ゲーセン鎮魂歌

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恥ずかしながらこの14〜5年、ほぼ毎日ゲームセンターに通っている。浪人が確定した日も行ったし、天皇が死んだ日も行った。祖母の通夜の時は忙しくなりそうだったので、あらかじめ午前中に行っておいた。毎日行くのはもちろん好きだからだが、腕が鈍る、というのはスポーツなんかを熱心にやった経験がある人ならわかってもらえると思う。かつてのゲーセンはシューティングゲームが主流で、後はスポーツもの、レーシングゲーム、脱衣麻雀など。格ゲーは少数だったし、「見知らぬ人と対戦する」ようなことは決してなかった。そーいや、中学生の頃通いつめたゲーセンは「サブカルチュア」という店名で、どういう意図があったのかは知らないが大層な名前だったと今でも思う。

この14〜5年でゲーセンも大きく様変わりした。ヤンキーとオタッキーしかいなかったあの薄暗くも暖かいゲーセンは消え失せ、UFOキャッチャーとプリクラが居並ぶ、明るく冷たい「アミューズメント・スポット」になってしまった。どんな人生送ってきたのか想像つかないような店番のじーさんは茶髪で蝶ネクタイの制服着た只のバイトに変わった。50円でP-38やビッグバイパーやR-TYPEと400%シンクロできたあの日々はもう戻らない。もっとも今はリオンやウルフやジャッキーなんかとシンクロしているが。

大体、「女連れでゲーセンに入る」なんて信じられないことだった。それはもう、女と牛丼屋に入る、いやもっとか、とにかくとんでもないことだったのに、今やゲーセンもとい「アミューズメントスポット」は一般的なデートコースになっちまった。新風営法のない頃はよかったね。明け方までやってるゲーセンもザラだったし、小学生が塾帰りに終電までゲームしてても平気だった。怖いお兄さんにカツアゲされるような危うさを秘めてはいたが、それも含めた空気を求めていたのも事実だ。「悪いところにいる」というちょっとした罪悪感を楽しんでもいたのだろうな。

ゲーセンがアミューズメント・スポットになったのはいつからだろう。俺自身は「UFOキャッチャー」がA級戦犯だと思っている。あれ以前と以降でゲーセンは決定的に変わってしまった。その前段階として新風営法の徹底で「小学生は18時まで、中学生は20時まで」とかいうやつがあったと思う。このルールの徹底は小中学生にとってゲーセンを「その場にいること自体がある種の犯罪」たる場所から、「ルール(この場合時間)さえ守ればいてもいいところ」に変えたのだ。これは大きい。更に前後してUFOキャッチャーのブームが入り、殴り合ったり撃ち合ったり殺しあったりの「男の世界」だったゲーセンは女の子がいてもおかしくない場所となった。

それから「ストU」が登場し、ゲーセンのゲーセンたる領域も質的に変化した。見知らぬ人同士が対戦する、というゲームのあり方は「ファイナルラップ」あたりから既に存在していたが、広く一般的に確立した格ゲーブームの意義はもう言うまでもないし、現在もそれは続いている。俺個人はこの格ゲーの波に完全に乗り遅れ、一時はゲーセンから足が遠のきかけたこともあったが、「3」からヴァーチャファイターに目覚め、今では元気にゲーセン通いを続けている。

改めて言っておくけど、俺はゲーセンが大好きで、アミューズメント・スポットはあんまり好きじゃない。これが単なる懐古なのか個人の趣向なのか、そこんとこはよく煮詰めてないんで自分でもよくわからんのだが、とにかくゲーセンが好きだ。好きなのに、最近はゲーセンがどんどん少なくなっていきて少々悲しく思っている。アミューズメント・スポットが嫌いな理由の一つは、あの明るい店内だ。

ゲーセンは大体赤っぽい電球で、間接照明が多かった。アミューズメント・スポット(面倒臭いので、以下AS)は白色の蛍光燈が多く、数も多い。これは純粋にプレイ上でも困ることで、蛍光燈の白色光は画面に映り込みやすく、0.1 秒の判断が生死を決めるシューティングゲームなんかでは映り込みに敵の弾が隠れて何度死んだことか。「明るい店内」というのは犯罪防止とかイメージの問題なんだろうけど、本来ゲームするところなんだからゲームに都合よい環境を提供して欲しいもんだ。映り込みを防ぐプラスチックの覆いも、全ての台に完備している店はない。

ま、そうした実際的な面はさておき、ゲーセンが懐かしくも好ましいと思う最大の理由はその「怪しさ」にあったと思う。薄暗くてどんよりしてて、健全な婦女子が到底入り込めない雰囲気があって、真っ昼間からどう見ても学生じゃない人がタバコブカブカ吸いながら麻雀でお姉ちゃん脱がしてたりして、トイレなんか死ぬほど汚くて、本当“Yeah, It's Cool!”な感じだ。そうか、今わかったけど俺はそういう怪しげな場所でドロップアウトごっこに浸りたかったのかもしんない。そこにいるだけで自分が真っ当な人間じゃないような気になれて、それがすごく気持ち良かったんだな。

難しく言えばニチジョウとヒニチジョウ、ハレとケってやつだ。ゲーセンは非日常だけどASはただの日常だ。ASの店の雰囲気ってのは得てして日常を離れたハレを意図して演出された「街角のプチ・テーマパーク」つーか、「あなたのおそばのリトル・ディズニーランド」つーか、とにかくそーいうものを目指してつくられてるみたいだけど、特にセガとかの大手直営は。でもそうか、少なくとも俺にとってはその演出があさっての方向に向いちゃってんだな。

だってしょうがないよ、そういう「つくられた非日常」って逆に世の中にあふれてるもん。いいともの客とか。ADさんの合図に合わせてワーパチパチ、今日一日、何か楽しいことが起こるかもしれない!というイメージは実はもう僕らの日常になってしまっていて、そうか、最早それは日常なんだ。実際のところ僕らは今日が昨日やおとといと変わらないクソDAYであることをもう知ってるし、一方でバラ撒かれる「楽しい祭り」のイメージは既に大本営発表並みに空々しいものになっちゃってるんだな。

「わかったわママ!ATフィールドってこういうことだったのね!」

ま、それはそれで悪くないと思うけどね。下手な嘘が飛び交っている状況に対しては鼻で笑うしかないけど、だからっつってそれをなくせとは思わないもん。むしろその方が可愛げあるし、やさしく許してあげられるじゃん?我、クソなるが故に世界を愛す、ってとこですか。3浪で無職でオタッキーの俺に許してもらってんだから、世の中って相当大丈夫だと思う。いや本当に。・・・だいぶゲーセンから話がずれたな。眠くなってきたからもうやめる。とにかくゲーセン万歳!もうそれでいい!さよなら!


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