99年11〜12月の私淑言

 


1999. 12. 30 行く年、来る年

早いモノで2000年まで残すところあとわずかとなってしまった。
この頃になると、テレビや新聞、雑誌が、1年を振り返る特集を組む。
あれは大変だった、とか、そういえばそうだったな、とか、うんうんと頷く中に、「えっ、あれ、今年だった?」と驚いてしまうようなこともあったりして、時の流れの速さを感じるのもこの頃だ。「この1年を振り返って」、などと言い始めると、色々ありすぎてキリがない。
世間を騒がせた事件やその他色々、思うところも多々あるけれど。
個人的には、沢山の方と出会えて、何人かの方々とは実際にお会いすることも出来て、楽しく幸せな年だった。そのうちのお一方の突然の訃報に接し、哀しくて悔しくて嘆いたのは秋のことだ。

悲喜こもごも、繰り返して時はめぐる。
人の心のさまざまな想いを乗せて、千年代最後の年がゆく。
願わくは、来年が、良い年でありますように。

 


1999. 12. 27

今更、な話題なのだけれど。
この秋以来、広告や新聞・雑誌でよくこんな台詞を見かける。
『今世紀最後の……』。
この手の台詞を見る度に、ついつい
「本当だな? 本当に『今世紀最後』だと思うんだな? 来年同じ事言ってないだろうな?」
と、突っ込んでしまう私なのだった。
情報を発信する側が、こんな基本的なことを間違えちゃ、いかんと思うのだが……(^^;)。

 


1999. 12. 22

今夜は今年最後の満月であるそうな。

月はいつも空にある。
いつも空にあって、満ち欠けを繰り返している。
これまでも、これからも。多分、余程のことがない限り、人類の歴史が続いている間くらいは、変わることなく。
それでも、今年最後の満月だと聞けば、へぇ、と改めて白金の輝きを見上げ、1900年代最後の、とか1000年代最後の、とか言われると、ああ、そうなんだな、としみじみ想う。

感慨を呼び覚ますのは、眺める側の想いである。
天に在る金の鏡、とは、よく言ったものだ。

 


1999. 12. 12

電車の中で妙な広告を見つけた。
『タイピングソフト あしたのジョー 闘打!』
あおり文句は「あしたのために、打つべし!」だ。
そこまでは別に良いのだが……というか、『北斗の拳』のタイピングソフトのあおり文句(「お前はもう、打てている!」)に比べれば、あっているとも思うのだが。しかし。
そこに使ってあるのが、ホセ=メンドーサと戦って真っ白に燃え尽きたジョーってのは、やっぱり何か間違ってないか?(笑)。

と、ここまで書いて。
ひょっとしなくてもこのネタは、今中学生だったり高校生だったりする方々には……うっかりすると大学生でも、さっぱり判らんのではないかと気がついた(^^;)。

「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」。
などと、呟いてみたくなる晦方である。

 


1999. 12. 1

営業部のI川くんは、なかなかのおとぼけさんである。
夕方のことだ。
当のI川くんの仕事のために、U先輩が名詞ホルダーをめくっていると、いきなり
「コニシショウコ株式会社なんて、すごいですねー。自分のフルネームを会社名にしてるんですかー」
「…………?」
なんのこっちゃ?
不審に思ったU先輩と私が、彼が嬉しそうに指さす名詞を覗き込むと、そこにはゴシック体できっぱりと
『小西硝子株式会社』
おいおい(^^;)。
「…………Iちゃん。それはな、『コニシガラス株式会社』と読むんだっ!」
先輩と私の声が揃ってしまった。
「でも、思ったんですよー。フルネームみたいですごいなーって」
 ……はいはい、判ったから。
「僕がI川○○って会社名にするようなもんじゃないですかー」
 ……まだ言うか。
結局彼はそれからしばらーく『コニシショウコ』を繰り返していた。

果たして彼は、小西硝子を、本当に仕事で必要になった時にはきちんと読むことが出来るのだろうか。不安だー(^^;;;)。

 


1999. 11. 27 不可解な会話

買い物がてらぶらぶらと立ち寄った本屋で、妙な会話が耳に飛び込んできた。
「でも、それ、吸い込んじゃいけないんでしょ?」
(……へ?)
「大丈夫よ、息を止めてればいいんだから」
 --おいおい、何の話だ?
振り向いてみれば、会話の主は、パパさん、ママさんに男の子の親子連れである。
「そっかー。黒いところ歩いてる間は息しなきゃいいんだー」
嬉しそうな声で男の子が言った。
「そうでしょ?」「そうそう」
パパさんママさんの声も楽しげだ。
それにしても……黒いところで息を止めてなきゃいけないとは、一体何の話だったのか。
ゲームか? そのくらいしか私には思いつかないのだが。
謎の多い世の中である。

