99年5〜7月の私淑言

 

1999. 7. 10.

 今朝方、兄夫婦に2人目の子供が生まれた。
 今度は女の子である。もちろん、名前はまだ無い。早速顔を見てきた両親によれば、「猿じゃない」そうで、「目鼻立ちもちゃんと判ってかわいらしい」そうな。
 夜電話をかけたら、兄は「上の子にそっくり」だと言っていた。
 その兄曰く
「わたくし、今度は立ち会い出産しまして♪」
「・・・お兄・・・あんた、前のことがよっぽど・・・」思わず呟いた。
「そりゃーもう! 3分差でしたからねぇ。」
 甦る過去の記憶(でも伝聞・笑)。
 実は兄、上の子が産まれた時に、義姉が分娩室に入ったとの連絡を受けてまだ余裕はあるだろうと比較的ゆっくり病院に行ったら、着いた途端看護婦さんに「3分前に生まれましたよ」と言われてしまったという、父親としてはちょっと悔しい経験をしていたのである。
 それがやはりひっかかっていたらしい。それにしても。
「・・・にーちゃん・・・あたし、それ、男の人は見るモンじゃないって誰かが言ってるの聞いたことあるんだけど・・・」
 感想を聞いたら、案の定
「うん。すごかった(^^;)。もう、わたくし感動の嵐で滝の涙で」
 ・・・はあ、そうですか(苦笑)。
 悪いと思いつつ笑ってしまった。
 ともあれ、母子ともに健康だそうで、喜ばしい限りである。
 さて、どんな名前を付けることやら?


1999. 7. 3.

 ドラちゃんさん、祐さんと3人で、ナンジャタウンに遊びに行った。
 先日行った時にくじ引きでもらった『入園料ただ券』を使うためである。まずはもののけ番外地でナンチッチ(ナンジャタウンのキャラクター・ナジャヴの兄弟分)救出にあたるも、最後のクイズであえなく失敗。めげずに今度は福引き町で探偵見習いに挑むも、こちらも最初はあえなく失敗。ちょっと一息入れてから再度チャレンジして(失敗したのが悔しかったのである・笑)、探偵見習いとして事件を解決するのに成功した。
 でもって、またしてもくじ引きで、今度は『パスポート半額券』をあててしまった(笑)。
 「今度はいつ来ようか」などと言い合っている辺り、既にナンジャタウンの策略にはまっているかも知れない(苦笑)。


1999. 6. 26〜27.

 会社の友人と3人で、尾瀬に行った。
 テレビや雑誌などで持っていた、平坦な木道の続く尾瀬のイメージとは打って変わって、まさしく『登山』。トレッキングシューズが必要なわけである。初日は曇り、2日目に至っては雨、というあいにくの天気で、ちょっと残念。それでも初日に見た、尾瀬ヶ原に揺れるワタスゲの群生は、流石に見事だった。
 本来ならば人が容易には足を踏み入れられない場所--高山植物や動物達の場所--に、木道を作り、山小屋を造って、我々が入り込んで良いものか・・・などとも思ったのだけれど。
 それでも、行けて良かった、と思う。ついでに言うなら、次に行くならもっとゆっくりした日程がいいなぁ・・・(苦笑)。
 詳しいレポートは、そのうちアップする、かも、しれません、覚えていられれば(笑)。


1999. 6. 12. 6月の花嫁

 幼なじみの結婚式に出席するために、久々に帰省した。
 新郎新婦とも、物心ついた頃からの友人である・・・というか、私が生まれ育ったのはそれこそ『ど』のつく田舎で、人口も少なく、地元の学校に通う限り、中学までは1学年1クラスしかないから、同じ学年なら全員幼なじみと言っても過言ではないのだ(^^;)。

 飛行機が朝結構早い便だったので、多事拾遺で宣言したとおり前日夜から寝ないでそのまま羽田に向かい、空路、四国へ。空港で昼食をとってから県庁所在地へバスで向かったのだが、丁度飛行機の到着の途切れた時間だったらしく、その直行バスに乗っていたのは私だけ。思わず「か、貸し切りですねぇ・・・あはは・・・」と乾いた笑いが漏れてしまった。

 そこから更に、新郎新婦両家の手配によるバスで、式場へ。
 辿り着くとそこには、懐かしい面々が揃っていた。良くて1年半振りの、幼なじみ達である。中学時代の担任もいて、まるっきり同窓会状態。惚れ惚れする程可愛らしい花嫁姿に目を細めつつ、昔話や近況報告に花が咲く。お色直しで側を通り過ぎる新郎新婦に小声でチャチャを入れるのはお約束。2次会でも、便乗させてもらった同じく幼なじみの帰りの車の中でも、話の尽きることはない。つい時間を忘れて、家に帰り着いたのは日付の変わる頃だった。

