2006/7/29、7/30 ゆずスマイルコンサート2006 〜にほんのうた〜

7月29日京都醍醐寺・金堂、7月30日山梨身曾岐神社・能楽殿の2ヶ所だけでのコンサートを行った。

長かった「リボン」ツアーが終ってすぐに少人数で打ち合わせをした。「にほんのうた」をテーマとしたコンサートを醍醐寺と身曾岐神社で行う旨。さぁどうしようかと思うほど大きなテーマを掲げたな〜と正直思った。何でも出来るけど何をすれば良いのだろう?どうしたらどう伝わるのだろう?そして「ゆず」は何を唄いそれをどう伝えるべきなのか?大き過ぎるテーマを絞って行きながら打ち合わせでは具体案より各自がどうこのテーマを探り答えを出すかを考えていった。もちろん、過去日本を代表とする「唄、歌、うた」を「ゆず」がどう捉えて行くのかが大きなテーマだと。

その打ち合わせの中で坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」という曲に今の「ゆず」が言葉とメロディーを乗せるのはどうかと案が出た。何かを創り上げる上で大事なのは発想と行動力だと思う。先ず何をどうして行くのか?それにそってどうアイデアが浮かび実行に移せるか?1つの切っ掛けでどんどんアイデアを膨らませて行ける。まだ時間があったので、その時点ではそこまでの話し合いで終った。大きなテーマ曲が見付かったので流れを僕なり考えたのが日本の四季。日本の四季の歌に「ゆず」の四季の唄を乗せるのは?漠然としたアイデアを伝えてドイツとオランダに旅立った。

数日後、候補曲をiPodに入れて飛行機で聴いたけど全然想像が出来なかった。おまけにドイツの環境では日本の歌を懐かしむ気持ちに全然なれなかった。そしてあっという間に帰国。

日本に戻り横浜の小さなスタジオで「ゆず」とリハーサル。昔、こんなリハーサルをしたな〜と思いながら次から次へと候補曲を演奏した。それでも1曲1曲の候補曲を何度か演奏して行くと良い曲とあまり変化が無い曲に分かれていく。日にちを隔てて二日間行ったプレリハーサルで「ゆず」の二人からそれぞれの曲のアイデアが出てきた。

二日目のリハーサルの途中で突然「ゆずマン」を使いたいと悠仁が言い出し、進行をして行く中である程度コーナー分けをして行った方が良いと話し合った。四季メドレーもある程度見えてきた。それでも具体的に曲を当て込む作業は時間的に段々厳しくなって行き、焦る気持ちとそれでも候補曲を絞る作業が時間の流れが気にさせた。

ある程度の曲を持ち込んでバンマス伊藤隆博と三人でのリハーサルに突入。当初の打ち合わせで「ゆず」だけで出来るのかサポートメンバーを入れるのかで出たアイデアがバンマスとストリングス5人(漠然と)だった。「ゆず」だけでは変化がつき難く伊藤君にお願いした。そして、それぞれの環境から生のオーケストラ的弦の演奏も欲しい事になり阿部雅士さんにも頼んだ。漠然と5人編成が良いと。2度目のリハーサルでバンマスが入り、彼のアイデアで音楽的に厚味が増した。候補曲も絞りつつ阿部さんにも相談をして弦の構成も考えて行った。

その一方でこのコンサートの構成の流れを考えた。登場シーンから最初の部分。最初の変化。数々の見せ所。ライブの盛り上がり的な場面。アンコールを含めたコンサートの終演までの構成を。いつもの「ゆず」のライブでは映像があり、流れを創って行く中である程度考える事が出来るが、今回は「ゆず」が出たら下がれず場面転換も難しい舞台だったので悩んだ。その中で「ゆずマン」「モモちゃん」によるナレーションを含めて登場人物で観客に伝える事も含めて構成が出来上がった。2003年の夏に行ったゆず夏休み子供コンサート「ゆずスマイル」で登場したキャラクターを使う事になり、仕草を含めての動きと言葉が重要になり時間との戦いが始まった。

