三本松

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学生のころ住んでいた町には、かつてそういう地名があったらしい。郷土資料館へ行けばわかるが、近くの小高い丘の上には、三本の松が繁っていたのだそうな。そこで俺の想像はふくらむ。この辺りもまだほとんど家がなくて、田んぼや畑が一面に広がっていたころのことを。その景色の中で、小高い丘に立つ三本の松は、どれほど目立ったことだろう。数キロ離れたところからでも一発でわかったに違いない。今風に言えばランドマークというヤツだ。不動産屋も広告代理店も絡んでこない、本物のランドマークである。

一日の野良仕事を終えたお百姓さんが、今日も三本の松を眺めつつ家路につく。あるいは長旅から帰ってきた人が、幼い頃から見慣れた三本の松を遠くに見つけたとき、しみじみと故郷に帰ってきたことを実感する。そういう情景がたぶん何十年も繰り返されてきたのではないか。松が三本生えてるから三本松、何のヒネリも工夫もない地名だが、「希望が丘」や「星の降る里」なんていうあざとくて人工的な地名に比べれば、よっぽど味わいがある。なにより、そこに住む人々の生活に根ざしている。

三本の松は高度成長真っ盛りの、昭和30年代頃に切り倒されたらしい。今ではびっしりと住宅が建ち込め、どこに松が立っていたのかさえわからくなっている。石碑の類もなく、わずか「三本松商店街」「三本松米殻店」などにその名ごりを残すのみである。第二次大戦後に進められた行政の区画整理・再編成のおかげで「三本松」なる地名も消え、現在は「中馬込一丁目」となっている。

ひとつひとつの地名には、そこに昔から住んでいる人の想いや歴史が必ず込められている。それをただ、合理的でわかりやすいからというだけで勝手に変えてしまってもいいものだろうか。しかもわかりやすくて便利に思うのは、役所の人間だけなのだ。行政のこういう身勝手は今日も続いていて、今この瞬間にも日本中の「三本松」が「○○1丁目」に変えられている。地元の人々が数十年、数百年に渡って積み重ねてきた歴史は、あっという間に抹消され、おそらく二度と復活する事もないのである。

ご丁寧にもこの辺りは「東馬込」「南馬込」「西馬込」「北馬込」「中馬込」のそれぞれ1〜5丁目と見事なまでに区分されてしまっている。どうせなら「白馬込」と「發馬込」が揃えばもっと完璧だったのに。

 

蛇足:こういう行政の身勝手な地名改変(改悪というべきか)に反対する運動を地道に進めている人々もいる。肉体労働のバイト先で出会ったおじいさんがそうだった。あのじいさん、まだ生きてっかなあ。


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