傀儡 (くぐつ) のよしなしごと 18 [ 2004年4月 ]


Artis's Elaine
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2004年4月4日(日曜)

昨夜はインディアナのカジノに隣接する、ココ・テイラーの名前を冠したカフェ・レストランで、女性ボーカルのデロリス・スコットとデュオ。

カフェは食事客ばかりなので盛り上がるはずもなく、盛り上げるつもりもなく。でもオレ一人で8曲ほど演奏し、その内2曲を唄わされる。エエんか?日本人がソロで営業して。

今年も既に4月。先月末まではエイプリルフールに気を付けねばと思っていたが、もう3日も過ぎている。ちょこっとした悪戯のイベントなのに、誰も何の芸もなく過ぎている。

こちらで初めて、それも思いっきり騙されたのは、確か86年のことだったように記憶している。当時は国際電話が高額(約300円/分)でインターネットもなく、日本の情報には疎かった。知り合いの日本人駐在員のお宅にお呼ばれし、昨日本社から送られて来たというファックスを見せられた。

「松田聖子と神田マサキが、紅白歌合戦後帰宅途中に交通事故死」

郷ひろみとの破局を乗り越えた松田聖子が神田マサキと結婚したことで、日本のマスコミが騒いでいたのは知っていた。オレには別にどうでもいいことだったが、数カ月の付き合いで結婚に至るほど、互いを理解できるとは思わないので、どちらかといえば、浮ついた皮相な愛情に嫌悪を感じていた。

しかし手書きの文面を鵜呑みにしたオレは一瞬絶句する。話題の二人が事故死したとなると話は別で、胃がしくしくするような悲しみに感化されてしまった。駐在員の奥さんがニヤニヤしていたのにも気付かず、正月気分はどこか消沈・・・へっ、正月?そうだ思い出した。正月の2日にお呼ばれしていたのだ!記憶が曖昧で4月1日に騙されたと今まで勘違いしていたが、考えてみれば、海外に住みいくら情報が遅れたり入り難いといっても、紅白から数カ月経っているのに、そんな話題性のある事故を知らないのもおかしい。大体エイプリルフールのその日にみすみす騙されない。

三箇日を終え、別の駐在員にその事故を知らせたとき、「何、あなたも引っ掛かったの?」と大笑いされた。日系駐在員社会では正月にウソを流布する習慣があると言う。元旦に本社からファックスを送る人間がいようはずはない。簡単に引っ掛かった自分を恥じながらも、神田夫婦の無事を喜ぶこともなく、次の年にはどんなウソがまかり通るかだけを楽しみにしていた。一度洗礼を受けたオレは、次回には騙す側に廻るつもりだったので、是非その恩恵に与りたいと願ったが、願ったことさえ忘れていた。

あれ以来20年近く経つが、これまで正月に騙された人の話どころか、駐在員社会のウソ回覧の習慣さえ耳にしない。後味の悪い騙され方はあるが、あれだけ綺麗に騙されたことは覚えがない。人の不幸をネタにするのは不謹慎なことだが、見事にハマった若い自分を想えば可愛らしい。

インディアナから戻って、インターネット将棋を観戦状態にしたままカウチでうたた寝をした後、壁時計とマックの正確無比な時計が一時間ずれていることに気が付いた。ちゃんと毎日ニュースを観ていれば分かるのに、最近はケーブル映画ばかりでニュースにチャンネルを合わせない。冬に一時間得した気分が損をする夏時間。ハッ、ビデオの録画!

週末深夜の楽しみにしていた映画は、後半の一時間しか録画されていなかった。


2004年4月5日(月曜)

今夜は満月のようだ。少なくともオレの目にはそう見えた。

アパート近くのフリーウエイを東へ進みアーミテージの辺を過ぎると、世界有数の夜景が、ゆっくりと浮かび上がるように現われてくる。ミシガン湖沿いに長く広がるダウンタウンのビル郡の直ぐ上方に満月はあった。昇って間がないため少し暗いが大きく、重くて落ちそうにゆらゆらとしている。街の光の量感を抑えながら、雲のない澄んだ夜空にようやく鎮座しようとていた。

オレの育った京都は三方を山に囲まれているため、地平線(水平線)に昇り(沈み)掛けの太陽や月を拝むことはできない。およそ山国の日本では、大半の地域が同じ条件なのだろう。山のないシカゴでは、建物の少ない開けたところに出れば、遠く地平線まで見渡すことができる。また東には海のようなミシガン湖が広がっているので、太陽や月が一番綺麗で大きくなる、それぞれの出と入りを眺めることができる。

だからシカゴに来るまでは、月があんなに大きく見えることなんて知らなかった。月の魅力にとりつかれてからは、いつか眺望の良い場所から、湖上に昇り掛けの満月を観たいと願っていた(2001年12月9日参照)。年に十数回しかない満月の頃に、東の空が水平線まで晴れ渡っていて仕事のない夜、または仕事の時間帯以外の月の出という条件はとても厳しいので、いまだ本願は叶っていない。

