「ゆずのね前夜祭 〜ふたりでやっちゃいます(60分)〜」2007/10/2〜10/20

「ゆずデビュー10周年感謝祭  ゆずのね 〜名前の由来は聞かないで〜」2007/10/18〜10/28


「ゆず」のデビュー10周年を祝ったライブが終った。観に来てくれた一人一人に「ゆず」の感謝の気持ちが届くコンサートだったと思う。

二人だけでの「前夜祭」全4公演、大阪城ホールと横浜アリーナの全5公演の「感謝祭」、全て1本1本演奏曲目を替えてのライブだった。全部を観た人はまずいないと思うけど日毎に目的を考えてどの日も満足が行くライブを目指した。ゲストもスペシャルゲストとして、松任谷由実さん、忌野清志郎さん、三宅伸治さん、松任谷正隆さん、葉加瀬太郎さんに参加して頂いた。また、長年の夢だったピアノの中西康晴さんと「ゆず」のライブの仕事が一緒に出来たのが嬉しかった。二度目になる山本拓夫さん、阿部雅士stringsの方々にもご協力をお願いし素晴しい演奏をして頂いた。日々のゲストで内容が変ったけど10周年の感謝として日替わりの意味も僕等なりにあった。観る側にはあの日が良かったとか観たかったとは有ると思うが、その日その日の曲目の構成を考えたので内容には満足してる。スペシャルゲストはあくまでもサプライズなのだから。

メンバー構成を考える段階でベースにはレコーディングのプロデューサーであり、JUN SKY WALKER(S)のベーシストでもある寺岡呼人さんには早くからお願いをして、キーボードはバンマスこと伊藤隆博。ギターにはシュウちゃん(河口修二)復活、ドラムは佐野康夫さんで決った。このバンドどんどん良くなった。皆、練習好きだし全曲を覚えるのも凄く大変だったと思うけどスタジオに入ってどんどん課題曲を繰り返し練習してた。日替わりでの曲の流れとかもとても大事な事で持ち替えや準備等の確認が多くあった。それでも皆楽しさを感じながら練習してたし終ってからももっとやりたかったなと〜。良い思い出が出来ました。

1stミニアルバム『ゆずの素』発売が1997年10月25日だったのでデビュー10周年となり、10月25日に横浜でライブをやる事がマストだった。デビュー10周年記念アルバム「ゆずのね 1997-2007」の発売にあたり、過去の曲をもう1度ライブで演奏する事にも取り組んだ。なかなか選曲が難しく、それが日替わりに発展した。大きな骨組みは変更無しにしてコーナーに分けて課題曲を選んで行った。問題はゲネプロの通しをやったら3時間半の長時間になってしまった事。確か目標は2時間半だったはずなんだけど、、。大阪はあえて、その3時間半をトライしたが、横浜に向けてシェイプした。親子席を設けている事を考えてもあまりの長時間は良くない。内容的には満載だけどそれが全てお客さん側のニーズになるかは難しい判断になると思う。「ゆず」の今後のライブもその方向性を含めてもう一度考えて行こうと思う。


今回の舞台セットは黒木さんがある時に打ち合わせで訪れた日本最古の競馬場跡が基になってる。これが素晴しい建物で驚いた。後日観に行ったのだが、その広場にはオブジェがあって、その中には当時の設計図のコピーがあったりその形状がiPodそっくりの造形物だったり、、。その雄大な古き建物の存在感にただただ驚いてぜひこの建物をモチーフに横浜の象徴の赤レンガをミックスして舞台セットにした。これがなかなかの出来。レンガは色も形状もこだわって厚さを出したりした。頑張って良かった。

内容については企画の段階では色々なアイデアがあったが時間が迫るにしたがい現実的に出来るものに絞って行った。なかなか決定が出し難い今回の構成だった。

センターステージでの二人はマストにした。企画物としては何をやるか?過去のダンスはメドレーにしてやろうと決定。ストーリーに関しては今回は巨匠鶴ちゃんの書き下ろしである。過去の振り付けなので大丈夫だと思ったが、曲間の仕草等で早い段階で池田先生にお願いした。ラッキィ池田さんも快諾して頂き、今回もまたいろいろお世話になった。最終日には出演もして頂き本当に素晴しい踊りを見せて頂いた。また、ラジオの企画は早い段階から立ち上がり、実際にニッポン放送のオールナイトニッポンの構成作家の石川さんに構成等を頼んだ。それと10周年でいろいろお世話になった方々からお祝いメッセージを貰う事にした。