夏場で野外なので素人では無理と判断してJAEの楢崎氏にすぐに相談して男女のプロをお願いして「ゆずマン」声は前回の時の声優さんに頼んだ。ゆずマンだけはライブなので対応を含めて生でしゃべる事にした。登場シーンでこの二人のキャラクターを印象づけて、このコンサートの主旨も伝えられたら良いと考えた。体操中も二人を残すのか迷ったけど流石にプロはプロ。完全に動きも仕草も考えてくれて安心して見る事が出来た。それが山梨での機材のトラブルで体操の音源が何度も流れなくてもしっかり間が持ったのは結果的に救われた。モモちゃんの声も前回はスタッフの声でやったのだが今回はリハーサルの最終日にプロの声優に変更した。四季メドレーの中のナレーションがとても重要な言葉に成ったので。

2ヶ所でそれぞれでオープニングアクトを行った。京都では坊さんによる声明(しょうみょう)。これはお経の唄みたいなもので日本の音楽・唄の原点とも言われているもの。本堂から数十人の坊さんが登場しての声明は圧巻だった。山梨では悠仁が創った下は5歳、上は中学生までの子供達の和光太鼓の演奏。これも女の子二人から演奏が始まり、日頃からの練習の成果を見せてくれた。当初、その場所場所で日本の伝統芸が見せれたら良いねと話してた事が叶った。

本編は大きくわけて3部構成になっていた。前半部分は「ゆず」の曲を二人で演奏して「にほんのうた」を演奏するところからバンマスが加わった。京都での「森のくまさん」での岩ちゃんの歌詞間違えたのを見事に二人でフォーローしたのは笑った。前半部分では「たんぽぽ」「翼を下さい」と「シュビドゥバー」が大事な曲になった。「にほんのうた」で皆が知ってる歌だけでなく「たんぽぽ」の様な細やかな個人の心に染みた曲を演奏するのは良いと思った。「翼を下さい」は僕の年代の曲だったけど「ゆず」の世代では教科書に載ってたとの事。後半に演奏する予定だったけど前半に持ってきた曲。岩ちゃんの歌い上げ素晴らしかった。前半を締める曲をリハーサル最終日に「シュビドゥバー」にした。リハーサルの中で感じたのは「ゆず」の唄う「にほんのうた」はまた「ゆず」の歴史の中で「ゆず」の大事な楽曲を今後に伝える事でもあると感じたから。「シュビドゥバー」が候補曲に無かったけど前半を締めくくるにはこの曲が良いと思ったから。

中盤では「四季メドレー」を作り込んだ。日本の四季をキャラクターの二人が解りやすく説明をして、この間に阿部雅士stringsの5人がスタンバイ。キャタクターの説明が終ると演奏が始まる。当初はキャラクターにメドレー中に芝居が出来たらやりたかったのだがそれぞれの曲全てでは難しいと判断して、キャラクターは演奏が始まるといなくなり、後は声だけで効果的に参加する事にした。因にナレーション等の台本は悠仁の力作の20分以上の大作になった。。四季のメドレーの中身は「ゆず」二人が考えた。季節が変わって行く情景描写をキャラクターのナレーションで綴った。イントロに合わせての言葉のタイミングが非常に難しかった。阿部雅士stringsの皆さんも曲中では手拍子等もやってくれて、山梨の時には余裕も出て良かった。

後半の導入に「栄光の架橋」を持ってきた。歴史ある場所で「火」を使いたかった。なかなか日本では「火」をライブ会場で使うのは難しい。山梨で以前「タイマツ」に点火するのを観たのだが今回はトーチを10台使った。「火」と「水」は人間に何かを与えるモノだと僕は思う。阿部雅士stringsとは2004年のあの武道館「1〜one〜」最終日の「栄光の架橋」で共演している。バンマスのイントロも味があって良かった。この曲が2ヶ所の場所に本当に合ってたと思った。出来ればもう少し暗くなっていて照明と「火」がもう少し効果が出れば良かったけど。

そして今回リハーサルから作り上げた中島みゆきさんの「時代」。横浜のリハーサルの時に何気に岩ちゃんが一人でポロッと唄ったのが始まり。全員でリハーサルをやってる時に悠仁がイントロとか全体に力強さが欲しいとギターをかき鳴らした。それがイントロになり曲のイメージが変わった。弦のアレンジもバンマスのアイデアで力強くなった。「翼を下さい」を含めて曲順もいろいろ考えて変更に変更を重ねて当日を迎えた。この「時代」も「ゆず」らしく唄えてた思う。今度瀬尾一三さんにあったら聴いてもらいたいほどだ。良い顏で唄ってる二人が印象的だった。