ダウンタウンに近付くと、月は巨大なビルの谷間に見え隠れする。もっと時間にゆとりがあれば、満月と夜景を楽しむために高速を降り、どこぞの倉庫の裏辺からでも月を眺められるのに、少しでも顎を上げないと目線が合わないほど昇ってしまった月では、興も半減してしまう。昇り掛けの月の観賞は旬のものに等しく、時期や場所を逸してしまうと悔しさだけが残る。儚いものへの憧憬は、間もなく散るからこそ淡い桜を愛でる、日本人としての同一性の表れかも知れない。

今夜のような僥倖に10分の時間も取れないほど急いでいたのは、普段より一時間も寝坊したためだ。昼間に所用があり、夕方の仮眠が本格的な睡眠となっていた。大抵は目覚まし時計で起きるが、用心のために日本で使用していた携帯電話の目覚ましもセットする。それは警報のようなけたたましい音で鳴るため、叩き起こされたあとは必ず腹が立つ。今夜も腹を立てながら警報を止めたところをみると、目覚ましでは起きられなかったらしい。時計を見ると起床予定時刻から一時間も経っている。機材は積んだままになっていたのが不幸中の幸いだ。

大慌てで仕度をし、5分後には車に乗り込み、ぼーっとした頭で、なぜ警報を一時間も間違えてセットしたのかを考えた。夏時間で家中の時計を一時間早めたが、和製携帯電話のことをすっかり忘れていたのだ。

結局アーティスには通常の時間に到着し、機材をセッティングしたあと車に戻って、また少し高く昇り、明るく小さくなった満月を暫く眺めた。そして意を決して店に戻ると、既に月のことは頭から消えていた。


2004年4月6日(火曜日)

賢末弟からのメールで、次の字句に眉が中央へ寄り上がった。

「ところでCD買ったらタワーレコードオリジナルのポストカードが2枚も付いてた。力いれてるなあ。知ってた?須美人兄ちゃんは米粒ぐらいやったけど。」

東京在住の彼は、オレがプロデュースしたビリー&カルロスのCDを、新宿のタワーレコードまで買いに行ってくれたらしい。ポストカードの話は噂で耳にしていたが、二人の大将の写真が使用されているだけだと勝手に思い込んでいた。例え米粒ではあってもオレが載っているのなら、自分大好きのアリヨ蒐集家(関連グッズや新聞、雑誌の掲載記事、写真など)のオレが、手に入れたいと思わないわけがない。

元憂歌団のボーカルの木村さんやベースの花岡さんたちと結成したバンド、「ブルースギャング」の初(唯一)CDの販売促進で、CDジャケットになった黒人の子供をイラスト化したライターをレコード会社が作ってくれた。早速ライブ会場の売り場に飛んでいき、メーカーから出向し販売に励んでいる人にねだったら、「これは売るための特典なんですから1コだけですよ」と言われる。

自分が所属するバンドのCDのオマケに付いているものを、なぜ複数コ持てないのか納得がいかない。関連グッズの制作は、何よりもメンバーに先ず知らせるべきもので、マネージャーや関係者が、「販促にこんなものを作りました、どうかお納めください」と100コほど届けてくれてもいいようなものだ。大体、オレがライターの存在を知ったのは、音響技術者が自慢げに見せたからだ。なぜに技術者が当のミュージシャンより先にお宝の存在を知り、ゲットしておるのか理解できない。

万が一を考えて「お宝は2コ以上持て」が原則である。マネージャーの尻を蹴り上げ色違い2コをせしめた後、再び販促現場に忍び寄り、先にオレを叱ったメーカーの人が席を外した瞬間を見計らい、そ知らぬ顔で「1コくださいな」と申し入れる。関連事務所からCD販売を手伝いに来ていた知り合いの女史は、「アリヨまだ貰ってないの?ごめん、売り切れ」と冷たくあしらってくれた。なるほど、販促グッズはやはり販売の促進に役立つらしい。

でもビリーやカルロスにポストカードを見せたら、オレの百倍欲しいを連発・・・いや、早速取り寄せろと(そこは雇用主の立場で強気に)命令するに決まっている。まぁ、ご当人ですから仕方ありますまい。

SOB関係ではTシャツを2枚手に入れたが、メンバー全員のプロモーション写真を使用したSOBカード(二つ折り)は一枚だけ。誰にも送れへんがな。

そして今日、賢弟から再度送られてきたメールには、スキャンされた2枚のポストカードの写真が添付されていた。一枚はビリーとカルロスのみ。そしてもう一枚には・・・須美人兄ちゃんは米粒のかけらぐらいやった。


2004年4月7日(水曜日)

昨日の陽気はもう夏を思わせる25℃。天井に窓の付いた車は気持ちと気分がよろしい。

納税の季節(こちらは4/15が個人申告の期限)なので、税理士のところへ家計の計算書きを持って出向いた。昨年一年も頑張りました。ビザのことがあるので、弁護士からは正直に申告するよう厳命されているが、みんなが知れば夢のない現実的な額で面白味もなかろう。ローカルの仕事がほとんどで、こんなものかと思う反面、他所の国で演奏し、まぁ生活できる範囲に稼いでいるなと自分を労いたくなる額です。

