新しい笑いの地平へ

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小さい頃から、いわゆる「クラスのバカ」であった。誰に頼まれもしないのに、牛乳をしぼった雑巾をくわえてフルフルしたり、チンチンを出して走り回ったりしていた。「如何にウケるか」「如何に笑いをとるか」は「生きる」ことと限りなく同義に近かった。しかし中学生になった頃から、自分なりに考えるようになって、一種のスランプに陥るようになる。笑いとは何か、笑いの本質とは何か、突き詰めて考えていくとどうしても「人を傷つけてしまう」ことに気づいたのである。

例えば「そういうやつっているよな〜バカだよね〜」という「いるいるこんなやつギャグ」で笑いをとったとしよう。その場はみんなでハハハと笑うかも知れない。しかしもしかしたら、その中に「そういうやつ」がいるのかも知れないのだ。あるいはそいつの兄弟とか大事な友達とかに。そいつはその場ではみんなに合わせて笑うかも知れないが、家に帰って一人膝を抱えて泣くのではないだろうか。

笑いをとるのは俺にとってどうしても必要なことなのだが、かといって誰かを傷つけるのは耐えられなかった。もっと言うと、人に嫌われたくなかった。みんなが楽しくないと自分も楽しくなれないタチで、一人でもその場で沈んでるやつがいたら堪らなくなってチンコを出していたから、この悪しき可能性は俺にとって深刻な問題だった。

結局、俺は下ネタに走ることになる。下ネタのいいところは、誰も傷つかないところだ。自分以外は。「アナルセックス、イエー」とか「マンコ〜のビラビ〜ラ、洗濯ばさみ〜」とかいくら言っても「バカだな」「下品だな」と思われるだけで、他人は傷つかない。自分の品位が落ちるだけだ。笑いが発生する度に必ず誰かが傷つくとしたら、それを自分にしようと思ったのである。

…今、こうして書いてみて「なんて思い上がった小賢しい生意気なクソガキだ」と自分で思ってしまった。何様のつもりだこいつ。殉教者様か?「私ってばけなげで可哀相」と浸っていたのだろうか。ただ自己弁護させてもらうと、この時は真剣に、そして純粋にそう考えて、特に他意はなかった。もちろんそれを他人に言うこともなかったし、自分が「汚れる」ことに抵抗感もなかった。だからこそそう結論づいたのだが。まあ中坊なんてそんなもん、むしろよくやった方じゃないかと思う。

以来10数年、下ネタ街道のメインストリートを全力疾走してきた。初対面の女性(それも結構イイ感じ)に対しても、臆することなく「おまんこ」と言ってきた。いわゆる「セクハラ」にはそれなりに気を使ってきたつもりだが、自分の恥とか品位とかそういうものには限りなく無頓着に仮性包茎もオナニーの回数もカムアウトしてきた。それが俺的な「格好のつけかた」でもあった。

ただここ2〜3年、特にこのホームページをやるようになってから、自分の中に新しい気運が芽生えてくるようになった。「笑いが発生すると必ず誰かが傷つく(可能性がある)」という結論に揺るぎはないが、その傷つく誰かが「自分」か「他人」の二択しかない、という点に疑問を持ちはじめたのだ。「攻撃ギャグ」「自傷ギャグ」に次ぐ「第3の可能性」が、もしかしたら存在しうるのではないか、今はだんだんそんな気がしてきている。

俺はそれを「刺し違えギャグ」「相討ちギャグ」と仮称している。つまり「他人を傷つけ、自分も傷つくギャグ」である。決して「他人を傷つけるが、自分も傷つくギャグ」ではないことに留意していただければ幸いである。「刺し違えギャグ」は「自傷ギャグ」に比べて一歩後退したようにも思えるのだが、ひとり自傷して悲劇に浸っていい気になってるよりはマシだと今の俺は思う。

で、具体的にどういうものかというと、これがうまく説明できない。できないのだが、例えばこういう感じではないかと思っている。

「いやあ僕、今27歳なんですけどね、毎日オナニーしてるんですよ、朝晩2回。朝はオナニーしないと目が覚めないし、夜は夜でコかないと眠れないんですよね。だから2回。んで俺のオナニーってちょっと変ってましてね、普通は右手でチンポ握ってこするらしいですけどね、俺違うんすよ。布団の中でうつぶせになって、ヘコヘコ腰を動かしてチンコこすり付けるんです。んで頭ン中でエロい想像をふくらますんですけどね。ええ、だからいつも想像オンリー。資料は一切使わないっすよ、この15年間。いやーだからこういうやり方してると、布団にどうしてもシミがつくんですよねえ。しかもポジション変わらないからおんなじところに。黄色くってもうパリパリになってるんスよ、シーツが。んで母親に『またお前は布団にいらんシミばっかつけてないで勉強しなさい』って怒られたりしてね。特に浪人してる時は辛かったなあそう言われると」

単なる下ネタや自傷ギャグとどう違うのか、疑問に思われた方もあるだろう。俺もその辺がうまく説明できないで困っている。ただ上のやつ、読んだ方は少なからず「痛かった」のではあるまいか。おそらくまっとうな右手オナニーをされている方々にとっては、ふところをいくら探られても痛くない話のはずなのに、である。そしてもちろん俺も痛い。相討ち、というよりは刺し違えである。

やっぱりうまく言えねえなあ。多分伝わってないだろうなあ。例えば刺し違えギャグは「アッハッハ」ではなく「トホホ」「やれやれ」の笑いである。そしてもうほとんど、「ギャグ」とは言い難いくらいの感じではある。ただ言えるのは、俺はこれからこの路線を極めてみようという気になっている、ということ。だからもう少し修行を積んで、「こんな感じだ」とうまく説明できるようになったら、また報告したいと思う。頑張ります。


参考までに、俺がよく聞くラジオ番組こんなコーナーがある。これがもしかしたら近いのかも知れない。いや参考までに。


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