前の2球はコーナーぎりぎりをつくクセ球のようでしたが、今回はど真ん中に剛速球をほおりましょう。誰もが認める、1970年末リリースの名盤です。
実はこの時代には、ジャズとロックの接近融合以外にもうひとつ、特徴的なことがあります。それはイギリスとアメリカのミュージシャンによる相互交流で、それも、既にそれぞれの国でそれなりの実績を積んでいたミュージシャン同士のコラボレーションが活発に行われた、ということです。今回とりあげたこのデレク&ドミノズのアルバムは、そんな英米混成がもたらした最高の成果だと言われています。
この時期の英米ミュージシャンの交流は、1968年のクリーム解散からこのアルバムに至るエリック・クラプトンの音楽的変遷を覆い被すような形で、いわゆる「スワンプ・ロック」と呼ばれた音楽シーンの中心的ストーリーとしてよく語られています。ただ、ちょうど同じ頃に英国からジョン・マクラフリンやデイヴ・ホランドなどが参加していたマイルス・デイビス・グループなど、他のジャンルでも英米混成の例は見受けられますし、そもそも英米混成バンドのはしりはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスあたりだったのかもしれません。また視野をプロデューサーあたりまで広げるとその例は一段と増え(前回の MJQとアップルの契約もこれに該当しますね)、もっと言うならあのモンティ・パイソンも英米混成チームですから、当時の芸術分野では同時多発的に起きていた現象なのかもしれません。
この現象、いろいろな要因はあると思いますが、米国のミュージシャンが本気で英国のミュージシャンを認めた、ってことなんじゃないかと私は思います。60年代中頃のいわゆるブリティッシュ・インベイジョンの最中でも、米国ミュージシャンは本音では単なる流行りと見ていたんじゃないかと思うんですね。こいつら俺たちをコピーしてるだけじゃねぇか、という具合に。で、たしかに彼らの思った通り、ヒットチャートが英国勢で埋まってしまうなどという状況は長く続きませんでしたが、ブームが去った後でもチャートから消えない一団がいる。その頃からやっと色メガネ抜きで英国人の奏でる音楽に耳を傾けるようになったんじゃないでしょうか。そうやって聴き始めているうちに、意外にヤルじゃないか、こいつら単なるコピーじゃなくて俺たちの音楽の本質がわかっているようだし、しかも俺たちにはないイマドキの感覚を持ってるぞと認められる英国ミュージシャンたちを発見していったんじゃないかな、と。
一方英国では、これはよく語られている話ですが、全米チャートも制覇してしまいいささか慢心が芽生え始めていた矢先の、ジミヘン・ショック。私のような後追いかつ他国籍のものには想像するしか仕方がないですけど、ジミの登場はやはり相当な衝撃だったようです。上っ面ではない本質の違いを見せつけられたんだそうで、慢心も一気に吹き飛んだ、といった談話をよく読みます。そこで、自分の音楽の根本を見直し、結果アメリカン・ルーツ・ミュージックに傾倒していく一団があらわれた、ということだそうです。
こうして英米それぞれのミュージシャンが、自分に不足しているもの、自分の求めているものを向こうが持っていることに気づきます。マイルスも自分の音楽に不足している部分を埋められるのがマクラフリンのギターだということがよくわかっていました。そういった両者が共演するのはごく自然な成り行きでしょう。もちろんこれを実現するために英米の橋渡しをしていた一部の音楽関係者の努力もあります。しかしここに時代が追い風を吹かすことで、双方がお互いに敬意、というよりも憧れを持ち合って共演する、コラボレーションの理想型が実現しています。これもまさに、この時代が成し得た奇跡のひとつでしょう。
このアルバムでのエリック・クラプトンは、クリーム時代までの全てを1人で背負い込んだような眉間にしわを寄せた演奏ではなく、バックを固める米国ミュージシャンの演奏に身を委ね、デュアン・オールマンにも対抗するのではなく、むしろソロをまかせて、自分がそのサウンドの真っ只中にいる幸せを噛みしめながら演奏しているように聴こえます。もちろんドミノズの奏でるサウンドそのものが演奏する喜びに満ちあふれていて、聴いているこちらにまでビシビシと精気が伝わってきます。このような、自らの奏でる音楽に対する純粋な姿勢というものを、クラプトンに限らない多くのミュージシャンが持っていたことが、この時代の奇跡を成した根元的な要因として案外強く影響しているのかもしれません。
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