曲順候補の大本は北川悠仁から出た。今回は日替わりでやるんだという心意気が前面に出た。最初の打ち合わせの段階で中西康晴さん、山本拓夫さん、阿部雅士stringsには入って頂くとなったが、なかなか内容が決らずスケジュール調整も大変だった。他のスペシャルゲストは打診の段階で止っていてリハーサルが始まった後に決定になった。25日の松任谷正隆さんが最初にOKの返事を頂き、松任谷由実さんも賛同して頂き、忌野清志郎さんと三宅伸治さんはかなりギリギリでのOKだった。ゲストはかなり慎重に選んだ。リハーサル当初の仮の進行表ではゲストとラジオコーナーはセンターステージで行う予定だったけど現実的に難しいくなり変更になった。ステージの移動を考えてもそれで流れが出来た。

内容的な事が現実的になるにつれて二人コーナーの内容も大事な要素。で、どうしてもやりたかった事が登場シーン。過去に「1」の時にセンターステージに出て行くのに登場して無音の中、堂々と花道を歩いてセンターにたどり着いた。あのシーンを越える登場シーンが今回結局考えられなかった。それならばと本ステージ登場して数曲をやり、そこからセンターに移動をしないかと提案した。二人からの答えは1曲で良くて「雨と泪」が良いと。即答だった。数曲で圧倒的に「ゆず」の世界に会場を引き込み、その世界から行き成りの移動。通常考えられない進行ってのが目的だったのだが、1曲で充分だった。あの1曲目の意味、センターに移動しての「贈る詩」の意味。「ゆず」の10周年の開演の意味がそこにあった。

花道は今回ギリギリの選択だった。当初花道は無かった。お客の導線を歩くというのが最初のコンセプト。当初、二人の登場も日替わりで各ゲートに日毎に登場しようと。現実的に登場は出来てもその後の移動にかなりの無理が考えられ、結局、急遽花道的導線を作る事になった。移動は難しい。偶発で何かが起きた場合、多勢に無勢になり事故等を考慮して今回は安全策を選んだ。

今回のライブの内容の項目に関しては1つ1つに意味があった。登場からの「雨と泪」移動しての「贈る詩」。この唄がアンコールの最後(実際は「空模様」があったが)の「リアル」の最後に歌詞の一節が映像に出て「ゆず」から聞く人一人一人へのメッセージ。それは「ゆず」の10年の変らぬ唄が各人に届きますようにと願いを込めて。この大きな筋書きの中、内容的には前半に二人だけの演奏から企画物の「オールナイト ゆずのね」があり、バンドと共に「アゲイン2」で第2部の始まる。「ゆずのね」からの曲を日替わりで。ゲストミュージシャンを迎えての過去の曲を。そして企画物の「Shall we Dance メドレー」へ。ライブ後半部分は大曲を。本編最後は当初は「夏色」だった。10周年を飾る大エンディングで10連発の特効の銀テープ。だが「栄光の架橋」のスケール感を選んで変更した。アンコールは「境界線」に力を注いだ。イントロを含めてエンディングまでのスケール感は相当努力した。過去の曲ながら「ゆずのね」でも見つめ直した曲。素晴しい仕上がりになった。無論、この曲の照明も考えた。

そしてリハーサルの中でもっとも悩み考えたのが、この後の「リアル」への流れとエンディングだった。映像の鶴ちゃんを含めての総力で考えたのが「唄い続けるんだ」という文字出しからのイントロ。彼らの11年目への気持ちを表した言葉。そして「リアル」。「〜かっこ悪い僕等の唄を かっこつけて唄い続けるんだ〜」10年唄い続け、今から更に唄い続ける「ゆず」としての心意気。最後には「贈る詩」の一節をアカペラで締めた。10周年としての3時間を越える集大成としてのライブだった。


ゲストミュージシャンを迎えるのにおいて生ピアノを使いたかった。この為にリフターを用意した。ピアノもスタンウェンを頼んだ。「桜木町」「夢の地図」「栄光の架橋」生ピアノでの演奏が聞けて自分自身とても楽しかった。もっともっと時間を掛けて満足行く音でやりたがったが、、。宿題にしておこう。また、今回のライブから岩澤厚治のギターのシステムを変えた。内容は書けないが時間を掛けて構想2年今年の4月からは岩ちゃんと一緒にヤマハの協力を得て作り出した。岩ちゃんのヤマハFGの音色を今後注目して欲しい。






これで終りでない「ゆず」としての歴史。少しでもこれからも彼らの力になりたい。今後、より大きな試練が絶対に待ち受けてるだろう。それでも彼らは彼らの力でそれを乗り越えて行くだろう。少しでも力になって上げれれば良いと思う。さて、11年目は何が起こるのだろう。とても楽しみだ。過去を振り返ると僕と「ゆず」の最初のライブは1998年の3月3日だった。今は無き公演通り劇場のあの時の総立ちの観客の事を僕はしっかり覚えてる。その日からが始まりだった。あれからの10年間本当に色々なライブを共に創ってきた。まだまだ終りでないはず。まだまだ見ぬ世界を目指して1歩1歩踏み出して行こうと。






                                     2007年11月17日午後2時。自宅にて