2011年3月の私淑言

 


2011. 3. 31 さよならズームイン

『ズームイン!! SUPER』が最終回を迎えた。
『ズームイン! 朝』の頃から数えて32年続いた日テレ朝の情報番組。
子供の頃は「グッモーニーン!!」と迫って来るウィッキーさんに追い掛け回されるのが実は密かな夢だった。
なんとなく朝はずっとこの番組を見て、今まで来た。
さよなら、そしてありがとう。

 

>影村さん
ご心配ありがとうございます! 猫も私も無事です。
被災地はまだまだ大変そうで、心が痛む毎日ですが、東京埼玉近辺はもうだいぶん落ち着いて、品不足も徐々に解消されつつあります。
次にお会い出来るのはいつでしょうね? 楽しみにしています。

 


2011. 3. 28

東京で桜が開花。
月はじめにはもう少し早いとの予想が出ていたので、なんとなく遅めに思えたのだが、実はこれで平年並みだそうだ。
身の回りでは段々日常が戻りつつあるとはいえ、まだあの大地震の爪痕は生々しい。
今年ばかりは墨染めに、と、ふと呟く春である。

 


2011. 3. 27

計画停電もなく、季節外れに寒い以外は比較的おだやかな週末。
そう言える幸せを思いながら、猫団子に目を細めている。
たとえ寒さ対策の膝掛けを猫たちに奪われていようとも、君らが気持ち良さそうならそれでいいです下僕は……orz

 


2011. 3. 26

あれから2週間が過ぎた。
計画停電も、初日の混乱はあったものの、以後は比較的落ち着いて、少し明かりの落ちた店内や駅構内、止まったエスカレーターにも、なんとなし、慣れてきた感がある。
けれど、他方、福島第一原発の状況は相変わらずまったく余談を許さないし、放射性物質の拡散も心配だ。
被災地や避難所の状況は、少しずつ良くなってきてはいるようだけれど、被害の範囲が広過ぎて、また原発の影響もあって、被害の全体像はまだ把握し切れない。
死者行方不明者は判明しているだけで2万7千を超え、さらに増える見込みだという。
すべて、まだまだ、これから。
せめて、被災地の方々の環境が少しでも良くなることを、祈る。

 


2011. 3. 13

下にも書いたが私も猫たちも無事である。
東北のみならず関東でも長野でも新潟でも地震が起きて、ひっきりなしの余震に、最早、気のせいなのか目眩なのか本当に揺れているのかすら自身が持てなくなっている。
関東の私ですらこれなのだから、震源地近くの方々はいかばかりか。
早く落ち着いてくれることを願う。

余震に関して言えば、一番落ち着いている(というか気にしてない)のが、立待。結構平気で寝ている。
一番敏感なのが居待、次が私。「揺れた?」と思ったらカーテンが揺れるかどうかで地震かそうでないかを確認するのだが、同じ行動を居待が取る。
少し大きな揺れが来た時に逃げ込む先が、布団やソファカバーしか入っていない押し入れの中段で、怪我をする心配がないので、安心して見ていられる。

依然余震は多いし、原発は危険な状態が続いている。
けれど、それらに関して私にできることはない。
だから、確実にできること……「節電」。
ネット上ではエヴァンゲリオンになぞらえて『ヤシマ作戦』が呼び掛けられているので、これに乗っている。
必要電力を確保するために、東京電力では月曜から、関東の150万軒ごとに順番に3時間ずつ停電にする『輪番停電』を、1週間ほど実施する予定だそうだ。

各国からの救援も続々と到着している。
ありがたいことである。

被災地が多いために復旧は困難を極めるだろう。
少しでも役立つように、些少だが募金するつもりでいる。

 


2011. 3. 12

11日14時46分。東日本大地震。
国内観測史上最大のマグニチュード8.8。国内ばかりか世界でも、2004年末に発生したスマトラ沖地震に匹敵する最大規模である。

発生当時は職場にいた。3F。最初は数日前の東北の地震の余震だと思っていた。
次第に大きく激しくなる揺れに、倒れそうなPCやモニタを押さえた。周りに危険物がないのでできたことだ。
5FではモニタやHDが落ちたらしい。同僚達は慌てて机の下に潜ったそうだ。
揺れが収まって、すぐ余震。そして今度は茨城沖でまた大地震。最初はこれも余震だと思っていた。別の地震だと後で知った。
揺れが続くので気味が悪くて、皆で近くの公園に一時退避して。4時を過ぎてから、外出していた社員とも連絡が取れ、ひとまず全員の無事が確認出来たので、「帰れる者、帰る意志のある者は帰る」と決定。
私は、猫の事が心配で、無理をしてでも帰宅すると決め、会社を出た。
東京駅まで歩いて、タクシー待ちの列に並ぶ。待つこと数時間。東京駅では、帰宅を諦め地下街で夜を過ごすことにした方々が、段ボールを敷き、座り込んだり寝転がったり、それでももめ事もなく整然と、いた。女性やお年寄りがひとりでそんな場所でいられるのも、日本だな、と、ふと思った。
23時を過ぎて、動く地下鉄が増えて来て、通勤路線も動き始めたのを知り、地下鉄での帰宅に切り替えた。
帰宅出来たのは日付けもすっかり変わって深夜2時も過ぎた頃。
猫たちは無事か、落ちたものはないか、と心配していたけれど、わずかに位置がずれたものはあったが、特に落ちたものも壊れたものもなく、猫たちも落ち着いていたので、ほっとした。
ウチのマンションの基礎には免震装置が入っているのだが、今回その力を実感した次第。
震度5強でこの状態は見事だと思った。

夜が明けて、テレビで段々明らかになる被害の状況を知り、津波の怖さを思い知る。
ただただ、亡くなった方々の御冥福を祈り、行方不明の方々の無事を祈り、少しでも早い復旧を祈るばかりである。

 


 

 

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