 


1999. 11. 26

音羽の事件。
親の勝手なエゴで、殺すか。殺せるのか。2歳の子供を。
子供を持ったことのない私には判らないが……親にとっては、自分の子供以外は、なにほどのこともないのか。
犯人と被害者の親は顔見知りどころか、子供の年は同じ、自宅もたったの200mしか離れていないのだという。
犯人が殺意を持った原因は、いわゆる『お受験』であるそうな。
人の呼ぶところの名門幼稚園に受かった、落ちた。その、妬み、嫉み。
2歳の子供に、通う幼稚園がいわゆる名門だろうがそうでなかろうが、関係のあるはずがない。いや、保育士さんたちの子供との接し方や子供を取り巻く環境という点に置いては大いに関係アリだろうが、ネームバリューに興味を持つことなどまずないだろう。
それを気にするのは、大人である。
子供のため、と言いながら、そこに投影されるのは親のエゴだろう。
人が感情を持つ以上、嫉妬はあって当然だ。だが、それを抑えるのが人としての理性だろう。
『腹に据えかねる』といい、『堪忍袋の緒が切れる』という。『腹』が理性、『堪忍袋』が理性だ。
この、理性の抑制が働けば起こらなかったのではないか、と思える事件が、増えているように思う。
抑制されない嫉妬に、踏みにじられた命が哀しい。

 


1999. 11. 21 日本一アヤシイ学園祭

毎年11月19日〜23日、我が母校東京外国語大学の学園祭『外語祭』が開催される。
この外語祭。日本一アヤシイ学園祭である。と、断言して良いと思う。
何しろ、キャンパスが軒並み『料理店』と化すのだ。校舎内の教室はほとんど、各学科の学生が専攻語地域の料理を出す料理店に変身する。前庭にはサークルや運動部が屋台を並べる。それぞれにアヤシイことこの上ないのだが、このアヤシサばかりは、おそらく目の当たりにしないと判らない。
それにしても、パンフレットに堂々と『居酒屋』だの『日本酒』だの書いてある学園祭がどこにあるというのだ。研究生(院生)が出すネパール料理屋では、今年は本格タンドーリ(窯)でのタンドーリチキンやナーンの実演販売をするという。それをやろうとする研究生も研究生だが、許可する側も許可する側である。学園祭にある意味命を懸けている。
ことほど左様にアヤシイのが、外語祭なのだ。
いつもは学生時代の友人達と示し合わせて遊びに行くのだが、今年はくみさん、すーこさん、にのらさん、猫茶さんと遊びに行くことにした(後から祐さんとももんがさんも合流)。
少しばかり遅刻してしまったが、予定通り朝9時半過ぎに巣鴨駅改札前に全員集合。ゆっくり歩いてキャンパスにたどり着き、校門を入ったところで、11時過ぎにライブに行くというにのらさんをそこで『放流』(笑)、残る4人で、くみさんのお目当てのドイツ語劇を見る。
これは、外語大の学生がそれぞれの専攻語で演じる劇で、勿論字幕つきである。劇そのもののストーリーもなかなか暗かったが、出演者の声が小さく、字幕も見えにくくて減点30。
というのはさておき。
劇を見終われば、次なる目的は当然『食事』。
少しだけ悩んで、まずはインドネシア料理を食べることにする。牛肉の煮込み、鶏肉の煮込み、アーモンドとじゃこの炒め物、ターメリックライスが一皿に乗ったものと、飲み物のセットで650円。外語祭ではこれがセットメニューの標準価格である。値段が安く、量もそれほど多くないので、その分食べ歩きが出来るというわけだ。
スパイスの効いたインドネシア料理に満足した私達が次に向かったのがトルコ料理店。ここで私が食べたのはシシカバブ、と、謎のヨーグルト飲料。シシカバブは美味だったのだが、このヨーグルト飲料がすごかった。どうすごいって……塩味のヨーグルト、なのである。これには流石に、同じモノを注文したすーこさんも猫茶さんもギブアップしていた。ちなみにくみさんは、ここではシシカバブとチーズ春巻きとお酒のセットを召し上がりました。
続いて「デザートに」と訪れたのがロシア料理店。ここでも、アップルプリンと紅茶という『控えめセット』に逃げを打つ我々を後目にくみさんはピロシキとボルシチを注文なさる。
ここまでくると流石にお腹一杯になったので、展示物や屋台をひやかして歩き、腹ごなしも兼ねて、ちょっと早めにお帰りになるというすーこさんを巣鴨駅までお見送りしたのだが、ここでもくみさんと猫茶さんは巣鴨名物福々まんじゅうに心奪われ、ご購入(笑)。更に外語大に戻ってモンゴル料理店に入り、ここでも勿論モンゴル料理を堪能。その後私は、途中から合流なさる祐さんとももんがさんをお出迎えに巣鴨駅まで往復したのだが、その間にも残ったお二方はドイツ料理、マレーシア料理にヒンディー料理を制覇なさっていたらしい。合流してからも中華料理店、タイ料理店を征服したのだが、くみさんの健啖家振りには感動を覚えた。
夕方6時半を過ぎて、くみさんはウルドゥー語劇をご覧になるために講堂へ、私達はフラメンコを見るためにフラメンコカフェへ。フラメンコ同好会が行うショーは、歌もギターも生で、フラメンコを踊るお嬢さん方もカッコヨク、40分ほどがあっと言う間に過ぎてしまった。
それから再びくみさんと合流、帰宅するために一路巣鴨駅へ。
良く食べ、良く話し、良く歩いたけれど、楽しい1日であった(^o^)。