オレに会うなり税理士のジェフは、「君、日本語読めるだろ?最近日本の物だと思われる額を手に入れたんだが、上下が分からないので見てくれるかい?」とお願いしてきた。自宅を兼ねた彼の事務所の奥にあるベッドルームに招かれると、古臭い額に納った日の丸が壁に掛けられている。赤い丸の両脇には筆で縦に何か書かれているが、一目で逆さに掲げられているのが分かった。

手元にとって裏を見ると、国旗を洋画の画布のように額にはめ込んだ物のだった。額縁は安手のというよりも手作りのようだ。右側には君子への忠誠を歌にしたと思われる言葉が草書で書かれ、最後に署名が認(したた)められている。古典の和歌を引用しているのかも知れないが、国文学科を卒業したのに、草書をちゃんと読めないのが恥ずかしくなった。専攻は近現代だったが、アメリカ人のジェフにとっては関係ない。日本人のオレが、日本語で書かれた物を読めないのが腑に落ちないはずだ。理由を懸命に言い訳し、左側の分かりやすい7文字を解説した。

「七生報國 政治書」

国旗の端は額に折り込まれているので、政治書の下にまだ文字が続くのかは分からない。「何度生まれ変わっても、国への忠誠を誓います」という、国粋主義者の決まり文句の上の縁(へり)には、幅が5センチに満たない細く小さな物が打ち付けてある。

「岩清水八幡宮守」

縦の字句のお守りが横向けに付けられているのは、額縁が日本語を読めない者によって制作されたことを物語っている。もとより日本人が作ったならば、旗全体が見えるようにガラスでもはめ、もっと大きな額にしたはずだ。ジェフはその推理の先にこだわった。国旗の書、お守り、額、留め金など個々の出自に興味を持ち、どうやってアメリカに渡ってきたのかを無言で問うている。

オレの乏しい知識では、『徒然草』にも語られる京都・男山の八幡宮とこの国旗の関連を、明解には説明できない。見目の古さからも戦前の物であろうが、国旗に折り目が見られるので、戦地に赴く者が神社へ奉納したのかも知れないし、額縁を作った者が、有り合わせの日本的な物を組み合わせただけなのかも知れない。政治書と見えるので、或いは、古くとも兵士とは関係のない政治結社の者が書いたのかも知れない。三島由紀夫が自殺したとき頭に巻いていた鉢巻きにも、「七生報国」の文字があった。

その流出などオレにはどうでも良い。京都には町中に故物商が多く、どこでも戦時中(前)の物を安く手にいれることができる。アメリカ人観光客が珍しがって手に入れたに決まっているのだ。

しかし、ヒッピー上がりの穏やかな自由主義者と思えるジェフが、かつて鬼畜米英を喧伝した敵国の、そのファシズムの精神的拠り所となる字句が綴られた国旗を、絵画のようにベッドルームに掛けていることが理解できなかった。戦勝国の国民の鈍感さが、今も占領国となって他国に君臨することを止めないこの国の歴史と重なって、次第に悲しくなっていった。


2004年4月9日(金曜日)

人と会う約束をしていたので、いつもより早い目にセットした目覚ましが、気分の悪い寝起きを強制してくれる。冴えない頭でシャワーを浴びながら、何か嬉しい夢を見ていたことを思い出した。焼きキャベツと一緒に、長い間口にしていない焼肉を箸で摘んだところが、その最後の場面だった。

ああ、牛肉が喰いたい・・・。


2004年4月10日(土曜日)

ミシガン州の田舎町の小さなシアターの観客はとても行儀が良く、音のすべてを心に染み入れるかのように静かに聴いてくれる。オレの上着の内ポケットに入っていた携帯が鳴り出したのは、丁度シャロンが、スローナンバーを、マイクなしで唄えるほどにバンドの音量を落とさせたときだった。

以前ロザで、曲の合間に鳴った携帯に応答し、「今演奏中だから後で掛け直す」と言ったバカの真似はとてもできないので、手探りで電源を切った。ところが10秒ほどしてまた内ポケットがぷるぷるしピーピキ唸り始めたのは、ちゃんと電源が切れていなかったのだ。

演奏前に電源を切っておかなかった自分の不始末よりも、こんなときに電話を掛けてきたヤツを呪いながら、大慌てであらゆるボタンを押しまくった。携帯電話器が壊れるかと思うほど力一杯押しまくった。ポケットから取り出して、床へ叩き付けてやりたいほど焦ってしまった。楽屋でシャロンにオレの格闘を伝えると、まったく気が付かなかったと大笑いされた。

電源を入れ直すと、ベースのチャールズ・マック(2003年6月1日参照)の番号で留守電が残っている。昨日の夕方はサウスサイドの学生街にあるカフェで、二人は音楽の話をしていた。

真面目に話していても、気になる女性が目に入ればいつでも中断させられる。オーガと名乗ったウエイトレスをチャールズは気に入った。

「She has a DEKAI-MUNE! Watashi-wa SUKEBE desu.」

昔、数年間日本で過ごしたことのあるチャールズは、忘れないようにと、オレといるときはできるだけ日本の単語を入れたがる。旅行用の日本語会話をつまんだ程度だが発音は良い。日本語でペラペラと応えてやると、「そうねぇ」と笑ってごまかすが決して理解はしていない。しかし、何も分からないアメリカ人の前では、会話が成り立っているかのように振る舞い、いつもチャールズの顔を立ててやっている。

