たった4本されど4本なのだ!!(2000/5/10.11〜5/16.17)

「アンプラグド」を前面に打ち出しでのライブ、予想もやりたいことも本当にいろいろあった。

20年以上も唄ってきてるアーチストにはその年代を代表するような「唄」がある。だからこそ聴き手にもその年代で思い出とともに聴きたい「唄」があると思う。それらの多くの思い出の曲をどう並べてどうアレンジして今回のテーマである「アンプラグド」にするのか。とても楽しみだった。

僕的にはアンプラグドの意味でもある「生」には僕なりに意識があった。それはギターに始まりピアノ出来ればウッドベースも使って欲しかった。生ギターに関しては70年代80年代のイスに座ってのマイクでの音取りしても良いかな〜と。でも、今回の会場を考えるともうすでにこのスタイルでは音量が稼げないのは明確なのだがやりたかった。だが、ドブロギターをスタジオで最初マイク取りしてみたが、やはり全然稼げなかった。結局、試行錯誤してのだがラインのギターを使うことになった。当初、ギブソン、マーティンなどをメインに使ってみたかったのだが、、。残念。やはり彼のライブパフォーマンスを考えると「動き」という要素は絶対不可欠なのだ!!

今回のライブではサポートメンバーの並びを考えた。大きく3つのパターンを考えてプレゼンした。結局、意外な並びでかつ機能的な並びとして今回の並びになった。フルオーケストラを思わせる並びで、弦関係を一列に寄せて並べた。そしてこれが、実際リハーサルスタジオで現実に「音」を出してみたら想像以上に良かった。各楽器の生音の分離が良いのだ。特にドラムが真横というのがこんなにも良いものとは。合図もリズムも確認しやすいのだ。これは意外だった。ただ、実際のアリーナではどうなのかは不安だったが、、、。


今回の舞台セットにはセンターステージがあった。本舞台とセンター舞台と呼ばれた2つの舞台があった。バンドは基本的に本舞台で、本人は基本的にセンター舞台で歌った。過去に東京ドームとか大阪城ホールなどのセンターステージを経験してるのだが、ドラムとベースのリズムありでは今回初の試みだった。そして、登場から距離の離れたところでのバンドとの演奏というのが、当初、どれだけのタイムロスがあるのだろうかと心配したが、実際はさほど問題は無かった。ただ、センターステージには「音」が集まり「音程(おんてい)」が非常に取りづらく、アクリル版を床一面に引き詰めたりなどの見えない苦労をした。おまけにアウト(観客の聴く音)とのバランスも非常に大事でリハーサル時に入念なチェックが必要とされた。これは当たり前の様で我々のスタッフの経験と発想が大事で、ひとつ間違えば何も出来なくなる程、重要な事なのだ。



毎回毎回新たなテーマを持ってライブに取り組むんだが、毎度毎度大きな越えなければならない「山」にブチ当たる。それはどうしようも無いことだと解っていながら、その大きさに毎回打ちのめされるのだ。今回も大きなそして高い山だった。長年一緒に組んできたスタッフに今回は十年振りのスタッフも加わった。当初掛け違えていた事も時間と相互理解で徐々にだったが良いものに変わっていった。その十年の年月で創るものへの解釈が違うのは当たり前だが、言葉で伝えるのは難しいものだ。だが、本人の意思で変えていったほうが変える前より絶対に感情が入って良いものに変わっていった行ったのも事実で、目の当たりにその変化が判ったのが毎度ながら大きく感じた。物(唄)を創る人間の感性なのだろう。


今回はアンプラグドだと決めつけておきながら実はそれは「特別」というコンセプトに変わっていた。それでも4本をやり終えて言えることは「良いライブ」だったと。それはこれまでの決まり切ったスタイルを変えることが出来たからだと思う。次は判らないが、今はそれが言える気がする。

そして7月に出るライブビデオに今回の記録が残る。

最後に本当に自分自身に「お疲れ様」。そして、このライブにかかわった全てのスタッフに感謝。因にこのライブ終了後、三日間僕は本当に死んだ。



2000年5月24日深夜 ビデオ編集の為の録音スタジオにて