1999. 7. 10. 今朝方、兄夫婦に2人目の子供が生まれた。 |
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1999. 7. 3. ドラちゃんさん、祐さんと3人で、ナンジャタウンに遊びに行った。 |
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1999. 6. 26〜27. 会社の友人と3人で、尾瀬に行った。 |
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1999. 6. 12. 6月の花嫁 幼なじみの結婚式に出席するために、久々に帰省した。 飛行機が朝結構早い便だったので、多事拾遺で宣言したとおり前日夜から寝ないでそのまま羽田に向かい、空路、四国へ。空港で昼食をとってから県庁所在地へバスで向かったのだが、丁度飛行機の到着の途切れた時間だったらしく、その直行バスに乗っていたのは私だけ。思わず「か、貸し切りですねぇ・・・あはは・・・」と乾いた笑いが漏れてしまった。 そこから更に、新郎新婦両家の手配によるバスで、式場へ。 が。実家の玄関に立って、しばし呆然。 不肖の娘を、母上は寝ないで待っていて下さいました。すみません、母上(--;)。 日曜日はちょっと親戚宅に顔を出し、従姉に空港まで送ってもらって、夜、帰京。 |
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1999. 6. 6.今日はドラちゃんさんとデート。上野で開催中のワシントン・ナショナル・ギャラリー展を見に行ったのだ。展示室には、コロー、マネ、ルノアール、モネ、セザンヌ、ゴッホ等々、軒並み、教科書に出てくる画家達の作品が並ぶ。かの有名なモネの『日傘の女性』もそのひとつ。色々な場所で良く見かける絵ではあるけれど、本物はやはり迫力が違う。絵の具の質感、微妙な色、筆遣い・・・やっぱり、絵は、本物を見るのが一番なんだな、としみじみ思った。 2時間半ほどかけて全てを見終わり、ゆっくりランチをとって、その後私達が向かった先は、池袋はナムコ・ナンジャタウン(笑)。ドラちゃんさんのリクエストである。今回はアトラクションには参加せず、ただ中を一通り見て回っただけだったけれど、それでも結構楽しめてしまうのがここの面白いところ。ここで私達は、ちょっと苦笑ものの出来事に出会った。 |
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1999. 6. 5.6月に入って、どうやら関東も梅雨入りしたようだ。これからしばらくは、雨の季節。宮部さんではないけれど、『6月は名ばかりの月』なのである。梅雨=雨続き=鬱陶しい、と結びついてしまいがちだけれど、植物には絶対に必要なことだし、この時期に雨が降らなければ、夏になって水不足に悩むことになる。鬱陶しいと言ってしまうのは、人間の勝手でしかない。梅雨が明ければ、暑い夏がやってくる。この時期に、木々は確実にその葉の色を濃くする。しばらくは、雨を眺めて、『花の色は うつりにけりな いたづらに・・・』とかなんとか、呟いていようか。 |
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1999. 5. 6. 日本画家の東山魁夷さんがお亡くなりになりました。 |
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1999. 5. 4. 榎木洋子先生公式HP守龍亭のオフ。 |
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1999. 5. 1. 横浜中華街オフ兼ねてから「やりたいね〜」と話題になっていた『横浜中華街食べ歩き』が、ももんがさんの上京にあわせて実現することとなった。ももんがさんの掲示板とここの多事拾遺で参加者を募って、集まったのがももんがさん、梶原さん、にのらさん、たさかさん、ベニスズメさん、芙蓉さん、睦月さん、祐さん、に、私の総勢9人。大所帯になったので、慌てて店を決め予約を入れて、横浜中華街オフの決行である。 待ち合わせは、5月1日11時、JR石川町中華街側改札前。直前の、多事拾遺での私の威しが効いたのか(『店に予約を入れてあるので、11時15分を過ぎたらおいて行きます』と宣言してあった。←鬼)、11時15分には全員集合。実はここで、ももんがさんに『スークは誰だ』の謎かけをして遊ぼうと思っていたのだが、早速睦月ちゃんが名乗ってしまい、選択肢が絞られてしまった。だが、後で訊いたら、ももんがさんはこの時点で実は誰が誰だか見当がついていたらしい。『文章は、人を表す』、かな? 西門から善隣門を抜け、色々眺めながら、予約を取ってある菜香新館へと向かう。飲茶コースは、前菜からスープ、デザートに至るまで、全7品で3000円。量はたっぷりで、美味だった。(たっぷり過ぎて、私達の分の料理がちょっと余ってしまったのだが、これは全員の総意とお店のおじさんの声援を受けて、にのらくんの胃袋へと消えた。) 菜香を出て、ひとまず関帝廟へ回り、そこから山下公園へ向かう。山下公園では、海をバックに怪しい話題が・・・。私は直接会話に参加してはいなかったのだが、どうやら『食材』の話になっていたらしい。それも、「4つ足のものは椅子以外は食う」だの「げてものは・・・」だのいう話題。カモメから派生していったらしいのだが・・・どこをどうすればカモメからそんな話題に流れて行くのか、今持って謎である。その後は、マリンタワーへ。展望台に上るか上らないかでちょっと悩んだが、ひとまず土産物ショップを冷やかしに行く。ここでの出色は、『赤い靴下』。『赤い靴』にひっかけたのだろう、白地に赤で、まさしく女の子が白いソックスに赤い靴を履いているような模様を織りだしてある。まあ、そこまでは良いのだが・・・笑えることに、これに『大人用』まであったのである。果たして『大人用赤い靴下』の需要があるのかないのか。誰か、「買った」人を知っていたら、教えて下さい(笑)。 そろそろ喉が乾いてきたので、中華街で土産物をゲットしてからひとまず石川町の駅へ向かう。が、そこまでの道に、思わぬツボが転がっていた。途中の高校で、ブラスバンドが練習をしていたのだ。最初は普通のマーチだったのだが、曲目が変わった途端、「だん、だだだだん、だだだだん、だだだだだだだだだ・・・」と、えらく聞き覚えのあるベース音が。勘の良い方はお気づきだろうか。そう。かの有名な『ああ、人生に涙あり』。水戸黄門のテーマ曲である。更に続いて、何と『大岡越前』。なかなかスバラシイ選曲であった。お陰で、そこから駅までの道すがら、時代劇の話題に花が咲いた。 石川町から元町へ向かい、お茶をしながらまた1時間ほどおしゃべり。本の話にテレビの話、色々とここでもまた話に花が咲いた。そこを出て、さあどうしよう、となったのだが、時間も半端だし(夕方の6時前だった)、みんなそれぞれ帰路に時間がかかるし、ということで、石川町で解散。結局、歩き倒した1日であった。 |
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