留守電のメッセージを聞くと陽気な日本語が飛び込んできた。

「アリチャーン、ゲンキィ?」

オーガには、チャールズの携帯番号と今日彼が演奏しているロザの住所を教えていた。ニコニコとメモを取ってはいるが、オレは彼女が観に行くとは思えなかったし、彼も本気で期待してはいなかっただろう。

ミシガンへの往復を運転したあと寄り道するのは気が進まなかったが、早い終演と一時間の時差を考え、チャールズの演奏を聴きに行ってもいいかと思い始めていた。


2004年4月12日(月曜日)

寒い・・・。

今日税理士からの電話で、税金の申告書類に添付する小切手に書き入れる納税額を聞かされて、ガソリンの値段が先月から1ガロン¢20(現在$1.92/ガロン=1リットル¥53)も値上がりして、タバコなんか一箱$5(¥525)やし、アーティスからの帰り道の電光掲示板に表示されてた温度は32°F(0°C)、寒い。

昨日ミシガン州からの帰りにロザへ寄ったとき、チャールズ君に頼みごとをした。それを遂行してくれたかどうかの確認の電話をしたら留守電だったので、メッセージを残しておいた。その後、チャールズ君のことはすっかり忘れてしまい、携帯の電源を切ったまま演奏をして、電源を入れなおしたのは家に戻った午前3時過ぎだった。

小さなディスプレーには「メッセージ有りますマーク」が入っていた。確認すると6件が録音されている。一件は仕事関係で、残りはすべてチャールズ君だった。

「ちゃんと頼まれたことはしたよ」
「演奏が終わったら連絡ちょーだい」
「もう演奏終わった?」
「何時に終わるの?」
「もう、なんなんだよー(これのみ日本語)」

30分間で5件、そして最後の3件は5分間で。

チャールズ・・・寒い。


2004年4月15日(木曜日)

毎週木曜日はロザでジャムのホストバンドを務めているが、今週はキングストン・マインズでSOBの演奏が入っていた。木曜日のマインズといえば、ラジオとインターネットライブの同時中継が常だったが、最近の噂でクラブの営業形態が変わったのを知り、確かめようと思いながらそのままになってしまい、中継の件はこの日記でも告知しなかった。

キングストン・マインズは昔からステージが二つあり、もともと各々のステージで、二つのバンドが60分毎に代わる代わる演奏(一日合計6ステージ)していたが、一つのステージだけを使って一バンド90分ずつの形態(合計4ステージ)に変わったと聞いていた。オレたちがいつも出演する第二ステージが10時半開演で、ラジオ中継もその頃に始まっていたが、各90分の演奏時間なら第二ステージの開始は11時になってしまい、もし中継があるとすれば時間が中途半端になってしまう。

しかし水曜日のリハーサルのとき、既にラジオ中継は打ち切られていることをベースのニックがみんなに伝えた。現場に入ると演奏時間も60分毎の形態に戻っていて、なんのことはない、中継だけがなくなってしまったのだ。

ウチの大将はそんな些事に気を遣う人ではなく、否、もし気を配っていても煩雑な私生活に忙しく、リハーサルにも来なかったので知らなかったようだ。マネージャーでさえ入り時間を知らせてこないときがあるので、この大人のバンドは、自己責任(自分で調べて)で遅れないようにしなくてはならない。

マインズの時間変更を知らなかったビリーは、90分ステージから60分ステージに戻ったと説明しても何のことか理解できず、オレはめんどくさくなって「いや、何も変わってませんから気にしないでください」とお茶を濁した。

SOBニセット目(0:30-1:30)後の休憩中、背後で「アリちゃーん!」と言う声を聞いたと思った瞬間、抱きすくめられ持ち上げられる。ああ、チャールズ君。振り回されながら彼の兄マークが、「スケベー」と言い寄って来るのが見えた。オレとその兄弟二人はスラム・アレンと共に、去年の今頃マインズの火曜日のレギュラーをしていた。そのスラムを連れてロザへセッションをしに行ったのに、お前いなかったじゃないかと叱るが顔は怒っていない。こないだ電話でチャールズと話したとき言っとけば良かったと思ったが、一々オレのスケジュールを伝えても覚えてはいないだろう。

家に帰って、友人夫妻からの差し入れの手作り餃子を焼きながらMac.を起動させたら、日本から次のメールが届いていた。

「ビリーのファンサイトからのメールで『マインズのインターネットライブ・本日中継』って案内が来てたんですが・・・現在、日本時間の14時10分。12時から聴いているんですが、始まる気配すら感じません。どうなったんでしょう??」


2004年4月16日(金曜日)

季節の変わり目の外出は、着るものを間違えると凍えたリ汗だくになってしまうので、気温予想を確かめておかなくてはいけない。山などの障害物がないため、こちらの気象は予想しやすいのだろう、驚くほど良く当たる。

明日はシカゴから西へ100km以上離れたロックフォードで演奏があるので、お天気専門局を付けっぱなしにしていたら、ブィーブィーという音が鳴り出した。テロップで警報が流れている。

