まいっちんぐ町村センセイ

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現在もっとも気になるニュースの一つが、埼玉県の所沢高校における「入学式問題」だ。ざっと説明するが、この高校で生徒達が「自分たちの手で卒業式をやりたい」という要望を出したのに対し、校長先生は学校主導の卒業式を進めた訳だ。そこで生徒達は自分たちの手で自主的な「卒業式」を敢行、卒業生のほとんどがこれに参加した。学校主宰の卒業式に参加した生徒は、400数十人のうち20人だったという。

で、生徒達は引き続き「入学を祝う会」を企画したのだが、やはり入学式を推す校長と対立、PTAは生徒達の意向を汲んで欲しいと要望したが、校長センセは入試に合格した入学予定者達に「入学式に参加しないと入学したとは認めない」という通達を行ったのだ。埼玉県教育委員会は「何をもって入学を認めるかは校長の裁量」として校長を支持、文部省も「入学式参加が入学の条件と指導したことはない」としながらも校長を支持した。更に今日、町村文部大臣は記者会見の中で校長支持を表明、明後日行われる「入学式」に注目が集まっている。

ま、大体こんなところ。ニュースを拾い見してあいまいな記憶で書いているので、事実関係には多分に恣意的な解釈が入っているが、おおよそで間違ってはいないはずだ。で、何がいいたいかというと、この町村文部大臣の発言である。実は私、この町村クンの大ファンなのだ。きっかけはあの長野オリンピック。モーグルで金メダルとった女子選手が「表彰台で帽子を取らなかった」ことに懸念を表明した礼儀にうるさい人である。

この件に関してはこここういうツッコミがあるが、それとは別の観点もある。日の丸が掲揚され、君が代が流れているとき、帽子を取らない特定の人々が実は存在するのだ。具体的には皇太子妃である雅子さま、あと紀子さまもそうだし、皇后美智子さまもそうである。もちろん皇族に限らず、こうした場で帽子を取らない人々は他にもたくさんいる。その共通点とは何か。そう、「女性」である。

女性が正装しているとき、あるいは公的な場でフォーマルな服装をしているとき、帽子はけっこう欠かせないアイテムである。で、彼女たちは国旗が掲揚されようが、国家が流れようが、帽子は取らなくていいのだ。帽子を脱ぐ必要があるのは、男性だけである。にもかかわらず、町村クンは金メダリスト、確かタエちゃんとかいったな、彼女に対して公に眉をひそめてみせた。これはなぜか。いくつか考えられるケースを挙げてみる。

1 町村クンは、タエちゃんを「男」だと思っていた。

2 町村クンは、あらゆる男女差別、男女の隔たりと闘う人だった。

3 町村クンは、フォーマルな場における帽子のルールを知らなかった。

1だとしたら、町村くんはバカである。そして2だとすれば、それなりの主張は尊重したいが、余りに言葉が足らなかった。政治家としては失格である。3だとしたら、やっぱりバカである。しかも自分のバカを棚に上げて他人を批判しているんだから、これはもう「礼儀知らず」でもある。いずれにせよ唾棄すべきクソ野郎であり、私はこれ以来彼のファンになったのである。

町村クンの第2の活躍は、頻発するバタフライナイフ事件である。「少年ナイフ」、というバンドがあったが今は関係ない。町村クンは少年が刃物を使った犯罪が相次ぐ中で、「緊急アピール」なるものを行ったのである。ま、そんなことでコトが収まるくらいなら政治家も警察も学校もいらん訳だが、「何もしなかった」という苦情を言わせないためにはいい作戦だろう。私はワクワクしながらニュースを見ていた。

町村クンは、カメラの前でずっとうつむいていた。両手に持った紙をひたすら朗読していた。読み終わった後でようやく顔をあげ、「アピール」は終了した。俺はガキの頃から、「人と話すときは相手の目を見て話せ」と教えられてきた。それが大事な話ならなおさらだ。でも町村クンは子供たちに伝えたいメッセージを、子供たちの目を見ないまま、ただ「読み上げた」。

なめてんのか町村。もとより「アピール」なんぞに何がしかの効果があるとは思えないが、それにしたってこりゃ非道い。誰が書いたかわかんないような文章を、朗読しただけだ。それがカメラにたまたま映っていた、それだけの話だ。ただ朗読するだけなら、今日び機械でもできるぞ。わざわざ大袈裟に「緊急アピール」などと銘打っておいて、このザマは何だ。俺がこのアピールから受け取ったメッセージは一つ、「大人はまじめにやる気がない」ということだけだ。すげえぞ町村。すごいよ!町村さん。私はますます、町村クンのファンになったのである。

そして今回の、「入学式問題」だ。今日のニュースで町村クンの記者会見を見た俺は仰天した。正直言うと、途中から見たせいもあるのだが。

「自分の言い分が通らないからといって、強硬な手段に出るのは民主主義の根幹に関わる問題である」

おお、町村クンらしくもない発言じゃないか。しかしその通りだ。自分たちの入学式に来ないと、入学を認めないぞ、なんて「脅し」もいいとこだ。いくら自分の言い分が通らないからといって、それじゃ子供じゃないか。民主主義の根幹に関わる大問題だ。いいぞもっと言ってやれ。そう思った私が甘かった。町村クンのいう「強硬な手段」とは、自主的な卒業式・入学式を開催した生徒達に向けられた言葉だったのだ。

うーんさすがは町村。決めるときゃ決めてくれるねえ。しかしまあ、どうネジくればこういうアイデアが出てくるんだか。「自主的な式の開催」が強行な手段なら、生徒達に脅しをかけた校長センセはどうなるんでしょう。仮に100歩譲って「先に手を出した」のが生徒だとしても、この国は日本国憲法で動いている。「目には目を、歯には歯を」でおなじみ、ハムラビ法典の国ではないのだ。相手がそうならこっちもその気で、というのが大人のやることだろうか。ましてや不完全な子供と接し、「教育」に携わる人間の。

これからどうなるかはわからないが、生徒達には頑張って欲しい。そしてこういう大人にモノを教わる身の不幸を嘆くより、自らが成長できる千載一遇のチャンスだと思って欲しい。どちらの式に参加するにしても、3年間イスに座っているよりはよっぽどいい勉強になるはずだ。


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