民族・社会に固有な文化的概念としての倫理について

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唐突だが、「自分なりの美意識」というのが誰にでもあって、俺にもある。世間的にはどんなにカッコ悪いことだろうとも、俺的にはカッコ良かったり、またその逆もあったりするのだ。

さらに唐突だが、みなさんが最後にウンコを漏らしたのはいつですか? 小学生? それ以前? 覚えてない? 僕は30歳です。今30歳です。12月が誕生日なんで、30になったばっかりなんですが、正月にさっそく漏らしました。21世紀初のミレニアムうんこ漏らし経験済みです。30歳の前はいつだったかというと、29歳のときです。その前は28歳でした。まあ、フツーに生きてりゃ、誰でも毎年一回くらいのペースでウンコ漏らしたりしてますよね。このフツーっつうのが難しくて、いつもあれこれ考えさせられるのだけれども。

肛門括約筋がユルい訳じゃないんです。それは自信あるんです。というのも私、小学生の頃からとにかくよくオナラが出るタチで、それはもうしょっちゅうプウプウプウプウおならしてたんですよ。だいたい「音の出る屁は臭わない。すかしっ屁は臭い」なんてことをいいますが、ありゃウソ。私の屁はやたら大きな音をだす割に、それはそれは臭いのです。まあ小学生時分ですから、私が一発屁をこくたびに教室は大騒ぎ。授業は中断。それがあまりに頻繁にあるものですから、先生から「amigo君だけは、授業中でもオナラがしたくなったら廊下に出ていい」という特例を認められてたくらいです。

一度「どれくらいの頻度でオナラをしているんだろう」と不思議に思い、丸一日授業も聞かずにノートに記録をつけたことがあります。平均すると、約10分に1回。ゾッとするでしょ。いや自分はしましたよ。「僕は体のどこかがおかしいに違いない」「もしかしたらオナラ病で死んでしまうかもしれない」って真剣に悩んで周りに相談したこともあります。大笑いされて終わりましたけどね。おかげで随分ひねくれた大人に育ちましたよ、ええ、ええ。

30年間、ずっとそんなペースで来る日も来る日もオナラってきた私ですから、自慢じゃありませんがオナラに関する経験値はそんじょそこらのじじいより遙かにあります。言うなりゃベテランのオナリストです。あと中堅どころのオナニストでもあります。オナリストは得てしてテロリストでもある訳ですが、困ったことに思想が伴わないんですね、コイツらの犯罪というのは。思想のない暴力ほど危険なものはございません。歯止めきかないですから。こういうのは、同じ暴力をぶつけて、力で押さえつけるしかないんでしょうね、ちょいと話がズレましたすいません。

ま、おかげさんでありとあらゆるシチュエーションにおけるオナラ=オペレーションを遂行してきてますから(いろんな失敗や事故も経験しつつ)、自慢じゃないけど自分の肛門コントロール技術にはちょっとした自信があるのですよ、まあ他人と比べられないのが辛いけど。自分的には偏差値にして75くらいはあるんじゃないのかなあと。控えめに言っても。思っとります。

閑話休題。で、それほどまでにアナルコントロールに卓越した私が断言します。決して括約筋がユルい訳ではないんです。じゃあお前はなんでそうもしょっちゅうクソッタレなのか。いい歳こいてるにも関わらず。そんな疑問はさもありなんなのですが、結論から言うと「ヤル気がない」。これに尽きるんですな。

そう、私はヤル気がないのです。「ああウンコ漏れそう」と思ったとき、普通はみんな我慢するんだと思うんですよ。だっていい歳こいてクソ垂れる訳にもいかんでしょうし。ところが私は、この件に関しては非常に闘争心が希薄なんですな。「いいや別に。パンツ洗濯して、フロ入りゃいいんだろ」すぐそんな風に思ってしまうのです。その挙げ句が年1ペースのクソ漏らしですわ。もう30にもなるのに。まったくお恥ずかしい。

だから厳密に言うと、「ウンコを漏らし」ている訳じゃないんですよね。「漏らす」、つまり「漏らすまい」とする意志があるにも関わらず、奮闘努力したにも関わらず、残念ながら力及ばずはからずも漏らしてしまった、そういうことではないんですね。いわゆる「粗相」ではないのです。敢えていうなら、私の倫理観、人間性、私という人間存在そのものが「粗相」なのでしょう。

さてお立ち会い。こと「ウンコを漏らす」に関しては、ヒジョーにモラールの低い私ではありますが、不思議なことに「おしっこ」。これに関してはイタリアンマフィアや旧KGBもかくやというほど、厳格な鋼鉄の規律をもっているんですな。私、記憶にある限りオシッコ漏らしたことがありません。チビったこともありません。もう幼稚園くらいからこっち、オシッコなんて漏らしたことないっすね。あんま自慢にはならんでしょうが。

だってもう大人だよ? 自立した自我をちゃんともっている、しっかりした人間存在なんだよ? それがオシッコ漏らすなんて赤ん坊じゃあるまいし、そんなこっ恥ずかしいことできる訳ないじゃないですか。おかしいよそんなの。いい大人のクセして。オシッコ漏らすなんてアンタ、恥ずかしくないの? 自分のシモの管理くらいキチンと出来ないの? 人生やり直した方がいいよ。悪く言うつもりはないけど、親の教育間違ってるよ。そんないい歳こいてオシッコ漏らすなんて。こっちが呆れるよ。ほんとに。まったく。

でも、ウンコ漏らすことは平気なんだなあ。フツー逆? ていうか逆? わりと逆? まあそうなんだろうなあ。罪というものが軽重ではかれるものかどうかはわからないけれども、まあ一般的な常識に照らし合わせれば普通、シッコ漏らすよりウンコ漏らす方が罪が重いわな。懲役も長くくらうわな。うん、そりゃわかってる。例えば小学5年生の倫理基準を考えても、クラスメイトがシッコ漏らしたのとウンコ漏らしたの、比べりゃ後者の方が後を引くわな。それは理解できるよ。

でも俺、ダメなんだわ。ウンコは平気で漏らすくせに(まあ平気じゃないけどね、後々処理が面倒だし)、オシッコに関しては自分でもおかしいくらい必死で我慢するし、我慢できちゃうんだよなあ。すげえヤル気出すんだよ。闘うんだよ。おかしな話だけれどもね。自分でもなんでそんな人間になっちゃったのかとんとわからないけれども、まあ幼児期になんかあったんでしょうということにしておくと非常に楽だからそうしておく。かように常識とかそういう感じのものは、みんなが共有しているつもりではあっても、実態は曖昧で不確かなものであることであるなあ(詠嘆)ということですよ。油断しちゃダメ。

ついでに。俺は大学時代、ずっとシャワーばっかり使ってたんだが、ある日「全身にシャワーを浴びながら、そのままオシッコを垂れ流すと最高に気持ちいい」ということを発見しまして、以来ずっと励行してまいった結果、「体に暖かいお湯をかけられると、猛烈な尿意に襲われる」という条件反射が備わってしまいました。今はガス釜で沸かすお風呂を使っていますが、体にザバーッとお湯をかけると、あらあらあらという感じでジョンジョロジョンジョロおしっこが出てきます。そんな私に彼女は「……最低」と暖かい言葉をかけてくれますが、まあなんにせよ健康が一番っすね。


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