「イリノイ州シカゴ地域、雷雨警報。3:24AM」

時刻は午前3時27分かと確認した途端、突然雷が鳴りだし大雨が降ってきた。大きな窓から雷や豪雨の外を眺めるのは楽しい。部屋の電気を消してブラインドを全開にした。雨カッパでも身に着けて表へでたい気分だ。テロップには続きがあった。

「・・・時速40マイル(約65km/時)で東に移動中。雷雨の縁(へり)は・・・から西に4マイル。3:45シカゴ通過」

雷雨には端っこがちゃんとあって、通過する分数まで予想する。日本では雨雲って、何となくぼんやりとした塊の様な気がしていた。そういや中学の頃、上からシャワーを浴びせられたような大雨に追い掛けられたことを思い出した。そのときは雨の縁を確かに感じていた。

オレの住むアパートはシカゴ市の東側の境界である湖から少し離れている。大雨がピタッと止んだのは、3時42分であった。


2004年4月17日(土曜日)

仕事終わりの長く楽しい深夜のドライブを終えアパート近くまで戻って来たら、青色灯をピカピカさせたパトカーが見えた。その不自然に停まった向きや台数(4台)を考えると、ただの交通違反ではなく、容疑者捕捉のためだというのが分かる。

それほど裕福ではないが、ユダヤ人コミュニティの強いこの地域で、これまで犯罪の話をきくことはなかった。物騒なことだと思いながらも興味津々で近付いてみると、若いラテン系の女性が聴取されている。警官の様子からは緊迫感が感じられなかったので、彼女は容疑者ではないだろうし、むしろ被害者かも知れない。犯人は既に捕まりパトカーに乗せられている可能性もある。車を徐行しながら観察したので、そこまでは分からなかったが、自分の住むアパートから、僅か2ブロックのところで捕り物があったことに少なからず動揺していた。

駐車場への路地を曲がると、一方の端からこちらにライトを向けパトカーが停まっている。まだ何かの捜査をしているのだろうかと訝しく思いながらも、オレはキーボードを抱えさっさと建物の中へ入った。部屋に戻ってもどこか落ち着かない。台所に溜まったゴミ捨てを自分への口実に、様子を窺うため再び駐車場へと向かった。

先ほどとは反対側のドアから裏へ出ると、鉄製大型ゴミ収容箱の辺で遊弋(ゆうよく)していたパトカーの姿はなかったが、なぜそこに留まっていたのかを得心する異変に気付き、オレは身を強ばらせた。

15台収容できる駐車場には、ポルシェ・カレラを筆頭に、何台かの高級車が停まっている。ゴミ箱を避けるように、いつも白線ギリギリに置かれた、3シリーズだが新車の真っ赤なBMWの窓ガラスが、バットで叩き割ったように粉々にされていたのだ。

一瞬車上荒らしかと思ったが、割り切れなかったフロントガラスを始め、すべての窓ガラスに手が加えられているので、怨恨による犯行と考えられる。またガラス片が下に散らばっていることから、犯行はこの場ということになる。窓以外の車体や割りやすいヘッドライトなどに損傷がないところを見ると、加害者は発覚後の弁償ぐらいは考えるほどの冷静さがあり、顔見知りかも知れないし、ひょっとすると家庭内不和かも知れない。

どちらにせよ、過激な暴力事犯の関係(被害)者がこのアパートにいる!?2ブロック先で集結していた何台ものパトカーとの関係は?うーむ・・・物騒な犯罪の臭いがぷーんとする。

そういや今晩の帰り道でも犯罪の臭いが漂い気が滅入った。高速から降りて一般道を走っていると、対向車がこちらに向かって突っ込みそうになりながら修正を繰り返す、危なっかしい運転に遭遇した。次第に異様な音がしてきたと思ったら、運転席側のドアを開け左前輪から火花を散らして走っている。暗くて良く見えなかったが、前部が破壊されていたようだ。事故車ならレッカー車を呼ぶか、取りあえずその場に放置するだろう。あれは当て逃げに違いなかろうと苦笑いしたが、BMWガラス叩き割り事件は我がアパートの駐車場での話である。

部屋に戻る前に郵便物を確認するためエントランスホールを通ったら、韓国人らしき若いカップルと出くわした。週末の午前4時過ぎにうろうろしているのは、酔って良い気分に違いない。独り者のオレは少し緊張感を持ってもらおうと、「駐車場の車の窓ガラスが粉々にされていたぞ」と脅した。可愛らしい顔をした女性の方は、英語が理解できないのか、ニコニコしてオレの顔を見ている。女性とは不釣り合いな腑抜けた丸顔の男は、「あ、そう。オレ車持ってないもん」と関心なさそうに応えた。

階段を上がりながら振り返ると、二人は抱き合ってキスをしている。「さっき表通りで人が殺されていたぞ」と言っても、もう相手にはしてくれなかった。


2004年4月19日(月曜日)

