おまんこと叫べ

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それは今から10年程前。俺はいつも無意味に腹をすかし、自分と世界を心底憎む、つまりどこにでもいるクソガキであった。リクルート事件が起これば腐敗した政治を憎み、湾岸戦争が起こればアメリカの傲慢な正義とやらを憎み、宮崎勤の事件が起これば無神経なマスコミと愚かな大衆を憎んだ。そして何より、なにもできない無力な自分を憎んでいた。

そうして憎んだもののひとつが、「タブー」という概念だった。「規範」でも「モラル」でも「常識」でもいい、とにかくそういうモノ。アレをしてはいけない、コレをしてはいけない。俺ではない誰かが、偉そうに命令してくる。それを守らないものは容赦なく断罪され、社会から有形無形の制裁を受ける。

当時の俺にはそれがくだらないことに思えた。けっ。どうせあいつら、一人じゃなんにもできない連中なんだろ? 弱っちいクズ人間なんだろ? だからテメエらで勝手に集団作って、羊のようにお互いを暖めあってなんとかヌクヌク生きてるだけなんだ。それならそれで一生馴れ合いやってりゃいいものを、中途半端に外へ対する憧れも持ってるもんだから、外へ出て行こうとするヤツの足をやっかみ半分で引っ張ろうとする。

そんなこと誰が決めた? 俺じゃない誰かが決めたことに、従う必要がどこにある? 自分のルールくらい自分で決めるさ。そんな当たり前のこともできないバカで虚弱な大人どもの言うことなんか、なにひとつ聞く必要はない。誰が決めたか知らないが、エラソウに存在し俺達に指図してくれやがるタブーとか常識とかいうもの。俺はヤツらに挑戦し、徹底的に破壊してやろうと決意したのである。

その具体的な闘争手段として俺が選んだのは、大声で「おまんこ」と叫ぶことであった。もちろんギャグではない。ちんぽだってまんこだって、誰もが生まれながらに持っている、ごく当たり前のものではないか。生命の誕生に関わる、大切な器官ではないか。

それをヤツらと来たら、ヘンに隠して、もったいぶって、コソコソしてやがる。んーなことするから余計な付加価値が生まれちゃうんだよ。それに金を払うような汚い大人が出てくるんだよ。ていうか、価値が生まれたように見えてしまうだけで、ほんとはちんぽもまんこもただただ在るだけなんだけどさ。とにかく、そういうことしてっから話がややこしくなるんだって。

だから俺は社会道徳とかそういうくだらないものをブッ壊してやるために、日常の中で堂々と「おまんこ」とはっきり言うことに決めたのである。「ちんぽ」でもいい。「クリトリス」でもいい。とにかくそういった、不当に貶められた言葉を当たり前に使うことで、腐った世の中に挑戦状を叩きつけたのである。

みんながみんな、誰はばかることなく「おまんこ」と言えるようになったとしたら、それはくだらないルールが完全に消滅したことを意味する。それはどんなにか素晴らしい世界だろう。いつの日かきっとそういう世の中がやってきて、差別も憎しみも戦争も貧困もない、幸福な理想社会がやってくるに違いない。俺は本気で、そんな日が来ることを信じていた。

だから「おまんこ」と口に出すひとが一人でも増えれば、それだけ世の中がよくなったことになるのである。それがよりよい世界に向けての、一歩前進なのだ。だから少なくとも俺だけは、人前で「おまんこ」と言い続けよう。そのことで確実に、ほんのちょびっとではあるが、確実に世界はマシになっているのである。

誰はばかることなく「おまんこ」と言おう。そして世界を変えるのだ。セイオマンコ。アンドチェンジザワールド。その輪を広げるために、その第一歩を踏み出すために、俺は日々「おまんこ」と口に出していたのだ。

誤解しないで欲しいが、別に笑わせようと思ってこんなこと書いている訳ではない。少なくとも当時の俺は本気でそう考え、真剣に実行していたのだ。

ミもフタもないことをできるだけやってやろう。みんなが眉をひそめることをどんどんやってやろう。そこにこそ救いがある。そこにしか救いはない。俺はそう信じ、誰の前でも意味なく「おまんこ」と言い続けた。それこそが、それだけが、このクソのような世界をマシにできる方法なのだ。


繰り返すが、決してネタなんかではない。当時の俺は真剣にそう考え、実行していたのだ。なんと低能なクソガキであったことか。恥ずかしさを通り越して、それこそ殺意を覚えてくる。

21歳ではじめて女の子と付き合うようになって、チューもして、童貞も捨てた。そしてその挙げ句、今まで自分がやってきたことが間違いだったことに気づいた。やっぱタブーって大事だわ。

かつての俺ならば、例え本命の彼女といえでも「や〜今日もおまんこは毛がモジャモジャ?」とか「最近生理順調? 経血ブーブー出してる?」とかそういうことを言ってきた。でまあ、そんな俺の孤独な戦いを受け止めてくれる女性とお付き合いに至った訳だが、それでもやっぱりセックスはする。チンポを勃てて、濡れたオマンコに挿入する。そこで気づいのだが、やっぱりムードとかそういうコトは、できればあった方がいいらしいのだ。

若いウチはいい。自動販売機の釣り銭返却口を見てもムラムラくるような、旺盛な性欲を持て余しているウチはまだいい。とりあえず「チンポびろ〜ん」とか「仮性包茎チンポ、2秒で変身!」とかいいながらもちゃんと勃起して、セックスもできる。事実できた。

でも30も近くなるともうダメ。やっぱ部屋暗くして、テレビのプロレス中継も消して、できればアースウインドアンドファイヤーの『宇宙のファンタジー』かなんか、そういうムーディーな音楽なんぞかけながら、セックスした方がいいみたい。その方がうまくいくみたい。

「秘すれば花」。若き日の俺の闘争は、ひとことで言うと、そんなつまらない格言というか諺に負けたのである。だからやり場のない怒りを抱えた、若き戦士たちよ。フヌけてしまった俺の代わりに、できるだけ大きな声で「オマンコ」と叫んでくれ。そしてこのくだらない世界をブチ壊してくれ。脱落してしまった俺と一緒に。


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