実に耳当たりがよく、何か木を感じさせてくれる。それは巨大な樹木といってよく、幹の太
さも十分に大地に根ざした音楽である。これが枝分かれし、葉がつき、森林を形成する。音楽は次第にピアニッシモに移るが、その集中力は緩むことなく、全体がマーガの指揮に集中する。そう、この素晴らしさはマーガの素晴らしい指揮に発している。とにかく彼の作品への掌握力はただものではない。
演奏プログラムにマーガの挨拶が記されているが、その中に「第8交響曲の完全な解釈を行う」と確信に満ちたコメントが載っている。彼をしてここまで発言した自負は今日の演奏を聞いてみれば明らかである。完全な解釈、それはまるでブルックナーという聖典を具体的な音楽として我々を感動に導くことに他ならない。このように書くととても抽象的なイメージとなってしまうが、要するに万人を文句無しに感動させ、魂をゆさぶる音楽と言えば良いかもしれない。
ブルックナーの音の連なりにしろ、ブラスの咆哮にしろ、全てを包含する原理を垣間見たようだ。マーガは確実にこの悟りの境地を我々にも教えてくれた。そのように感じるのも、ブルックナーの雄大で崇高なエネルギーがステージに実在し、我々を包み込んでくれた。この巨大なエネルギーはステージに実在するのではあるが、我々の体の中からも湧き出すような錯覚すら覚えた。すなわち我々もこのエネルギーに同化し、これらが宇宙を形成するといっても良いかもしれない。
第3楽章の祈りの音楽と第4楽章の圧倒的な宇宙。全体を通して熱い感動が湧き上がる。まさに身震いするほどのブルックナー8番である。かつてのマタチッチ&N響の名演を遥かに凌ぐ出来といってもおかしくないであろう。それに今日の新星日響の熱演も素晴らしかったこと。これほどオーケストラを燃え上がらせることのできるマーガは本当の巨匠と呼ぶに相応しい指揮者だと思う。