休みの昨日は、帰国した友人の部屋の後始末の手伝いに。日中は30℃にもなる真夏日。Tシャツに短パンでガラクタなどを処分し汗だくになる。

主が去り、物のなくなった部屋はスッキリと広いが、彼の様々な生活の歴史があったかと思うとどこか物悲しい。置き去られた野球バットを軽く一振りしてみた。野球少年だった淡い記憶が蘇る。人前で思いっきり素振りするのは憚られたので、家に持ち帰った。

リビングでバットをゆるりと回すと、家具などに当たらず余裕で振り回せそうだ。グリップをしっかり握ると力がみなぎる。6割ほどの力で振ってみた。振り終わりに少し身体が揺れた。足場を固め腰を据えて身体を固定し、8割の力で振り切る。今度は軸はブレず、振り終わりの形でしっかりと止まった。

中学へ上がる前の夏休み、オレたち野球少年が遊んでいると、当時は珍しかった、大きなファーストミットを持った白人の男の子が寄って来た。アディと名乗った背の高いアメリカ少年はハーフで、同じ町内に在る母の実家へ遊びに来ていたらしい。互いに言葉は分からなかったが、オレたちは野球を通じて直ぐに仲良くなった。

アディのアメリカの居住地や父親の職業などは、興味がなかったのかまったく覚えていない。野球の合間にハシリ(かけっこ)をしたり、相撲を取ったりして毎日のように遊んだ。一つ年下の彼にはどれも負けることはなかったが、自分よりも小柄なオレに投げ飛ばされたり、走り負けると、涙目で(時には泣きながら)何度も挑戦してきた。年上のリーダーは、アメリカ人のくせに根性があると誉めていたが、日本人の言う「根性」の意味がアディに理解できたとは思えない。

その後どういう経緯(いきさつ)で日米野球決戦が行われたのかは知らない。夏休みも終わりに近付いたある日、彼が7-8人のアメリカ少年を連れて来た。試合が決まったので偵察に来たようだった。アディとは違い、彼らは最初からニヤついていて、小さな身体のオレたちを見て、小馬鹿にしたような態度だったのでむかついた記憶がある。確かに彼らの何人かは、小学生のはずなのに自分たちの親よりもでかかった。

近所の中学校のグランドを借りて、半ば本格的な試合が行われたところをみると、大人の協力があったに違いない。結局オレたちは、ピッチャーのアディを打ち崩して27対7で大勝した。彼は試合中から泣き出し、それでも懸命に向かって来た。仲間が慰め宥めても決してマウンドを降りず、最後まで投げ通した。

試合後、アメリカチームがすごすごと引き上げていく姿は記憶にない。ヤツらのでかい態度を見返した痛快さよりも、アディの泣きながらも最後まで諦めない「根性」に気圧(けお)されたていたためだろう。1989年のワールドシリーズで、サンフランシスコ・ジャイアンツの投手としてアディが出場していたのを知ったのは、彼が球界(MLB)を引退した後のことだった。

鼻からフンッと小さな息を吐き素振りは続く。シャワーを浴びる前なので、いくら汗が出ても気にならない。ようやく身体が軋み始めたので、ニ十数年ぶりの素振りを終えた。

そして今日起きたら、両腕が腱鞘炎のように痛い。オレはアディを思い出してさめざめと泣いた。


2004年4月21日(水曜日)

定例のSOBリハーサルが昼過ぎからあるのでもう少し寝ていたかったのに、午前10時半、郵便屋さんがブザーを鳴らしまくって起こしてくれた。日本からの差し入れ小包。アーモンドチョコやイカフライ、あられ、阪神戦ビデオなどが大量に入っていて、しばし感動する。

荷物を受け取ったとき玄関ホールに若い管理人がいたので、過日のBMW窓ガラス破損事件のことを尋ねてみた。英語の良く分からない兄ちゃんに代わって、隣にいた訳知り顔のおばさんが顛末を話してくれる。

「ああ、あれは4階の黒人カップルの彼女の方がやったのよ」
「でも、近所にパトカーが何台も来てたでしょ?」
「車の持ち主の彼が呼んだの」

あの夜この一角で目にしたパトカーや警官は、すべて痴話喧嘩に関連していたようだった。ははぁ、ラテン系に見えた女性はアフリカ系で、加害者だったのか・・・。それを知っている警官は駐車場前にパトカーを停め、女性の怨念の残骸である、窓ガラスがボコボコにされた新車のBMW325iを見入っていたのだ。

ひとまずは安心し、階段を上り始めるオレに向かって、おばさんはまだ話を続けていた。

「彼女はゲイなのよ」
「ゲイ?」
「そーよお、それで彼女に別のガールフレンドがいてね・・・」

それって、同性愛者じゃなくて両性愛者やん。確かにこっちは両刀使いが多い。

「The New Bluebloods」(disc guide 参照)の裏ジャケットに載っている写真の何人かは既に故人となっているが、その一人である某は病を苦に自殺した。ガールフレンドには、末期癌で先は長くないと打ち明けていたらしい。真冬のシカゴ川に、純白のタキシードを着て身を投げた彼をHIVの保菌者だと疑っていたのは、某がゲイであることを知っていた一部の者だけだった。

