今回は、今ではベイシーやエリントン楽団と並ぶ名門ビッグバンドと呼ばれる、サド・ジョーンズとメル・ルイスの双頭ビッグバンド、通称「サドメル」を取り上げます。1966年に結成されたサドメル・ビッグバンドにとってこのアルバムは通算4枚目にあたるアルバムですが、前作までは全てビレッジバンガードでのライブ盤でしたので、初めてのスタジオレコーディング・アルバムということになります。
このビッグバンドに関して有名な逸話として、60年代半ばのロックブームの煽りを受けたジャズミュージシャンたちの仕事がなくなり、スタジオワークで生計を立てざるを得ない状況に陥った中で、好きなジャズを演奏するためにスタジオの定休日だった月曜日を使って、ほとんどノーギャラで集まるリハーサルオーケストラとして結成されたというものがあります。
この逸話は時代背景から言って説得力はありますし、かなりの真実を含んでいるんだろうとは思います。ですがこのアルバムを聴いていると、コトはそんな単純な動機だけでは済まないのではと思えます。というのも、ここで聴けるサウンドは従来のビッグバンドサウンドの常識をうち破るような先進的なサウンドであって、上の逸話に漂う何となく後ろ向きな保守的ミュージシャンの姿とは正反対なのです。このアルバムが発表された1969年、ジャズとロックの垣根を越えようとするミュージシャンが多数現れ、また自身も結成から3年が経過し、活動も安定したことで音楽的な冒険に出る気になったのかもしれません。でも、もしそうだとしても、保守的なミュージシャン達がここまでふっきれた音を出すでしょうか。
この疑問を解くヒントを探すため、私はとりあえずこれより前のアルバムを聴いてみることにしました。ところで余談になりますが、今サドメルのアルバムを手に入れようとするのは至難の業です。この"Central Park North"はブルーノート扱いになっているため比較的手に入れやすい方なのですが、これ以外はなかなか見かけることはありません。もともとサドメルのファンには熱狂的な方が多いので、発売されたらすぐに手に入れておかないと、まずそれっきり2度と会えないことはよくあります。数年前にもMosaicレーベルから SolidState時代のコンプリート(!)がリリースされたようですが、このレーベルは初めから限定盤仕様ですし、その存在を私が知ったときにはとうの昔に売り切れでした。少々話が横に逸れましたが、そんなわけで私は中古レコード店でなんとか2作目の"Live at Village Vanguard"を見つけ手に入れることができました。やはりこういうときはアナログレコードを探した方が見つかり易いですね。
さてそのサウンドですが、さすがにビート的には4ビート主体であるものの、所々で後々のサウンドを思わせる独特な響きを聴き取ることが出来ます。特にサドジョーンズがアレンジした曲にその傾向は顕著で、これは同時代までのベイシー楽団などにはあり得ない新しいサウンドでした。一説にはサドジョーンズは元々カウントベイシー楽団に参加していたにもかかわらず、自身のアレンジはそのサウンドの斬新さゆえにベイシーに取り上げてもらえなかったため、リーダーバンドの結成を決断したとも言われているくらいです。つまりやはりこのバンドは、リーダーも、ミュージシャンも、それぞれが後ろ向きなノスタルジーを満たすためではなく、新しい音楽を模索しそれを実現させるためにビレッジバンガードに馳せ参じたんだろうなということが、容易に想像できるわけです。
よくよく冷静に考えると、ミュージシャンに対して保守的な同じスタイルの音楽を求めるのはいつもリスナーの側なのかもしれません。現役のミュージシャンというものは、常に新しい音、今まで出せなかった音を模索し続けるものではないでしょうか。経済的な理由やファンサービスのために、過去の演奏を再現してみせたり自己主張を控えた他人のための音楽をスタジオで奏でたりしてはいるものの、本心では自分の中から湧き出る音楽を外に向けて解き放ちたいと考えているのではないでしょうか。それが創作というものでしょう。そしてそれを解き放つとき、ミュージシャンにはロックだジャズだというようなジャンル分けなどは存在せず、もし何か基準があるとすれば、それは自分の中の何かが反応する音楽であるかどうかの一点につきると思います。ジャンルというものは、リスナーによるリスナーのための分類方法でしかないのです。
採算度外視のリハーサルオーケストラからスタートしたサドジョーンズ-メルルイス・オーケストラが、月曜のビレッジバンガードの客席を埋め活動を軌道に乗せて行くことが出来たのは、リーダーが求め、メンバーが表現した新しいビッグバンドサウンドを支持したリスナーがいたということに他なりません。たぶんそれはその音に、嘘偽りのないミュージシャン自身の、その時現在の音を聴き取ることが出来たからではないでしょうか。
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