メタルとパンクス二元論

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10年ぐらい昔、NHK教育の土曜夜11時ぐらいから「YOU」という番組をやっていた。いとうせいこうなんかが司会してて、当時のNHKとしてはだいぶ革新的な内容だったと思う。ま、今に比べれば全然大した事ないのだが。で、その企画として「対決!!ヘヴィメタ対パンク」というものをやっていたことである。ちょっとでも「わかってる」人ならその安易な対立軸の設定の仕方だけで「フン」と鼻で笑われることだろう。

世界には数知れない音楽ジャンルがカテゴライズされており、大文字でくくられる「ロック」だけでもたくさんの種類がある。ハードロック、ビート、グラム、プログレ、パンクスにメタル。メタル一つとってもデス、ジャーマン、スラッシュにコリアン。本当に大文字での「ロック」ならば、R&Bやファンク、ブルースはもちろん、カントリーやゴスペル、スカも入ってしまうかもしれない。

そうした多くのジャンルの中で、何故パンクロックとヘビーメタルだけがピックアップされ、対決せにゃいかんのか。何が悲しいてそんなことさせられにゃならんのか。大体「ヘヴィメタ」って何だよ、差別用語だぞ。ちゃんと「メタル」って言ってあげなきゃ。「パンク」だって本当は「パンクロック」であり、絵画や文学などを含む一大芸術運動であるところの「パンクムーブメント」の一環、ロック部門としての「パンクロック」じゃないか。全く何もわかっとらん。馬鹿にするのもたいがいにしろ。

などと憤慨された方、おっしゃる通りでございます。私もそう思います。パンクスとメタルが対立概念として成立しうるとは到底思えませんし、そもそも任意のジャンルを二つ持ってきて「対決」させ、どっちがどうだとか勝ち負けを決めようとすること自体ド最低のくだらないことだと思います。

でもね、でもね。わかると言えばわかるのよ。どっちもファッション的にキャラが立ってて、どっちも髪おったてたりトゲトゲだったりして、素人には見分け付きにくいじゃん。音も何だかバカでかくてわけわかんなくて絶叫してて、全部「知ってる人」にはきちんと区別のつくことなんだけど、よく知らない人には「どっちも似たようなもの」でありながら「何だか対立してる」ように見えても仕方ないと思うんすよ。だから一般レベルで「あーヘビメタだー」とか言ってる人のレベルで話させてくださいよ、一応。そうしないと話進まないから。ね、ちょっとガマンして聞いてくださいな。

番組ではいろんな企画があったが、唯一覚えているのは街角インタビューだ。街でそれっぽい人捕まえて訊いてみる。「あなたはヘヴィメタですか、パンクですか?」って。んで「あ、メタルです」とか「パンクスです」とか答える訳だ。ロック兄ちゃんの9割5分は気弱でチキンで気のいいお兄ちゃんだからな。残りの5分はモノホンのキ印だから侮れんが、平気で火ィつけたりするし。でまあ、メタルならメタル、パンクスならパンクスでその魅力について訊くのだが、その答えかたというのが実に象徴的だったのだ。

メタルのひとの典型的解答はこうだ。「いやメタルの楽曲としての構造はですね、交響曲みたいなクラシックとすごく通ずるものがあるわけですよ。非常に高度な楽曲構造を持ってますし、曲の展開というのも大変重視されます。あらゆる音楽ジャンルの中でも、メタルほど高い完成度にまで到達しているものは少ないんじゃないでしょうか」なーんてことを理路整然とおっしゃる訳だ。よく知らん人は「ホンマかいな」と思うだろうが、ここで言われていることは全て事実だ。私が保証する。ただ、完成度が高いのといい音楽とは別の話とは思うけどね。

一方、パンクスはどうか。「すいません、パンクってどこがいいんですか?」「うーーーん、……(3秒沈黙、やおら、)来る。」……。「パンクはねえ、来るの」「来るからいい。とにかく来る」。これだ。実に対照的だ。くどくどと理屈をこねるメタルと、いかにもバカっぽく答えるバンクス、全く実に鮮やかな対比を描いているではないか。

この対比は、当時つまらないことでもやもやしていた私にとって何だか天啓のようであった。「おお!そうかあ!これはまるで、まるでアリストテレスとプラトンのようではないか!」このメタルっぽいものとパンクっぽいものの違い、対立軸の設定の仕方は、その後私が世界理解を進めていく上でおおいに役立っていく。そうして見ていくと、これと似たようなケースは結構たくさんあるのだ。もちろん全てをこれに当てはめることはできないが、「ワン・オブ・ゼム」としては実に有効だったのである。

メタルとパンクスに対応するもの、例えば理性と感情、科学と宗教、プロテスタントとカトリック、ミック・ジャガーとキース・リチャーズ、サヨッキーとウヨッキー、幸福の科学とオウム真理教、西洋と東洋、文化系と体育会系、ボサノバとサンバ、ブルースとレゲエ、禅宗と密教、アーマードトルーパーとオーラバトラー、アントニオ猪木とジャイアント馬場(或いは新日と全日、UWFとFMW)、「ガンダムセンチネル」と「機動武闘伝Gガンダム」、ジャッキー・チェンとブルース・リー、事実と真実、ロゴスとオルギー、スーパーリアリズムとシュールリアリズム、上座部仏教と大乗仏教、エピステーメーとドクサ、ビートルズとローリング・ストーンズ、マガジンとジャンプ。

いささか強引なものもあり、反論もあるだろうが、思いつくままに挙げてみた。私なりの理解、ということでお許し願いたい。概して前者はインテリでうんちくでうっとおしく、後者は勢いと思いつきしかなくってうざったい。要はどっちもどっちで、俺としてはどちらに傾くことなく「ほどほどに」生きていくことが道をはずさない処世術だと考えている。世の中を二つに分ける軸は、善と悪でも神と悪魔でも聖と邪でも陰と陽でも資本主義と社会主義でもウインドウズとマックでもMOとZipでもない、メタルとパンクスだったのだ。

と、まあここまでは10年程前に考えたこと。その後ラモーンズは今さらのように解散し、ピストルズは金のためだけにぶくぶく太って来日、"I wanna be"とのたまって見せた。20世紀最大のジョークとしか思えないが、考えようによってはそれこそ本当のアナーキーかも知れない。いずれにせよパンク・ロックは本当に「死んで」しまった。ヘヴィーメタルも理論上の「過激さ」を求めるあまり、デスやスラッシュへと発展していく形でウンサンムショウしてしまった。かえってハードロックの方が生き残ったくらいだ。

10年経って思うに、デスやスラッシュはかつてメタルが持っていたインテリ臭さを失い、パンクスの側にシフトしていったようだ。ウヨッキーとサヨッキー、というのはこの二元論を支える重要なファクターなのだが、デスやスラッシュがドイツでは丸刈のマルガリータ達に愛好されているのはご承知の通り。いつの世もいずれも、こうした需要は必ずあるのだろう。メタルとパンクスの興隆は、スカートの長さのように世の中の景気の善し悪しとも大きく関わっているとも思うのだが、これはどうだろうな。ん、さすがに取りとめなくなってきたわ、寝ます。


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