「ゆず」秋(音)楽旅行ツアー終了(99.10/15~12/26)

「ゆず」の初の体育館ツアー「秋(音)楽旅行」全20公演が大阪城ホールを終え全て無事終了した。彼らにとって、体育館(アリーナ)クラスのツアーでバンド(オリオン)をつけてのものだったので、そのプレッシャーは相当のものだったに違いない。でも、本当に1本1本を全力で頑張ったという感じがする。もちろん出来の良い日悪い日が当然あったが、、。

今回の目的(テーマ)は「舞台上からの発信」だった。バンドを付けたことで音楽的に飛躍して、前回の「サクラサクツアー」の様な観客と「ゆず」の一体感を目指すより、舞台上から音楽(音)を発することで、観客にある程度「力強さ」を強調しようとした。一緒に歌う歌はもちろんだが、バンドサウンドにのった「ゆず」を観てもらうのが大きな目的だった。今でこその話だが、前回の二人だけでのライブの印象が強く残ってるのをバンドを付けることでどう発展して、お客さんに伝えるかは難しいと考えたがその不安は最初の何本かのライブで消えて良かった。

今回のセットプランは、陰の仕掛け人であるDG(ディスクガレージ)の黒木氏のステージ全体のプランが先行した。LEDによる画像を中心にバンドをどう見せるか?どうしても僕は二人のシーンからスタートさせたかったので、バンドの楽器を何処かに隠しておき、二人の演奏中にセッティング出来ないか?メンバーの北川悠仁のアイデアで応援団(11人)を登場させたい。大きなプランはここからスタートした。

仕掛けも大きな要素であった。ステージから客席に向かって花道を作り、その先端に円形のゆず型を作りそこが上がるリフターを仕込んだ。また、ステージ左右に同じく花道を作り、また、ステージ後方のLEGがセンターから左右に割れる仕組みになっていった。そして、黒木氏の発案でLEDの基礎を隠す意味も含めて「踊り場」を作り、その下の部分を空洞にした。

そうして「ゆず」らしいステージプランが出来上がっていった。それに合わせて曲順も流れを作っていった。必要となったアイテム探しは大変な動力だったが、良いものを作るという目的が非常にはっきりしているので、全スタッフが目的意識が高かったような気がした。今回の新しく加わったスタッフも実に「ゆず」が好きな連中が集まったような気がする。前回からのスタッフが殆ど残り、新しい映像関係のスタッフも加わり、時間的にも人数的にも多くの労働が求められたが、若く元気な人間が多く、笑いのたえない明るい現場だったと思う。ツアーの大打ち上げでは、どのスタッフも「ゆず」の次のツアーにぜひ参加したいと口々に言ってたのが嬉しかった。

今回のバンドに関しては「昇心旅行ツアー」で一緒だったオリオン(ドラム→ジーコ、ベース→ユリッペ、キーボード→サニー)に新しくギターのしゅうちゃんが加わった。リハーサル時間が少なく譜面と音源を頼りにリハーサルを繰り返した。北川悠仁案のギターの振り付けもあり、楽しみながらも反復練習が続いた。

今回の本番の流れは素晴らしいものだったと思う。曲順の構成は3回もリハーサルまで変わり、それで実際に音を出しながら流れを決めていった。

まず、毎回何かを仕掛ける「登場」。ここには、映像を使い映像に目を釘付けにしておき、左右の花道から「ゆず」の二人が登場した。おまけにギターならぬパイプイスを持って。はじめギターとイスを持って登場しようとしたが、影階段が急なので登り辛いので、ギターを持って出ようと考えたら、イスを選んだ彼ら!驚いた。ふたりステージ中央にイスを広げ、いかにもと見せておいて、客席内の花道の先のサブステージへ。ここは登場の見せ場。2曲のプロローグ(僕らの曲順にはプロローグと書かれてる)の間に踊り場に隠されていたオリオンの楽器をセッティングする。この辺は、観客の目を何処に向けさせるかだと思う。流れが良いとスタッフが何かをしてても、その後の起きたことで驚かされるものだと思う。

バンドとの前半部分は、演奏とハーモニーをしっかり聴かせる為のものだった。「傍観者」では北川悠仁案のギター4人の振り付けもあり、特効の「ミクロ」という濃い煙も出て前半の決めの曲になった。

中盤では「いつか」「オーバー」「心のままに」など聴かせ曲を続けた。

終盤は「未練歌」で、映像と実際の応援団(この人選は面白かった)で盛り上げ、「夏色」そして「友達の唄」で締めくくった。応援団には毎回、地方のイベンターの人に協力をお願いした。僕も1度出た。北川悠仁には内緒でね。最終公演の大阪では、黒木氏、照明の清水 淳さん、おまけに応援団の太鼓役(ブレイクで張りせんで顔を叩かれる)の柳沢徳幸に代わって、叩かれる瞬間にボズ(彼らの事務所社長)である稲葉氏が出たときのそれを見付けた北川悠仁の驚きは面白かったな〜。

「友達の唄」では、追加公演の横浜アリーナでは2万個の風船を降らした。それはそれは圧巻だった。大阪での最終公演では、ステージに出れる全スタッフを舞台に上げた。これも二人に内緒でね。涙声で唄えない北川悠仁にもらい泣きしてしまった。やりたかったんだよね、全スタッフがやるべきことを終え舞台で笑い顔で揃うのって。まさしくそれが「友達の唄」だからさ。僕は「ゆず」二人を上げるリフトのスイッチ役で観客席にいて、その全体を見ながら良いツアーだったな〜としみじみ思った。

大阪での最終日のアンコールでは1万本のサイリュウム(ポキッと折ると発光する棒状のもの)を用意した。本当は間奏の岩沢厚治のハモニカー部分でやるはずだったんだけど、目立ちたがり屋さんが先行して発光させたから、アンコール待ちの時にすでに客席がまるで1万匹のホタルの様だった。注意書きを読んでおいて欲しいけど残念だけど仕方ないですね。

そして、毎回ツアー最終日に仕込む我々スタッフからの感謝の意地悪な仕掛け。今回は、踊り場での生声での挨拶の後、後ろに振り返ったら、そこに「ゆずマン」が「秋(音)楽旅行、おつかれさん、スタッフ一同」と書かれた垂れ幕を持ってるという仕込み。この仕込みをするために前日の公演後、舞台スタッフが夜遅くまで仕込んでくれた。ここが堪らないね。「ゆず」の二人の驚く顔を観たいがために仕込み、最後の最後でこれを見せて驚かせる喜び。僕らは素晴らしい関係だと思う。公演後、泣き顔の北川悠仁の発した言葉は「大人はずるい」だった。そう、大人はずるいのさ、、、。

今回は素晴らしい思い出と共に今、終了した。参加した関わり合った全スタッフに感謝したいです。ありがとうございました。そして、未知なるトライをした「ゆず」の北川悠仁、岩沢厚治には「お疲れさん、ご苦労様」と言いたいです。そして「ありがとう」もね。これからも宜しく。

最後に、僕も彼らと一緒に来年も頑張らねば!

そうそうこの「秋(音)楽旅行」のライブビデオが巨匠鶴岡氏によって2000年の3月くらいに発売されるみたいです。鶴岡さん頑張って下さい。応援と期待してます。

   
   1999/12/29 1900年代の仕事を終えて  事務所にて

「秋(音)楽旅行」演奏曲目