2004年10月の私淑言

 


2004. 10. 28.

23日の新潟中越地震発生以来行方不明になっていた母子3人の車が発見されて、27日午後、92時間ぶりに2歳の男の子が救出された。
車と岩の隙間で、奇跡のように生き延びた。
だが、非常に残念でまた哀しいことに、同乗の母親と3歳の女の子は死亡が確認されてしまった。
これから冬へ向かう被災地で、ストレスや疲労から亡くなる方も多いと聞く。
迅速な支援と、これ以上の被害の阻止と、少しでも早い復興を心から願う。

 


2004. 10. 27.

イラクでまた日本人が拉致された。
ニュージーランドでのワーキングホリデー中だったはずの24歳。
再三の制止にも耳を貸さずにイラク入りしたのだという。

言い過ぎだ、とか、非人道的だとか、眉をひそめられ非難されることを承知で、敢えておそらく最も厳しく辛辣で冷徹なことを言う。
今、バカに使う金と時間はない。
自衛隊の撤退も無論、ない。

 


2004. 10. 23〜25.

祐さんと2人で劇団☆新感線の『髑髏城の七人/アオドクロ』観劇。
16時30分に有楽町で待ち合わせ、長丁場に備えてゆっくり無印デリで夕食をとって、店を出ようとした瞬間、新潟中越地震の本震が来た。
その時は歩いていたためあまり「揺れた」という気はせず、ディスプレイのたてる音に驚いて「揺れて、る?」と目を見合わせ「震源どこだろう」と思う程度。が、劇場へ向かうみちすがら、揺れを心配した母から携帯に電話が入り、震源地と震度を知る。
どうしようもないのでそのまま劇場へ赴いた。
芝居自体も、その後の余震の影響もあって20分遅れで開演した『アオドクロ』を見る。

年長チームの『アカドクロ』に対して市川染五郎さん主演の年少チームの『アオドクロ』。
大筋は変わらないが、バカ度が増してアクションも多いし衣装の露出度も大きくダンスも動きが多い。
贋鉄斎が最後の決めどころまでボケ通すのには大笑い。主役が見え切ろうとしてるのにあれって(笑)。
新感線らしく、『アオドクロ』も、バカでバカでバカでバカでカッコイイ男どもと女どもの戦、なのだった。

20分遅れで18時50分に開演したこの芝居。20分の休憩を挟んで、終わってみたら22時30分。
今にはじまったこっちゃないが、相変わらずあり得ない長さである(苦笑)。
それも、見ている間は引き込まれて長さを感じないので、終演後時計を見ると軽いタイムワープ気分を味わえる。

たっぷり堪能して、帰宅したのは日付けが変わる直前。
地震の情報を得ようとテレビを付けて我が目を疑った。
あの短時間で震度6強が3度ってどういうことだ。
ただでさえそれまでの大雨や台風で地盤が弛んでいるところへ、あの地震。揺れに倒壊し、土砂に潰された家々や道路の様子に愕然とした。
25日現在で亡くなった方が25人、怪我をなさった方が2300人を超えるという。避難所生活を強いられる方、断水、停電等に悩む方もまだまだ多いと聞く。
朝夕の冷え込みは厳しい。雨も降っているという。今はだたこれ以上被害が広がらないことを願う。

 


2004. 10. 20. 10個目。

20日13時頃、台風23号が高知県土佐清水市付近に上陸。
今年10個目で、1年の台風上陸数の最多記録をまたひとつ更新した。
10月20日の上陸は、観測史上三番目に遅い記録だとか。
1番遅かったのは1990年、台風28号の11月30日なのだそうだ。
風速15m/秒以上の強風圏内が当初800kmを超え、超大型だったこの台風、高知に上陸した後、大阪からまた再上陸して、現在列島を縦断、北上中だが、強い波や風でまた各地で大きな被害を引き起こしている。
おまけに、なんでも24号が23号と似たようなコースを辿りつつあるとかないとか。

真夏日とか熱帯夜とか台風とか、色々嬉しくない記録を更新した今年だが、もう更新しなくていいから24号!!

 


2004. 10. 16.