 が。実家の玄関に立って、しばし呆然。
 ちょっと改装してるから、とは聞いていたが・・・何と、も変わっていたのだ(^^;)。
 一瞬『やっべー・・・え〜っと、え〜っと・・・2階の窓から・・・』などという思考が脳裏をかすめたが、試しにノブを回してみると・・・開いた。

 不肖の娘を、母上は寝ないで待っていて下さいました。すみません、母上(--;)。

 日曜日はちょっと親戚宅に顔を出し、従姉に空港まで送ってもらって、夜、帰京。
 少しばかりハードなスケジュールではあったけれど、楽しい帰省でありました。


1999. 6. 6.

 今日はドラちゃんさんとデート。上野で開催中のワシントン・ナショナル・ギャラリー展を見に行ったのだ。展示室には、コロー、マネ、ルノアール、モネ、セザンヌ、ゴッホ等々、軒並み、教科書に出てくる画家達の作品が並ぶ。かの有名なモネの『日傘の女性』もそのひとつ。色々な場所で良く見かける絵ではあるけれど、本物はやはり迫力が違う。絵の具の質感、微妙な色、筆遣い・・・やっぱり、絵は、本物を見るのが一番なんだな、としみじみ思った。

 2時間半ほどかけて全てを見終わり、ゆっくりランチをとって、その後私達が向かった先は、池袋はナムコ・ナンジャタウン(笑)。ドラちゃんさんのリクエストである。今回はアトラクションには参加せず、ただ中を一通り見て回っただけだったけれど、それでも結構楽しめてしまうのがここの面白いところ。ここで私達は、ちょっと苦笑ものの出来事に出会った。
 場内を巡っていると、ところどころに占い師が座っている。勿論有料である。無視してかかっていた私達を、ところが、ひとりのじーさまが「お金はいいからおいで」と呼び止めた。占いなんざはなっから信じない私は、そのまま通り過ぎようとした。だが、私と違って優しいドラちゃんさんは、とりあえず立ち止まり、言われるままに生年月日を教えた。つきあって私も、(まあこのくらいなら実害はないか)と、生年月日を教えたのである。
 ドラちゃんさんにまずちょっとした話をしてから、じーさまが私に言った。
「あなたは、頭はいいね。でも今ぱっとしないでしょう。目先のことにとらわれないで、大きな目標を持ってまっすぐ前を見てゆきなさい」
 私は口の端に淡い笑みを浮かべ、心の中で冷ややかに呟いた--『莫迦か、このじじぃ』。
 頭はいい--頭『が』いい、ではない。微妙かつ当たり障りのない言い回しである。
 ぱっとしない--現状をどう見るかは、多分に個人の主観に寄るところが大きい。
 目先のことにとらわれず、大きな目標を持って--余程のことがない限り、『人生の指針』としてこの反対のことを言う占い師が(いや、占い師に限らないが)いたら、お目にかかりたいものである。
 幸か不幸か--そして占い師のじーさまにとってはおそらく不幸なことに、私はこの手の言葉に素直に感心できるほど可愛い性格でもなければ、乗ってやるほど優しくもなかった。
 何よりもこのじーさま、手相を見るでもなく、画数を調べるでもない。生年月日で四柱推命と星占いの本を引き、ただそれを適当に言っているだけなのだ。手元に置かれた虫眼鏡は、文字を拡大するためのものだったのである。
 確かに、星の数ほどいる占い師の中には本物もいるだろう。
 だが、占いなんて大概は、こんなもの、なのだと思うのだが・・・如何だろうか。


1999. 6. 5.

 6月に入って、どうやら関東も梅雨入りしたようだ。これからしばらくは、雨の季節。宮部さんではないけれど、『6月は名ばかりの月』なのである。梅雨=雨続き=鬱陶しい、と結びついてしまいがちだけれど、植物には絶対に必要なことだし、この時期に雨が降らなければ、夏になって水不足に悩むことになる。鬱陶しいと言ってしまうのは、人間の勝手でしかない。梅雨が明ければ、暑い夏がやってくる。この時期に、木々は確実にその葉の色を濃くする。しばらくは、雨を眺めて、『花の色は うつりにけりな いたづらに・・・』とかなんとか、呟いていようか。


1999. 5. 6.