と・こ・ろ・で。特筆すべきコトが。
主役はももんがさんだ(私淑言に書く許可を頂いたので、書く・笑)。
彼女、21日に新幹線で新横浜に来てホテルにチェックインし、それから祐さんと待ち合わせ、のはずだったらしいのだが、何を思ったのか、ひかりではなくのぞみに乗ってしまったというのだ。のぞみは、新横浜には止まらない。結局彼女は東京駅まで来て(もちろんのぞみ用の追加料金を払って)、そこから在来線で新横浜まで戻ったのだそうな。速いのぞみだったから祐さんとの待ち合わせ予定時刻にもそれほど遅れず、黙っていればバレないのに、わざわざ教えて下さるのがももんがさんである。
が。話はここで終わらないのだ。
ももんがさんの天然パワーがホテルマンに伝染したのか、チェックインしたホテルで、部屋に案内してくれるはずのホテルマンが、部屋番号を間違えたらしい。
「あ、すみませんって、すごい真っ赤になってたの〜〜!」
と彼女は笑ったが、接客のプロにまで伝染するももんがさんの天然パワーこそが恐ろしい。
彼女は23日まで横浜に滞在するという。残る2日、何をやらかしてくれるのか、密かに楽しみな私達である。

 


1999. 11. 20

18日から、今度はワールドカップバレーの男子が始まっている。
18、19日と連敗を喫してしまったが、20日にはやっと、アルゼンチンに勝利した。
熱戦である。
ところが、この、男子の試合。私にはどうにも笑えて仕方ないのだ。
いや、選手達は勿論真面目に試合をしているのだが、問題は、解説。
何故だか知らないが、フジテレビは、全日本男子チームのメンバーに、みょ〜なニックネームを付けたがるのである。
「日本のライジング・サン!」とか「プリンスが打つ!」とか、聞いていると結構笑える。
朝日健太郎さんが『ライジング・サン』というのは、判る。エースアタッカーの加藤さんが『プリンス』というのも、まあいいだろう。が。
斉藤伸治さんの『ノブコフ205』てーのは何なんだ(^^;)。
伸治だから『ノブ』、身長が205cmだから『205』なのはいい。だが、その『コフ』はどこから来るんだ、『コフ』は?(爆)
放送席のアナウンサーは「視聴者のみなさまから、205というのは何だ、というお問い合わせが多数届いているそうですが、205は斉藤選手の身長です」と言っていたが、私はそれより『コフ』の出所を知りたいぞ。
どなたか、ご存じの方がいらしたら教えて下さい。『ノブコフ205』の『コフ』の出所。

 


1999. 11. 16

ワールドカップバレーの女子の試合が16日、終わった。
最後は残念ながらブラジルにストレート負けしてしまったけれど、見ていて飽きない、本当に良い試合を見せてくれた。
強くなったな、と、しみじみ思う。
今回のワールドカップ、日本チームは、主力選手のほとんどが負傷していた。
エースの森下さんは怪我でほとんど出られなかった。キャプテンの多治見さんも足の痛みがあって、ワンポイントアタッカーとしてしかコートに登場しなかった。江藤さんはスタメン出場したけれど、実はやはり膝に痛みがあって、ずっと鎮痛剤を使いながらの連戦だった。大懸さんも、膝の裏に痛みを抱えたまま、スパイクを打ち続けた。
『エース』不在のまま、みんなで戦って、イタリアに勝ち、クロアチアに勝ち、中国に勝った。ロシアに負けてキューバに負けてブラジルに負けたけれど、引けを取らない試合を見せてくれた。
ありがとう、葛和ジャパン。
あとは、韓国に対するあのみょ〜〜な苦手意識が抜けてくれれば最高なんだけどなぁ。

