消費者としてのおたくを憐れむ歌

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「あのプラモさあ、アレはねえよなあ。あんなもんオノで叩き割ってソッコー風呂の焚き付けにしてえところだけどさ、ウチの風呂ガス釜だからできねえのが悔しくってもう。宝くじで100億兆円当たっても買わないね」

こんな話をしていると、しばしば割り込んでくるクソおたくがいる。

「いやアレはですねえ、ある意味しょうがないんですよ。あの頃のバンダイってのはこれこれこういう事情がありまして、さらに世間ではこういう状況だったりして、その結果ああいう形になってしまったんですよねえ。むしろあの状況で、僕はよくやったと思いますよ」

くそボケがぁ!!

一口におたくといっても、もはやその定義すらハッキリしない99年7月現在、こういう言い方にすら意味がないのかもしれないが、とにかくオタッキー。今の俺の言葉を使えば、「バカでダメなおたく」の悪いところがそこにある。もっかい言う。くそボケが。

おたくのライフスタイルに「消費」が欠かせないのは確か。ただ消費に関して言えば、オタッキーどもはどうしてこうヘタクソで悪質なんだろう。自分で自分の首を絞めてることに気づかないのかなあ。

こと「量」に関してはそうでない人々をはるかに上回るクセに、おたくの行う消費の「質」というのは驚くほどお寒い。おたくほど愚かな消費者はいないのではないか。例えばやしの油から作った環境にやさしい洗剤を生協で買ってる34歳主婦メガネつき、顔はややカエル似、趣味は子供のアトピー治療、などという人とは対極の存在である。おたくが消費する対象に深い愛情もってるのはわかるが、それは愛じゃなくて肉欲かせいぜい恋どまりだろう。たんなる甘やかし、猫っかわいがりに過ぎない。

商品について、われわれ消費者ができることは「買う」か「買わない」のふたつである。「バイ、オアダイ」、この厳密な二択しかない。それしかないのである。電池や洗濯バサミを買う時に、作ってるメーカーの都合なんて考慮するか? 「いやこの頃の会社はこういう事情があってさあ、だからバネの力がアレでもしょうがないんだよねえ」とか言うか? 言わねえだろ? なんで言わねえかわかるか? そんなことになんっっっの意味もねえからなんだよ。

しかるになにゆえ、ダメおたく共はまっとうな消費ができないのであろうか。ああイライラする。商品があって、それがよいもの、必要なものだと思ったらそれを買う。思わなかったら買わない。たったそれだけのことがなぜわからんのだ? それでいいじゃん。それ以上なんかいるのか? 「いやこのスタッフはお金も時間もない中でよく頑張ってるよ」とか言う必要があるのか?

そんなこと言ってメーカーを甘やかして、けっきょくクソ商品をつかまされるのは俺達じゃないのか? それでもお前はまだ言うのか、「いやあ現状ではコレが精一杯だと思いますよ云々」と? そうやってどんどん悪質な商品が世に溢れちゃった責任をどうとってくれるんだ? 魂とか志みたいなもんは「レア物即ゲット」の前では無力なのか? 世界ってそんなにチャラくていいのか?

この手のバカおたくと文脈的につながるのが「一生懸命頑張ってるんです!」というアホウ。お前、KANか? 岡村孝子か? どっちでもいいが、俺の視界から今すぐ消えろ。「一生懸命」頑張ることになんの価値がある? ねえよ。ていうか、そんなこと当たり前じゃねえかよ。だって仕事だろ? それで金貰ってんだろ? 一生懸命やんのは当たり前田のクラッカちゃんよじゃねえのか?

そんなコトで威張られたってこっちぁ困るぜ。それともなにか、お前手ェ抜くつもりだったのか? 「一生懸命頑張りました!」つうのは、俺に言わせりゃ「手抜きしなかったんですよ、エライでしょ、誉めてください!」と全く同義に聞こえる。ふざけてんなら笑えねえし、マジで言ってんならめでたい話だ。ASAPで死んでくれ。くそボケが。


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