「夏色」では急遽キャノン隊が結成されて華やかになった。京都ではタイミングがズレたけど山梨では完璧だった。また、「リボンツアー」最終日の出来事から伝説?のキャノン砲の締め。これは当分続く気がする。本編最後の曲は「スマイル」。山梨で「モモちゃん」が下からのライトで不気味になったのには大いに驚いた。キャラクターが勢揃いしてのエンディングって華やかで終わりって気がする。そして登場者が皆、良い顏なのが大事。京都では坊さんがそうだったし、山梨では子供達がそうだった。笑顔が良いのだ。

アンコールで「センチメンタル」をリハーサルの最後で入れた。そして壮大な曲に仕上げて「見上げてごらん夜の星を 〜ぼくらのうた〜」。どれだけこの曲の知名度があるのか不安だったけど不滅の名作ってのはしっかり伝わるものだと感じた。作詞は永六輔氏、作曲はいずみたくさん、そして歌唱は坂本九さん。1963年に発表された曲で「〜ささやかな幸せを祈ってる〜」この言葉の深い意味合い。哀愁のあるメロディ。毎年8月になると必ずこの曲が世間に取り上げられる。1985 年 8 月 12 日 午後 6 時 12 分、群馬県にある御巣鷹山付近に日航のジャンボジェット123便が墜落して山中に消えた大惨事。この搭乗者に坂本九さんは乗っていた。帰らぬ人に。飛行機が落ちる恐怖。僕も仕事柄飛行機に乗る機会が多い。今でも乗ると数時間は体調不良になる。ある意味タイムマシンだと思う。でも落ちたら終わりだ。恐怖は付きまとっている。飛行機の墜落も坂本さんの死も当時相当の出来事として捉えられた。「上を向いて歩こう」「幸せなら手をたたこう」そして「見上げてごらん夜の星を」数々の名曲を歌っている坂本九さん。その名曲の中から7月の終わりの野外コンサートの最後を飾る曲として選曲して、尚且つ、その曲に「ゆず」の息吹を入れる事にして完成した「見上げてごらん夜の星を 〜ぼくらのうた〜」。素晴らしい曲になったと思う。「にほのうら」の最後をどのようにして終えるかで、最初からこの曲があって創り上げた。最後の「〜ららら〜ららら〜」の部分は一緒に唄って欲しい部分だったけどあまりに楽曲が聞き込む曲になっていて、とても良い雰囲気で声が出ないけど感じてる雰囲気になっていった。夏の野外を良い雰囲気にいかにも「ゆず」のコンサートとして創り上げた空間になっていたと思う。

2本しかないコンサートで場所も環境も全く違う空間での作業。おまけに京都では前日のリハーサルの後に落雷を含む豪雨があり、照明創りが全く出来なかった。それでも小野川氏のプランで本堂の仏像とその背景を見事に染めた照明は素晴らしかった。あの前日の大雨の中で本堂を照らしてる照明は綺麗だったけど本番では雨のカーテンが無かったので幻想が出なかったけど。それでもあの広い空間を見事に創り上げたセンスが良かった。また、直前まで雨対策用のテントが舞台上にあり、悠仁が何時まで雨があがればテントは無くなるのかと心配してたけど日頃の行いからか直前に取る事に決定して本番は無かった。弦の人達には雨は天敵だから雨が降り始めればテントを出さなければいけなかったから。一転、山梨では最高の天気で暑かった。ここの能舞台も複雑な作りで、その地面の部分は池になっていた。この池をどう見せるかとか悩んだけど出演者の多さとか転換の事を考えて舞台前を水上舞台にしてしまった。舞台正面、鏡板に描かれた老松は、文化勲章受章者、故守屋多々志(ただし)画伯(1912〜2003)が描いたもの。それをこれまた小野川氏が見事に各曲に合わせて染めて見せてくれた。綺麗だった。

今回のコンサートが特別の場所で行われたので、時間の余裕も無く構成の手直しも殆ど出来ない状況の中で、参加してくれた多くの方々、現地の協力してくれた多くの方々によってコンサートが無事に行われたと思うと多大な感謝をします。京都では開場直前まで多くのイベンターの方々とスタッフが水溜まりの水かきを率先してやってくれた。「ゆず」のライブを創る上で多くの方々が協力してくれて出来上がってることにとても感謝してます。そして、来て頂いた方々に最高の思い出を残せるように頑張ったつもりです。良い夏の思い出が出来た気がします。

                                     2006年8月16日午後10時。目黒の事務所にて