今のが絶対いい

おたくを憐れむ歌に戻る


「近頃の若者は礼儀知らずでなっとらん。昔はよかった。世の中はお先真っ暗だ」てえのは、エジプトのパピルスや古代ギリシアから言われてきたベッタベタな定番ギャクなんですが、そこはそれ人類普遍の不変たるところ、やっぱり今でもいるんですなそういう人。

自分がクソガキだった頃は、そういうことを言う大人が悔しくてしかたなかった。どーせんなこと言ってるオッサンオバハンどもも、自分が若い頃はそんな風に言われてきたはずなのに。そしてそんなことを言われるのが悔しかったり悲しかったりしたはずなのに。

「なんで忘れちゃうんだろう?」

だから自分が大人になっても、絶対この気持ちを忘れないようにしようと固く誓った。

「昔はよかった」とかいうのは、ようするに記憶があやふやなボンクラのいうことである。なんでも人間が持っている想い出の割合というのはほぼ決まっているそうな。良い想い出、悪い想い出、普通の想い出の比率が6:3:1。個人差は確かにあるけれど、キチンと統計をとると老若男女、ほぼこの数字で安定するらしい。心理学の先生はこう言っていた。「つまり人間は誰でも、悪い想い出の2倍、良い想い出を持って生きてるんですよ」

だから感覚的に「昔がよかった」気がするのは、至極当たり前のことなのだ。昔だって悪いことはたくさんあった。ただ忘れてしまってるだけなのだ。

世の中がどんどん悪くなっている。そう感じるのは当たり前だ。「良い」と「悪い」のものさしは、時間とともにどんどん変わる。しかしその手の発言は、「昔のものさし」で「今」を計った結果であることがほとんどだ。結果として今が悪く感じられるのは当たり前である。論理的帰結である。じゃあ今のものさしで昔を計ってみ? 毎日チョンマゲ結って、月代剃ってる手間考えてみ? あくせく働いた挙げ句、五公五民で年貢搾り取られる時代と比べてみ? 俺は今の方が絶対いいと思う。

それに世の中がどんどん悪くなっているんなら、今すぐ死ね、と言いたい。もし本当にそうだとしたら、オマエはなんでのうのうと馬鹿ヅラさらして生き長らえてるんだ? もしかしてマゾか? 人生放置プレイなのか? だったら止めやしねえけどさ。

世の中が悪くなってる、という人は、失礼である。生きとし生きている全ての生命に対して失礼である。世界がサックなのは百も承知だ。そんなもんオマエごときが言わんでもわかっとるわい。でもそれでも、みんなヘコヘコしながらクソみたいに生きているのは何故だ? それは生きている限り、少しでもマシになる可能性が残ってるからじゃないのか?

もし世の中が悪くなっているのだとしたら、本当にそう考えているのだとしたら、今すぐとっとと死にくされ。すぐ死ねさあ死ね早く死ね。一刻も早く死ぬことが、それだけ世界をマシに保つ最良の方法だ。さあ死にやがれ。

生きてる以上、もっと悪くなる可能性もある。だけどその代わり、少しでもマシになる可能性だってある。死んだらそれ以上は悪くならない。でも絶対に、それ以上よくなることもない。決してない。どっちを選ぶかは、考えるまでもないことだ。そんな当たり前のことが、なぜわからないのだろう? 俺もそんなジジイになってしまうのだろうか。


おたくを憐れむ歌に戻る