 


1999. 11. 11 答えられない質問

会社のマッキントッシュでポストペットを飼っている。
オスの雑種ネコ。名前はシャール。(ポストペット用のアドレスを伏せてあるのは、別に会社にバレるとマズいから、ではなくて、単にあまりそちらにメールを頂いても返事が書けない恐れがあるからだ。)
ついでにポストペットパークの会員にもなっているので、So-netのサイトから『おやつ』のダウンロードもしている。
新作のおやつは滋賀県の物産。近江牛、鮒鮨、信楽焼がセットになっている。
ここからが、笑い話、なのだ。
同じく社内でポストペットを飼っている先輩Iさんに
「出てましたよ、新しいおやつが」
とお知らせしたのだが、それを聞いたIさんの質問が
「ホント? 美味しかった?」
 ………………すみません、Iさん。私、ポスペじゃないので判りません(^^;;;)。

すかさず「ねえ、これ、面白いから私淑言に使っていい?」(彼女もこの十六夜茶寮を見に来てくれているのだ)と訊いてしまった辺り、私も大概毒されてきているかもしれない(--;)。

 


1999. 11. 10

喉が痛い。
何のことはない、叫びすぎである。原因はやはり、ワールドカップバレー。
7日のロシア戦では、負けてしまったけれど良い試合をしてくれたし、今日のクロアチア戦では3-1で勝利! スパイクを打たせたら誰にも止められないんじゃないかとまで言われるバーバラ=イエリッチ選手のスパイクを、ブロックする、拾う! 1セット目は、19-23まで離されながら(ラリーポイント制になったため、この点差は大きいのだ)ひっくり返してくれたし、惜しくも落とした3セット目はなんと最終的な得点数が36-34!(断っておくが、このワールドカップでは1〜4セット目までは1セット25得点である)
いやもう、ホントに白熱した試合だった。

でも、ちょっと突っ込み(笑)。
1セット目で、クロアチアの選手がサーブミスをしたとき、アナウンサーが叫んだ。
「このミスは、死ぬほど大きいーーーーっ!
いや別に、死にはしない(笑)。
大きいのは確かだが、マッチポイント間近ならともかく1セット目で殺さんでも(^^;)。

 


1999. 11. 6 スポーツ三昧

と言っても、やる方ではない。見る方である。
19時からはサッカー・シドニーオリンピックアジア地区最終予選の日本Xカザフスタン戦。
地区予選が始まってから負けなしで来ている日本代表。
勝ち点6でトップなので、この1戦で引き分けでもシドニーオリンピックへの出場権を獲得できるのだが、せっかく国立競技場での試合であることだし、どうせなら勝って決めたい。
前半1-0でカザフスタンにリードされたまま後半に入ったので、どうなることかとちょっと心配したけれど、後半25分を過ぎてから、あれよあれよと言う間に3点ゲット。
めでたくホームで、オリンピック出場権を獲得してくれた。

サッカーが終わると続けて今度はバレーボールのワールドカップ日本Xイタリア戦である。
先日韓国戦でストレート負けしてしまったので、その雰囲気が残っているとイヤだな、と思っていたのだけれど、ワールドランク5位のイタリア相手にフルセットに持ち込んで勝ってくれた。
7日は対ロシア戦。いい試合をしてくれるとよいのだけれど。

それにしても、5時間ぶっ通しで叫び続けていると、流石に喉が……(^^;)。
いやそれよりも、ご近所迷惑になっていないか心配だ……。

 


1999. 11. 3 贈る言葉

私が今の家に越してきたときから、ずっとお付き合いさせていただいていたお隣さんが、3日、引っ越して行かれた。
ご結婚なさって、旦那様とお2人で新しい暮らしを始められるのだ。
思い返せば本当に不思議なご縁だった。
ふとしたことから、実は学科は違うが同じ大学の先輩後輩だったことが判り、それから、2人で一緒に食べ歩きをしたり、花見をしたり、手料理を持ち寄って食事会をしたり。去年の冬の獅子座大流星群もベランダに出て2人で話をしながら眺めた。
「アパートの隣同士なのに、面白いよね」とは、私達の関係を評して言った友人や会社の先輩達の言葉である。
淋しくない、と言えば、もちろんウソになるけれど。