彼の死後、自殺の原因はエイズの発症であったことが知れ渡ると、シカゴブルース界に激震が走ったことは言うまでもない。某とガールフレンドが互いに一筋だったとは考えられず、不特定の女性とお付き合いしている男性ミュージシャンが多数いて、女性ミュージシャンにも両方いけるゲイが存在することが周知の事実で・・・んん、女性同士では感染せんか。

註:(Gay=同性愛者)英語では女性の同性愛を表す「レスビアン」よりも、男女共に使用する「ゲイ」が一般的


2004年4月22日(木曜日)

トミー・マクラッケンさんが熱唱されている。マイクを手に持って熱唱されている。相変わらず意味不明な指サインにジャムホストのオレたちは戸惑いながら、トミーさんの一挙手一投足から目が離せない。エンターティメントと大道芸の際(きわ)は、「黒いエルビス・プレスリー」と評価されているのか揶揄されているのか分からないように、受け取る人に依って違ってくる。

足を振り上げ腰を振り、手を上にかざして泣き顔作り、マイクスタンド倒して足で引き戻す。そういやステージに上がったとき、脇に立つギターやベース奏者を端へ押しやり、自分の間合いを取っていた。

トミーさんの指示でソロは切り上げられ、マイクスタンドを矢沢永吉の如く斜めに倒して絶叫された。ところがモニターからうるさいほど鳴っていた彼の声が聴こえない。ダンスに夢中になり、手に持ったマイクを床へ置いたことをお忘れになったらしい。空のマイクスタンドを握りしめたまま、トミーさんはひと節お唄いになられてようやく気付かれた。その瞬間メンバー全員が下を向いて笑いを押し殺す。

「黒いエルビス」が揶揄なのかどうかは分からない。


2004年4月28日(水曜日)

休日の過ごし方が下手になったのかも知れない。

日本より一足早く大型連休がやって来ていた。この6日間の現場は月曜のアーティスのみで、リハーサルや打ち合わせなど、仕事関係のすべてを考えなくて良かった。こうなりゃHPの日記も考えず、日がな一日湖を眺めたり曲を書いたり、いや小旅行に出掛けることさえ出来たはずだ。

生活の不規則さは到底社会人のそれとは言えず、仕事が一つのサイクルとなって夕方には起きているが、決められた時間に現場へ到着せねばならぬ日常の箍(たが)が外れると、嬰児の如く眠たい時に寝て起きたい時に起きる怠惰なサイクルへと移行する。

何しろアーティスで仕事をしていた以外は、この6日間の記憶がほとんどないのだ。カウチやテレビの前でうたた寝を繰り返していると、目覚めた時に何曜日かさえ思い出せない。起きれば何かを口に入れ、腹が満たされればまた寝る。ケーブルテレビで映画は何本観たことだろうか、そのほとんどは印象にない。面白くても途中から半端に観ていたり、肝心なところで英語が聞き取れなかったりすると、ビデオに録画してまた最初から観れば良いと集中力が萎える。まぁ、ちゃんと観てそれなりに楽しめたのは、"Insomnia"(アル・パチーノ)"Identity"(ジョン・キューザック)"Breakdown"(カート・ラッセル)"Beautiflu Joe"(シャロン・ストーン)"Groundhog Day"(ビル・マレイ)"ぐらいか。Mac.の前でも良く寝ていたが、内容のほとんどを思い出せないメールやネットサーフィンで、人生の貴重な時が浪費されただけだ。

食料の買い出しにミツワへは2度行った気がする。一度はそのついでに、寿司ネタの善し悪しの分かるアメリカ人を連れて郊外の回転寿司にも足を運んだ。廉価な回転寿司と侮って豪遊したが、毎週大阪から空輸しているネタの新鮮な店で、調子に乗りみたらし団子やプリンまで平らげ、結局$80も遣ってしまった。手帳を見ても他に出費はないので、休日のほとんどを家で過ごしていたことになる。

だからこの一週間は、オレにとってまだほんの数日しか経っていない。きっと体内時計はうたた寝を一回の睡眠とは計算していないだろう。この数カ月、朝の9時頃まで起きていることが多かった。毎日が時差ボケで、時差ボケに慣れて一日のサイクルが決められない。人の寿命を歳(年)で表し、その年月が一日一日の積み重ねとするならば、オレの寿命の管理人は一日の数え方に戸惑うはずだ。身体の中でそいつらが慌てている。

おっ、何か一日が長くなってるぞ、いや、短いですよ、この間は20数時間が未睡眠時間のサイクルだったが、いえ、数時間ごとに寝たり起きたりでした、基調時計が早くなったり遅くなったりする回数が異常に多くなっていて、調整軸の遊びが大き過ぎ制御が効かなくなっているんです、ああ、分かっている、それで寿命標準時計に誤謬が生じ始めているんだ、管理局長!細胞を活性化させる酵素が不足し始めました、それはイカン、こいつを早く眠くさせるんだ、でもこれからどこかへ出掛けるようです、よし、頭部連絡所を呼び出し警鐘を打たせろ、連絡所が呼び出しに応じません、何!鎮痛イブプロフェインで浸水している模様です、腹部司令所はジャンクフードの処理で手一杯です、最後の手段だ、理性喚起装置を作動させろ!しかし喚起装置が作動するまでには数時間ほど掛かります、大丈夫だ、外の壁時計と連動させてあと30分以内に催眠する手はずになっている