翠條さんと2人でスタニスラフ=ブーニン氏のピアノリサイタル鑑賞。
プログラムは

ベートーヴェン
 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57
 ソナタ第21番 ハ長調『ワルトシュタイン』作品53
 (アレグロ・コン・ブリオ/アダージョ・モルト/ロンド)

ドビュッシー
 ベルガマスク組曲(前奏曲/メヌエット/月の光/パスピエ)
 マスク
 喜びの島

アンコールにドビュッシーの『アラベスク』とメンデルスゾーンの『無言歌集より』をそれぞれ抜粋

という構成。

会場がサントリーホールだったので、わざわざ狙って一番安いチケットを申し込んだところ、目論見通りP席が取れて、2人揃って大喜び。
再三言っているが、ここのP席というのはステージ後方に設けられていて、ステージを見下ろす位置に座席があるのだ。そして美味しい事に下手なS席A席よりずっとステージに近い。楽器や演奏者が客席に向けてしつらえられるオーケストラだと味気ないが、ことピアノに関する限り(まあこれも場所にはよるが)演奏者のしぐさのひとつひとつ、運指に足のペダル使いもはっきり見えるという、安くて美味しい席なのである。

猫背ぎみにピアノを弾くブーニンさんの目にも止まらぬ指使いと、そこから生み出される音にひたすら魅了される2時間。
今回ブーニンさんは譜面を一切使わず、ただ1台のピアノと御自身の力量のみで聴衆を酔わせてくれた。

ホールに入る時もらったちらしに心引かれて来年の予定も1つ決定(笑)。
幸せな週末なのだった。

 


2004. 10. 11. 紅葉ツアー・その3

最終日。
惜しみながら宿での最後の朝食を堪能(だって本当に美味しいのだ!)した後、ゆっくり部屋を片付け荷造りをして、チェックアウト時刻ぎりぎりの10時にペンション玄関ホールへ。
そこで私とKさまは当地で朝摘んだものを午後には製品にしているというジャムを購入。
宿の記念アルバムに入れたいという御主人の御希望で、ペンションの飼い犬・ビーグルのモモちゃんと一緒に4人で記念写真を撮って頂く。おしりを向けたモモちゃんとそれを見て笑う女4人の写真が、いずれペンションのアルバムに追加されるに違いない。

チェックアウトの後は、ペンションの駐車場に車を置かせて頂いて、朝日に映えるススキや日に透ける緑、また少し進んだように見える紅葉を眺めながら30分ほど付近を散策。
それからM。さまに、やはり景色を眺めつつ、車で駅まで送って頂いた。
駅構内の売店で土産物を買い、最後の最後まで名残りを惜しんで話をして、12時前の電車に乗る。
線路脇で最後まで手を振って見送って下さったM。さまには、ずっと運転して頂き大変ありがたく、また申し訳なかった。ありがとうございました!

乗り込んだ電車は混んでいたので、4人の座席に1人で座っていた20代後半(?)の男性に相席をお願いした。
が、この御仁がまたネタで(^^;)。
本を読んでいらしたのだが、ふと私の視界の隅を女の子のイラストがかすめたのだ。それも、みょーに見覚えのあるイラストが。
悪いとは思いつつ、そーーーっと横目で読んでいる本を眺めると、やはり覚えのあるキャラ名が。
もちろんタイトルは見えないし、本にはカバーもかかっていたが、その瞬間に判ってしまった。
彼が読んでいた本のシリーズ名 ── 『マリア様がみてる』。
世界は遠いがある意味同類。迂闊な会話は出来ない。
途中車両が連結されて座席が増える駅があるので、丁度彼が眠っているのを良い事に、すかさず車両変更、座席移動。遠慮なく煩悩話を展開出来る環境を確保した我々だった。
電車に乗り込んだ頃から雲が増え始め、東京に帰り着くまでずっと小雨混じりの曇天だったため、さすがの疲れも手伝って、帰りの道中はかなりの時間を寝て過ごす。
15時過ぎ、東京着。
Kさま、Mさまとお別れし、小雨の中、帰宅した。

余談だが、帰宅してみたら電話に母から、9日夕方の着信履歴が残っていた。
こちらからかけてみたら、どうやら台風襲来のニュースを見て、本当に我々がこの旅を決行したのか心配になっていたらしい。結局、電話をかけても私が出ないので、「出発したのか」と思ったようだ。

天気にも恵まれ、紅葉も景色も料理も露天風呂も会話もたっぷり堪能出来た2泊3日。
M。さま、Kさま、Mさまに心より御礼申し上げる。
次回は冬、との企画が持ち上がっているのだが……やるなら行きますよkさま(笑)。

 


2004. 10. 10. 紅葉ツアー・その2

明けて10日。
目覚めた途端に部屋の障子を透かして空の青さが判るほどの、前日の雨が嘘のような晴天。
美味な朝食をゆったりたっぷり頂いて、9時過ぎにまたまたM。さまに運転をお願いして、秋を堪能するツアーに出かけた。

