イタリアでの出会い
我々とあえて書かせてもらいます。それは、90年イタリアワールドカップに有ります。
僕は、12歳の時のメキシコでのペレによって世界を見ました。ワールドカップをいつか生で見たいとずーっと思っていました。90年の時、僕は1カ月前、会社問題で揺れていました。それは、新たなる旅立ちみたいに独立でした。そこで、良い機会と思い急遽、観戦ツアーに応募しました。それがこの壮大なる旅の始まりでもありました。
もちろん1人での参加で見たいのはセレソンとディエゴだけでした。今から考えれば、もっと綿密な勉強をしてから行けばよかったのに、、、。ユーゴも韓国も見ておきたかった。気休めの旅行と気分転換と決め付けていたのだが、世界は、そんなものじゃ無かった。凄いのだ。僕なんてただのサッカー好きにしかならないのだ。あの会場での雰囲気は、感じるものです。
参加メンバーは、2〜3週間の予選リーグを見て回るコースだった。サッカーって決勝を見たがり人が殆どだと思うが、僕らは違う。裏なのだ。何でも表があれば裏があるように、本大会に出てくるだけで精一杯の国が、優勝を狙う国からどう勝ち点を取るか、隠れ名勝負は、隠れ名選手を自分の眼で見つけるのだ。戦術も自分の眼で見て後日評論家達の眼とどう違うのか、楽しむのだ。自分なのだ。自分の観たこと感じたことが全て。そして絶対に生なのだ。
話を戻そう。イタリアのローマの郊外の3つ星(ウソみたい)のボロホテルで、2人部屋だった。それが間違いの始まり。最初の夜、1人旅だから友人を作るために色々な人に話し掛けるが、手っ取り早いのが当然同じ部屋の人だ。自己紹介も終り「お先に」と眠りに就いた。 真夜中、何処かで叫ぶ声が。「ウギャー。馬鹿野郎!!違うんだ!!」何かと飛び起きると隣で寝てる奴の寝言。真夜中のイタリア。真っ暗の中での出来事。まるでエクソシストのよう。たまげたー。もう寝れない。どうしようもない怖い初夜だった。
あくる日「おはよう」で気がつく。ウアー。朝方寝れたらしい。なんて清々しい顔していやがる。馬鹿野郎はおまえだ。そんなこんなで、僕はもう部屋に帰りたくない状態になってしまった。そこで、行きの飛行機で僕の隣だった人の部屋に逃げこんだのだ。その人の同居人こそが、僕のそれからのパートナーになる「食べていいですか?」こと小池光洋だ。通称「池」だ。 これは後日談だが、アメリカでも同じ状況に出来合うとは思ってもいなかったが、、、、。オソルベシ。
イタリアのワールドカップで噂になったのが、フーリガン問題だ。日本でも話題になったくらいだから、世界では当たり前の話題。で、そのもっとも危ないとされる「イングランド」と「オランダ」がサルディニア(島です)で隔離され激突する。観に行くには当たり前です。もちろんオプションでした。 その頃になると、顔も大分判ってきて、話もするようになる。島に渡って来る奴なんて相当変な人達だ。中には新婚旅行で来てる奴らがいる。試合については、後日に譲るがサルディニアの避暑地(このツアーで1番のホテル)で、地中海のプール付きの最高の条件の中、僕はお金がなかった。 昼飯は、オプションで金の無い僕と金の無い1組のカップルがプールに残された。つまり飯抜きなのだ。喰いっぱぐれのカップルの旦那、それが2人目のパートナーの茨城の強者こと幸田光生(妻・幸子)だ。愚痴でたなー。思い出思い出。
その時裕福に飯を食べてたのが3人目のパートナー神戸のお気楽こと大村和也(妻・いづみ)だ。彼らは、新婚を祝うかのようにそれはそれは、悠々自適に飛び回ってました。ウラヤマシカッター。
いつからだろう。ひとり気になる奴がいた。どこでどうなったか忘れたが幸田と僕とそいつで話が盛り上がった夜があった。そいつが岐阜の鉄砲撃ちの上村利勝だ。こいつは怪しいぞー。絶えずポケットには、護身術用のナイフを持ってる奴なのだ。いつもひとりで何かをしてるのだが、我々とは旨が合うらしい。
以上僕を入れての5人がこのワールドカップ観戦記の主人公です。94年の語り尽くせない1カ月の放浪の旅は、ゆくゆく解き明かして行こうと思っています。何せ飛行機から、宿、試合のチケットまで自分達で調達して観たアメルカワールドは、僕らの思い出と誇りです。
お楽しみに。近日このページにて!!