 日本画家の東山魁夷さんがお亡くなりになりました。
日本を代表する、そして心に焼き付く絵をお描きになる方でした。
享年90歳。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


1999. 5. 4.

 榎木洋子先生公式HP守龍亭のオフ。
オフの話が出始めたばかりの頃は、確か5〜6人だったはずなのだが、話が本決まりになって日取りやら何やらが決まった途端、いつの間にやら参加者が増えて、最終的には総勢17名!幹事さんは場所探しにかなり苦労なさったらしい。(あたりまえか・苦笑)
 話して、なかなか入手できないレアものを読ませて貰って、お茶して、食べて、歌って(笑)。楽しい1日でありました(^^)。
 個人的に、翠條さんにお会いできたのが嬉しかったなぁ♪


1999. 5. 1. 横浜中華街オフ

 兼ねてから「やりたいね〜」と話題になっていた『横浜中華街食べ歩き』が、ももんがさんの上京にあわせて実現することとなった。ももんがさんの掲示板とここの多事拾遺で参加者を募って、集まったのがももんがさん、梶原さん、にのらさん、たさかさん、ベニスズメさん、芙蓉さん、睦月さん、祐さん、に、私の総勢9人。大所帯になったので、慌てて店を決め予約を入れて、横浜中華街オフの決行である。

 待ち合わせは、5月1日11時、JR石川町中華街側改札前。直前の、多事拾遺での私の威しが効いたのか(『店に予約を入れてあるので、11時15分を過ぎたらおいて行きます』と宣言してあった。←鬼)、11時15分には全員集合。実はここで、ももんがさんに『スークは誰だ』の謎かけをして遊ぼうと思っていたのだが、早速睦月ちゃんが名乗ってしまい、選択肢が絞られてしまった。だが、後で訊いたら、ももんがさんはこの時点で実は誰が誰だか見当がついていたらしい。『文章は、人を表す』、かな?

 西門から善隣門を抜け、色々眺めながら、予約を取ってある菜香新館へと向かう。飲茶コースは、前菜からスープ、デザートに至るまで、全7品で3000円。量はたっぷりで、美味だった。(たっぷり過ぎて、私達の分の料理がちょっと余ってしまったのだが、これは全員の総意とお店のおじさんの声援を受けて、にのらくんの胃袋へと消えた。)

 菜香を出て、ひとまず関帝廟へ回り、そこから山下公園へ向かう。山下公園では、海をバックに怪しい話題が・・・。私は直接会話に参加してはいなかったのだが、どうやら『食材』の話になっていたらしい。それも、「4つ足のものは椅子以外は食う」だの「げてものは・・・」だのいう話題。カモメから派生していったらしいのだが・・・どこをどうすればカモメからそんな話題に流れて行くのか、今持って謎である。その後は、マリンタワーへ。展望台に上るか上らないかでちょっと悩んだが、ひとまず土産物ショップを冷やかしに行く。ここでの出色は、『赤い靴下』。『赤い靴』にひっかけたのだろう、白地に赤で、まさしく女の子が白いソックスに赤い靴を履いているような模様を織りだしてある。まあ、そこまでは良いのだが・・・笑えることに、これに『大人用』まであったのである。果たして『大人用赤い靴下』の需要があるのかないのか。誰か、「買った」人を知っていたら、教えて下さい(笑)。

 そろそろ喉が乾いてきたので、中華街で土産物をゲットしてからひとまず石川町の駅へ向かう。が、そこまでの道に、思わぬツボが転がっていた。途中の高校で、ブラスバンドが練習をしていたのだ。最初は普通のマーチだったのだが、曲目が変わった途端、「だん、だだだだん、だだだだん、だだだだだだだだだ・・・」と、えらく聞き覚えのあるベース音が。勘の良い方はお気づきだろうか。そう。かの有名な『ああ、人生に涙あり』。水戸黄門のテーマ曲である。更に続いて、何と『大岡越前』。なかなかスバラシイ選曲であった。お陰で、そこから駅までの道すがら、時代劇の話題に花が咲いた。

 石川町から元町へ向かい、お茶をしながらまた1時間ほどおしゃべり。本の話にテレビの話、色々とここでもまた話に花が咲いた。そこを出て、さあどうしよう、となったのだが、時間も半端だし(夕方の6時前だった)、みんなそれぞれ帰路に時間がかかるし、ということで、石川町で解散。結局、歩き倒した1日であった。


 

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