ってことでそろそろ寝ようと思っていたが、腹部に巣くうゲリラからの要請で、5時からの朝食セットになる前にジャンクフードを仕入れるため、マクドへ出掛けることにする。 28日28時40分記


2004年4月29日(木曜日)

若い黒人のハーモニカでレゲエ頭のオーマが、白人に対する蔑称の日本語を教えてくれと言ってきた。ギターリストで、ロザの音響係でもあるロブに向かって呼び付けたいらしい。22才のロブはドイツとアイリッシュが混ざった白人で、背が高く太っている。彼も負けじと黒人に対するそれを訊ねてきた。

例えにせよ汚い日本語を教えたくはなかったが、考えてみれば、人を蔑称したり侮蔑したりする俗語・隠語の多い英語に比べ、それに当たる日本語はあまり思い浮かばない。たいてい殴り合いに発展する "Fuck you" に相当する単語はないし、先月の騒動(2004年3月4日参照)になった "Nigger" ほど強烈な言葉は少ない。もちろん日本には同和問題もあるし、朝鮮人差別を始め様々な社会的な負の遺産は多いが、国民性にせよ、アメリカ人は感情のスイッチの切り替えが言葉に依って極端になる。

少々軽率な気はしたが、仲の良い二人が互いを蔑称してふざけ合いたいのだと、各々の意味を説明してやった。未知の文化に浴し大喜びした彼らは、まるで子供の言い合いのように覚えたての日本語を投付け始める。

「シロブタ」
「クロンボ」
「シロブタ」
「クロンボ」

辞書に載っている直訳的な言葉であるが、蔑称には違いない。時々発音を忘れては訊ねてくる。

「シロブゥッタ」
「クロォンボッ」
「シロブゥッタ」
「クロォンボッ」

二人とも同程度に抜けていて中々覚えられないが、一晩中互いを蔑称しているうちに、殴り合いではなく叩きあいに発展していた。子供の喧嘩ゴッコである。そしてオレの教えてやった単語は可愛く語形変化していた。

「シロタップ」
「クロポン」
「シロタップ」
「クロポン」


2004年4月30日(金曜日)

日本は大型連休に突入したが、オレは昨日から5連チャンが始まった。週末はSOBでキングストンマインズ。

はぁ〜、やっぱりマインズの帰りは遅くなるよな。朝の5時前に帰って速攻でシャワー。マインズからお持ち帰りの、バーベキュー・チキンウイング(大好物)を食べたら6時。テレビを点けたままうたた寝(3時間も)をしてしまった。

あはは・・・そのテレビでは今、マイケル・ジョーダン主演の映画"Space Jam"をやっている。パトリック・ユーイングやチャールズ・バークレーなど、バスケットのスーパースターたちが、マンガの宇宙人に魂を抜き取られてバスケットが出来なくなるのだ。5人が集まり、「オレよりおばぁちゃんの方がましなプレイをするよ」(当時おばァちゃん役でCMしてたラリー・ジョンソン)とか愚痴るのだが、ホーネッツのガード(確か身長160cm程)が、「I'm only another short guy.(オレなんかタダのチビやん)」って言って笑ってしまった。何回観ても現役選手の演技は笑える。

一昨日の日記にも書いたことだが、とにかくこう毎日うたた寝が続くと、感覚的な一日の境が曖昧になり、いろんな出来事を「今日(本日)」と記して良いのかどうか迷ってしまう。少なくとも夜が明ければ次の日であるが、この日記はオレの生活サイクルと話の便宜上、前日の日付けのままで押し通している。だから今日帰宅した際の出来事は、日付けでは5/1の明け方だった。

キーボードを裏口から搬入していったん部屋へ置き、郵便物の確認にエントランスホールまで下りてドア開けたら、韓国人の女性が立っていた。正確には、ドアを押し開け足を踏み出し、上半身がホールに出た瞬間、彼女が歩み寄りぶつかりそうになったのだ。顔の距離は20cmほどで、オレはドアノブに手をかけたまま、彼女は突っ立ったままフリーズしていた。

こんな時間にうろうろしているのは、愛人を訪ねて来たお水系(2004年4月17日付参照)で、自分の男が降りて来たと思ったに違いない。ドアが開いたらすっきり顔のアジア系兄ちゃんがいて、えっ!?こいつこんな顔だったか、と一瞬思ったに違いない。でも直ぐに他人と分かってがっかりしたに違いない。とにかく二人は(オレは勿論びっくらこいていた!!)数秒間、互いの顔を無言で見合っていた。

男が彼女を部屋に上げるつもりがあったかどうかは分からない。部屋からは遠隔で玄関の鍵は外せるし、彼女は既にブザーを押しているはずだったが、ドアは開けられていなかった。大きく見開かれた目は次第に輝きが失せていき、驚きの表情から無機質な能面へと変化し始めている。

入りますかとようやく促すと、彼女は顔を引きつらせてオレの側を足早にすり抜けた。郵便受けには何もなく、ガランとした早朝の玄関ホールには、ニンニク臭だけが漂っていた。