改めて、言いたい。

Wさん。
ご結婚おめでとうございます。楽しい日々をありがとうございました。
お2人らしいご家庭を、どうぞ築いていって下さい。

 


1999. 11. 2 笑い話2題

パソコンの外付けハードの電源を切り忘れたことに、駅の改札を抜けてエスカレーターに乗ったところで気付いた。
3日は文化の日で休み。まさかとは思うが、電源を入れっぱなしにしたお陰で過負荷がかかって昇天でもされては、中のデータが亜空間に消える。
慌てた私は……下りのエスカレーターを逆に駆け上がった。
エスカレーターに逆らって駆け上る。戻される。その分また駆け上る。
まるでどこぞのコントのようだ。
降りてくる人が1人もいなかったのが幸いだった。

その帰り道。
新刊の出る日なので、ちょっと遠回りして本屋へ。
目当ての本を速攻で手にとって、ふと周りを見回すと、紅を背景にして血を流しながら拳銃を握る黒尽くめのにーさんの表紙が目に付いた。帯には、『魔と戦う少年の孤独な魂…。』
(……ちょっとツボ。)
パラパラとページをめくって、深く考えもせずに手に持ってレジへ向かった。
さて、買い物をして家に帰って、収穫物を眺めようと、折り返しや、折り込みの新刊案内を見てみると、件の新刊のあおり文句は
『ハードでいてせつない、サイキック・……』
「……ぼぉいずらぶ……?」
 ……………………。
買っちまったモノ、もったいないから読んだけど……感想は、敢えて書くまい。
いつもはいらない本は図書館に進呈するんだけど、これは……
まっ、いいか。図書館の本棚に並べてもらおう(笑)。

 


1999. 11. 1 ガラス細工の足

馬券は買わないと言ったが、競馬中継(特にG1レースの)を見るのは好きだ。
勝ち負けがどうこうではなく、馬を見るのが好きなのである。
オグリキャップが引退の花道を飾った有馬記念も覚えているし、いまだに一番強くて綺麗な馬はナリタブライアンだと思っている(あくまで私の主観である)。いつか社台ファームに彼に会いに行こうと心に決めていた。果たせないまま彼の急死を知った時には呆然としたものだ。

*** 閑話休題 ***

10月31日は、秋の天皇賞だった。
勝ったのは、スペシャルウィークと武豊騎手。春秋の天皇賞連覇という快挙である。
そのスペシャルウィークと武騎手がゴール板の前を駆け抜けたとき、解説者がこう叫んだ。
「武豊、1年遅れの天皇賞ーーーっ!」

『1年遅れの天皇賞』。

1年前の秋の天皇賞、武騎手はサイレンススズカという馬と共に、同じ府中競馬場の大歓声の中を疾走していた。4コーナー側の大欅を過ぎて、彼等は居並ぶ馬達の先頭にいた。そのままゴールするのだろうと、おそらく誰もが思っていた。それなのに。
サイレンススズカは、大欅を通り過ぎてほんの少し走ったところで、突然立ち止まったのだ。
故障、だった。足に負担がかかりすぎたのか、地面の小さな凹凸に足をとられたのか。
レースはそのまま棄権。その夜のニュースで流れた診断結果は --『予後不良』。
聞き慣れない言葉だろうと思う。判りやすく、そして直截に言えば、安楽死である。
誰よりも速く走ることを至上命題として生きる競走馬は、数百キロもある体重を、その重さを支えるにはほとんど限界に近いほど細い足で支えている。そして、それ故に彼等は、ひとたび骨折などの重い故障をしてしまうと、残る3本の足では自分の体重を支えられなくなる。
体重を支えられない馬は、当然寝たきりになる。寝返りもまともにうてないから、床ずれになる。地面と直接触れる皮膚に傷が付く。そこから雑菌が入り、感染症を引き起こす。行き着く先は、死だ。遅かれ早かれ、足に重い故障を負った競走馬は、同じ路を辿る。
だから……行き着く先が同じ『死』だから、そしてそこまでの時間を引き延ばしてもただ馬を苦しめるだけだから、仕方なく選び取られるのが、『予後不良』という名の安楽死なのだ。

ガラス細工の足 -- 。
あの美しい生き物達は、死と隣り合わせで、ターフを駆け抜けている。

 


 

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