2009/11/7〜2010/3/4 YUZU ARENA TOUR 2009-2010「FURUSATO」

全国15ヶ所・31公演が無事に終わった。年をまたぐのは久々のツアーだった。
「あなたのFURUSATOは?」
これがテーマだった。これを軸にライブを創った。


今回のツアーは色んな意味で大変だった。音響チームが変わり、楽器チームもほぼ変わった。そんな中で「新生ゆず」としてのツアーだった。
僕の中では何が新しく何が古いのか?なかなか難しかったけど、打ち合わせの段階から皆で「新たなトライ」を掲げた。
ステージプランもライブの内容もかなり早い段階で方向を決め、ライブの曲順構成も早い段階で絞り込んだ。特に1曲目「桜木町」で最後の「みらい」は良かったと思う。
それと同時に「音」へのこだわりも大事にした。音楽監督に蔦谷好位置氏を招いて1曲毎のクオリティーを高めた。
特にギターの音色に関しては、ここ数年での結果が欲しかった。


「虹」という曲が大きなウェイトでライブの本編の締めとして位置づけ、それに向けてのライブ構成をする。
「FURUSATO」という響きとそれを表現してる「小屋」をどうリンクさせていくのか?「虹」のPVを何度観た事か、、。
稲葉氏のプランで小屋が動くというコンセプト。また、ライブ途中で移動した小屋の前で「ゆず」が唄う場面、小屋の存在をライブ中に消す事、そしてまた存在感も出す。
小屋をどう動かすか?最初の動き出しとその「音」「早さ」「移動距離」「停車場所」、、。色々考えながらも実際の現物を観て動くまでは不安だらけだった。
動く音に関しては今回の音楽監督の蔦谷好位置氏にお願いした。移動時間を計算してその長さ分の音を作ってもらった。


小屋のイメージを膨らませる意味で映像がとても重要で早い段階で作者を決めて、ストーリーを伝えて創った貰った。これに最後まで苦しめられたけど、、。
大意として今回小屋をイメージしてのアニメーション部分を3ヶ所創った。スタート、前半と後半の間、「虹」の3つの柱を考えた。
先ずスタート部分の「ゆず」の登場までの「小屋」の動き回る世界観を伝える場面。音に関しては蔦谷好位置氏に依頼。
中盤の映像は小屋の「旅」がテーマだった。が、結果、初日の2週間前に方向を変えて別に作り直した。
「虹」の映像は「虹」の世界観を映像で最大限に広げようとした。

アニメーションで小屋が人の人生に例え「旅」をして行く様を表現して、ゆずの唄が聞く人の心のFURUSATOにたどり着く様に〜

リハーサルが進む中、映像のアニメーションの仕上がりが遅くなってると連絡がきた。
オープニングはかなり良い方向で出来てたのだが、、。中盤の映像もとても大事だ。「ゆず」のライブで「ゆず」がステージにいない時、映像で持たせるには相当の内容が
必要とされる。アニメーションでは持たない気がしてきた。その完成を待っていて、万が一納得の出来るもので無かったらと考えると変更をするべきだと判断した。
前回のツアー「WONDERFUL WORLD」で、募金を募ってアフリカに植樹をしに行った時の映像があり、その光景が僕には凄く良く映った。その映像を使った方が良い!
前回のツアーのライブを観た人に今回のライブが何処かで繋がっていて欲しかったし「ゆず」の進み道としてそれは大事だと思ったから〜
閃いて鶴ちゃんにお願いした。2週間での荒技ながら見事に編集してくれた。あの映像の中の一人の女の子が悠仁に唄った事が「はるか」に書かれている。
ライブでは映像から小屋の前に移動した「ゆず」の「はるか」に繋がる場面。この曲中では別の作者の映像で表現した。

「はるか」に関してはアンコール最後の「みらい」のエンディングでその歌詞を唄う場面があり、このライブで伝えたかった言葉があった。追加公演では更にその後に「虹」
の歌詞のリフレインにもトライした。「はるか」は遠いアフリカを想い起させる曲で、また、その中の歌詞こそが「FURUSATO」なのだと思う。



実は映像は最終的にツアーの結構中盤まで小さな作り替えをしていた。「虹」に関しては要求はかなり最初から高かかったのだがかなり遅れてしまいなかなか完成
しなかった。小屋が出てくる時の背景と「虹」の出る場面は相当苦労した。映像はすぐに修正が出来ないのでかなり早くからオーダーしたのだが今回は本当に苦労した。


もう1つ苦労したのが「逢いたい」の前で「灯籠」を意味する白い筒状の灯。当初、これを吊って場面を創ったのだが、ゲネプロ(本番と同じ様に会場で行うリハーサル)で
賛同を得られず、照明小野川氏と全ての構想を作り直した。曲のイメージを「レクイエム」としてもっと暖色系だけの照明でやりたかったのだが、、。
「逢いたい」と「虹」の2曲で対照を表現したかったのだが残念。自分のこだわりとしてツアーの後半では「灯籠」を舞台面に設置して使用した。


