今回は奇跡の時代の終焉について。
とは言っても、この時代にここからここまでというような明確な区切りなどもともと存在しないのですが、このアルバムが発表された72年頃になると、それまでとは違う明らかに別のタイプの音楽が生まれ始めます。それは一般社会が60年代末の動乱から抜け出し収束していくのに合わせるかのように、音楽も混沌から秩序あるものが主流になってきます。
ここに列挙した錚々たるメンバーリスト、リーダーのマイニエリを始めとしてブレッカー兄弟やジョン・ファディス、スティーブ・ガッド、ロニー・キューバなどジャズ側メンバーの方の比重が高いとは言え、そんな中にプログレ界の重鎮トニー・レビンや、ギターやハーモニカで数多くのアルバムに参加しているヒュー・マクラッケン、後にプロデューサーとしても有名になったデビッド・スピノザなど、ロック関連の名前も見つけることができます。ですからリストだけを眺めていると、ジャズとロックががっぷり四つに組んださぞかしエキサイティングなサウンドなんだろうなと胸がときめいたりします。
このアルバム、発表当時はごく少量しかプレススされず、入手困難な幻の名盤などと呼ばれていたらしい(マイニエリ自身も持っていなかったとか)のですが、たしか90年代の初め頃ついにCD化され、その当時ジャズ系雑誌などでちょっとした話題になったものです。私もその時にこのアルバムの存在を知り、いつか聴いてみたいと思っていました。その後私が実際にこのアルバムを手にできたのは、しばらく歳月が過ぎた後。その頃、私はすでにジャズとロックがぶつかる混沌とした音楽に愉しみを見いだしていました。ですからこのアルバムへの期待もさらに高まっていて、ワクワクしながらプレイヤーにかけてみると....。
流れてきた音楽は想像していたものとはかなり違うものでした。どこがどうだと事細かにあげつらうことは出来ないのですが、端的に言うならば「きれいすぎる」のです。テクニックは申し分のないミュージシャンたちによって奏でられるた音楽は、ブルースからラテン、16ビートに至るまで実に多彩なものなんですが、そのいずれにも躍動感というかこちらに迫ってくるものが感じられず、全ての音楽が私の頭にいっさい何も引っかけないままお行儀よく通過して行ってしまったのです。
なんだろうこの感触。この感じは初めての体験ではないぞ。そうだ。これはフュージョンだ。
70年代の半ば頃から一世を風靡した「フュージョン」という名で分類されるタイプの音楽。その感触とよく似たものだったのです。そういえばこのアルバムの宣伝文句に「フュージョン誕生の瞬間をとらえた...」みたいなことが書いてあったかも。しまった、やられた....。
私はフュージョンがどうにも苦手で。昔はそこそこ好きだったんですが、いつの頃からか聴いていても胸がときめかない音楽になってしまいました。たしかに演奏者のテクニックはしっかりしてる。でも器用貧乏というのか、どんなタイプの曲もあまりにもそつなくこなされてしまうので、そういうところが逆に演奏者がやろうとしていることを不明瞭にしているように感じてしまうのです。私が、主張の固まりのような音楽ばかり聴きすぎてしまったせいでしょうか。
思えば私が好むこの時代のジャズとロックは、融合といえば聞こえがいいものの実際はそれぞれの主義主張をぶつけあって、それによって生じた火花や化学反応を面白がっているところがあります。そういう視点に立つと、フュージョンはみんなが仲良く手をつなぎ、お互いを立てるという名目で遠慮しながらニコニコと演奏している音楽に思えてしまうのです。
音楽に限らず社会的にもパワーにあふれていた60年代が終わり、無気力無感動無関心のいわゆる三無主義が台頭する70年代へ。時代の変化と連動して、音楽も協調性の高い、耳に優しいものが主流になっていきます。それをロックやジャズの商業化、コマーシャリズムへの迎合などと呼ぶ人もいますが、本当のところはそれまでの激しいぶつかり合いに疲れただけなのかもしれないですね。それから四半世紀以上の年月が過ぎ、さまざまなタイプの音楽をその場の気分で自由に選択可能な今の時代からは、実際にあの頃はどんな状況だったのかは想像する他ありませんが。
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