メディアミックス・インプリンティング理論

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……などといきなりぶち上げて見ましたが、中身は例によって大した事ありません。わかってる人にはわかりきってることですが、改めて自分の考えを整理したい意味もあってつらつらと書きつらねてつらしたいとつら思いますつら。メディアミックス・インプリンティングとは何ぞ?えーと皆さんは、心理学とかで言われる「刷り込み」というものをご存知でしょうか。これは「初めて見たものを○○だと思い込む」という心理学的現象のようなものでございまして、例えばアヒルの卵の周りにおもちゃの機関車かなんかをぐるぐる走らせておく訳ですよ。

んでそのうち卵が孵って、ひよこが生まれる。その時ひよこが初めて目にするものは、走り回るおもちゃの機関車。ところがひよこには「初めて見た動くものを親だと思い込む」というプログラムが本能だか神の意志だかであらかじめ組み込まれており、その後一生、おもちゃの機関車を親だと思い込んでついて歩く、ということなんです。心理学者ってのは残酷な実験しますねえ。

これまあ、本来の自然な状態ならひよこが最初に目にする動くものは、親ですわな。それでひよこは親を認識し、ひょこひょこついていくことである程度安全に育つことができるようになっとるんでしょう。で、これとよく似た状況が、エンターテインメントの世界ではしばしば発生するんですよ、お客さん。一つのモチーフが複数の媒体で表現された場合、最初に触れたものがそのどれであったかで、それぞれの評価が決まってしまうことが結構あるのだ。

例えば「機動警察パトレイバー」という作品は、週刊少年サンデーでの連載漫画と、OVAがほぼ同時にスタートする形で始まった。その後人気が高まり、映画化。さらにTVアニメとしても放映された。多くのおたくは漫画、OVAの時点で既にこの作品に触れていた訳だが、後発のTVシリーズは旧来からのパトレイバーファンには「OVAの頃がよかった」といまいち不評であった。特に漫画と全く同じストーリーを描いた回には「あんなんじゃない」という批判が集まった。しかしTVで初めてパトレイバーを知り、その後漫画、映画、OVAと見ていく逆コースを辿った私の感想は「TVの方がいい。同じ話でも漫画の方はなんか違う」なのである。

例をもう一つ。ローリングストーンズの「STRIPPED」というアルバムがある。これは30年のキャリアを誇る彼らが過去の曲をいくつかピックアップし、リアレンジして作ったアルバムだ。比較的新参者のストーンズファンである私は、このアルバムの「DEAD FLOWERS」という曲がいたく気に入り、一日100回ぐらい聴いてボロボロ泣いたり歌ったり踊ったりしてしまった。この曲はもともと「STICKY FINGERS」というアルバムに収録されており、1970年にリリースされている。旧来よりのストーンズファンにはおなじみの名曲だ。

私はもちろん「STICKY〜」も持っており「DEAD FIOWERS」も聴いたこともあるのだが、初見ではなぜか印象に残らなかったのだろう。その後「STRIPPED」に収録された「DEAD FLOWERS」を聴いて神の啓示を受け、改めて「STICKY」ヴァージョンの「DEAD FLOWERS」を聴くと「・・・何か、『STRIPPED』の方がいい」ということになるのである。これはもちろん、旧来よりのストーンズファンである友人に言わせると「大ブーイング」である。「全然違うよ、絶対『STICKY〜』の方がいい」「そうかなあ、俺は『STRIPPED』の方がいいと思うけどなあ」。同じ曲をカヴァーという形で別の人が演奏する場合、こうした事態はよく起こりがちである。

もちろん、例外もある。スティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」を読んでボロボロ泣いた私だが、映画「ショーシャンクの空に」は十分楽しめた。深夜のTVで興味を持った「ベルセルク」だが、漫画もすげー面白れーと思う。しかしネット上を徘徊していると、20前後のガンダムファンに限って「Zガンダム」を強く支持してたりするのだ。「いやー、初代はいいね。Zの次にいい」などという発言は、30前後の皆さんには悪質な冗談としか思えないのではなかろうか。

ここでわかるのは「人間の目なんて大したことない」ということである。美意識とか選択眼とかセンスとか、そういったものはよっぽどのことがない限り結構あやふやなものなのではないか。人間の認識力なんてそんなもんだ、ということが始めから頭の中に入っていれば、この先なにかと役に立つこともあると思うのだがどうでしょうかだめでしょうか。結局人間なんて、ファーストインプレッションが何より大事なのよ。ね、そうでしょ?


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