「健太郎のお姉ちゃん」もいろいろ試行錯誤して本番まで悩んだ。映像チームの力作。特にカメラマンの氏家氏と鶴ちゃんの毎度のアイデアと実行力には頭が下がる。
武道館最終日のサプライズは全て台本もあって岩ちゃんも知ってての悠仁へのリスペクトだった。各会場での参加してくれたお客さんの全ての皆さんに感謝。

本編の前半をツアー前半では「レストラン」と「ゼンマイ」で締めた。僕はこの2曲がとても大事でここに力を力を入れた。「レストラン」のギターの音色は最後の最後まで
こだわった。「ゼンマイ」は1曲の中でどれだけの時間の軸を完成出来るか?だった。「不変の力強さ」みたいなのも考えた。曲の最後に小屋のゼンマイを照す照明にも。
圧倒出来る場面で前半を終りたかった。


このツアーは本来、大阪城での追加公演で終了するはずだった。それがツアーが動き出してから日本武道館二日間の再追加公演の話が持ち上がり急遽決まった。
スケジュールが伸びて、スタッフを抑えるのと同時に日本武道館に今回のセットがそのまま入るかの協議した。本来のツアーで出来た事が武道館の大きさに当てはめた時に
カットしないと出来ない場面があるからだ。例えば「はるか」で使ったスクリーンは武道館ではカットになった。
今回のトライとして「はるか」では映写機を後ろ側からスクリーンに映写するのと前側から「ゆず」越しに小屋に映写する2台を同時にリンクして1つの映像として
見せる事だった。スクリーンの小屋の背景の「木」の時の流れと小屋の前側から「ゆず」を照した映像が小屋にも映る事で全体の映像になり「ゆず」もその中にいる様な場面に。
そして、その映像の最後の「木葉」が「鳥」に変わりメインのビジョンに羽撃く流れで「鳥」が「旅」をしてるのを表現した。

1度、熊本も諸事情でスクリーンをカットした。映像に関してはビジョンからスクリーンに投影した素材を出してもらった。残念ながら木の葉が鳥になり飛び立つ場面は
カットになった。その時の「ゆず」の登場をどう登場させるかを悩んだ。今回から舞台監督のトップを努めた田中公一と話し合い考えた。ライブの一番最後に「ゆず」が
退場して行く場面があるので、そこから出入りは出来る事は理解してた。
問題は僅かな暗転の中で「ゆず」の二人が一瞬に登場出来るか?だった。スクリーンが割れてるのは絶対に見せたく無かったし、足元を照す明かりも最小にした。危険なのに、、。
これは本当に各スタッフと「ゆず」の協力で見事に出来て客席からはその登場が見えなかったと思う。素晴らしかった。感謝!
まぁ余談だが、武道館で「ゆず」が見事に登場して「はるか」が唄い終って、Gケンバンド(鳥の飛ぶ場面)の時に階段を降りて本来の立ち位置に移動する筈だっのだが〜。
実はその時に可動階段が準備出来てなかったのだ。その切っ掛けは「田中公一」だった。ツアーで唯一の切っ掛け飛ばしの出来事だった(笑)。
先日のラジオで暴露されてしまったが見事に切っ掛けを忘れたのだ。まぁ大事故にならずに良かったと「ゆず」の二人に終演後に謝りに行ったのだがトラブルだと思い、その後に
どうやってステージ上の立ち位置に移動しようか思っていたと。凄く冷静だなんだな〜と感心してしまった。因に本番では歌の2番で階段は無事に設置が出来て曲中で移動出来た。


武道館では「桜会」で桜吹雪を行った。ツアー最後に魅せる何かをしたかった。この曲のイメージは「桜が凄い量で舞ってる感じ」と悠仁が言っていた。
武道館でどこまで降らせるか?叶えてあげたいがかなりの冒険だった。なかなか各会場では規制っていうのがあり、特効系は特に難しいのが現実。それでも特効チームに嘆願して
「武道館に素晴らしい桜吹雪を舞わせてくれ!」と。それも「舞う」に特にこわだった。二日間とも綺麗に舞ったと思う。

それと「虹」の〜雨上がりの空に〜の部分でのキラキラ散るスターダスト(銀箔)にもこだわった。各会場で「小屋風」という会場内の空気の流れがあり、なかなか真上から綺麗に
降る事が出来ずに苦労した。それでも武道館で綺麗に降る事が出来て良かった。武道館はやはり「何か」を凄い事を感じる場所なんだと終ってから「ゆず」と話し合った。


まだまだ書きたい事、書き残した事があるけど。心に仕舞う事も大事なんだと思うので〜。

ツアー中に多くの方々から現場でメールで声援と激励メールを頂きました。本当に感謝します。ありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。

一人では何も出来ないけど良いショウを創る気持ちで皆で頑張ったツアーでした。「ゆず」に関わる全ての人々に感謝です。ありがとうございました。またあいましょう!

そしてまだまだ僕らの旅は続きます。次は夏です。


                                     2010年4月10日午前3時。自宅にて