道中朝日にきらめくススキの群生や『咲ける時に咲く』とばかりに咲きそろう夏から秋の草花、一夜明けて進んだ気のする紅葉に感嘆しつつ、まず向かったのは、谷川の流れに侵食された奇岩が見物だという某断崖。
ここは対岸から奇岩を眺めるだけでなく吊り橋で奇岩そのものへ渡れるようになっていて、当然我々も侵食を身近に感じるべく吊り橋を渡った、のだが、これが半端でなくコワかった(^^;)。
なにしろ吊り橋の幅が1m強、それが縦に揺れるのみならず横揺れまでするのである。自分は対向者に道を譲るべく片方に寄って歩いているつもりなのに、横揺れのおかげで足を踏み下ろせばそこは橋の中央だったりする。逆も然り。
それだけでも十分怖いのに、この吊り橋、およそ『手すり』と呼べるものがないのだ。欄干らしきものは確かにあるが、高さはわずか30〜40cm。吊り橋自体を補強するワイヤーもあるにはあるが、それは橋からは遠く手が届かない。うっかりよろけたら場合によっては10数メートル下の川面にコンニチハである。
しかも川の水は台風の影響で増水している。
これまで吊り橋もいくつか渡ったことがあるが、こんなコワい吊り橋は初めてだ……(大汗)。
当然橋のあちこちで悲鳴が上がり、子供の泣き叫ぶ声もする。
今からでも遅くない、かの観光地管理者諸氏にはあの吊り橋の構造に再考をひたすら願いたい。
命の危険すら感じながら吊り橋を渡った向こう側は、水に侵食された岩肌である。えぐれて広い洞穴のようになったところもあれば、幅が50cmほどしかないところもある。
互いに道を譲りながら川面近くまで降りたり開けたところで和んだり、対岸や頭上、遠方の緑や色付き始めた木々を眺め水面を眺め、多少冷や汗をかいたりもしたが、文句無しの『絶景』を楽しんだ。
ここでも土産物屋を冷やかしたが、目を引いたのは焼酎のボトルに詰められた生きたマムシ(当然ボトルの口はしっかりテープで封印済み)。焼酎を直に注いでマムシ酒にする、というシロモノらしいが、買う人が……いるから土産物になってるんだろうなあ、やっぱり…………。

次いで向かったのは、江戸時代の宿場町がそのまま保存されて観光地になっている場所。
道添いに立ち並ぶ、当時そのままの茅葺き屋根を今に残しかつ今現在も民家であるという土産物屋や民宿等を眺め、それぞれに心引かれるものを物色しつつ坂道をのぼって、宿場町の一番の高台にある店で遅めの昼食。
下りの道すがら、上りで目星を付けたものや新たに心引かれたものをそれぞれ買って、のんびり歩きながら宿場町を出た。
ちなみにここでのヒットは砂糖を一切使っていないという豆乳ドーナツ。甘いものの苦手な私でもいけるほど、甘さ控えめで美味だった。

これでこの日の観光ルートは一応終わり、だったのだが、この時点で時刻はまだ14時。宿に戻るには早すぎる。
というわけでM。さまの御提案により予定を一部変更、9日に一度走ったルートを途中まで再び辿り、雨のため散策を諦めた川沿いの小さな公園をそぞろ歩いて、更に同じく9日に走ったルートを今度は逆に辿って、9日には雨とガスであまり見えず、かつ1日で進んで見える紅葉を、今度は沈みかけているがきちんと日の光の中で観賞しながら、ゆっくりと宿に戻った。
が、女4人である。だたでさえかしましい。加えて我々は同じ絆(笑)で結ばれている。
というわけで、紅葉を楽しみながらも車中の会話はまたぞろバカ話満載。
運転手のM。さまが率先して会話を広げていたのもなかなかだが、誰1人止めるどころかむしろ煽っていたのだから、思えば危険なことをしていたものである(^^;)。

あたりまえながら無事宿に帰り着き、テレビをつけてしばしまったり。
18時30分になるのを待って食堂に赴き、絶品料理に舌鼓を打つ。
この宿の夕食は今回これで終わりなので、食べている間は全員無言。ある意味正しい食事の楽しみ方である。この夜出た紫イモのポタージュは、缶詰めかレトルトにでもなっていたなら1ケース買って帰りたいぐらい美味だった。
露天風呂から星が見えないものかと望みをかけたが、夕方から出て来た雲に遮られて無理だったのが心残り。
風呂を使ってからは、前夜と同じく喋って喋って、話し足りないながら、それでも翌日を思ってやはり日付けが変わったすぐ後に布団に入ったのであった。

 


2004. 10. 9. 紅葉ツアー・その1

日本列島に台風22号が接近する中、9日から11日の2泊3日の日程で、Kさま、Mさま、M。さまと4人、一部で人外魔境と呼ばれる土地の秋を堪能するツアーにいってきた。
M。さまは現地にお住まいなので、まず9日10時前にKさま、Mさまと駅で落ち合う。
この時点ではまだ雨も風も普通。鬱陶しいが、歩けないほどではなかった。
車中、乗り換え1回を挟んで各自買い込んだ昼食も途中取りつつ延々喋り倒すこと3時間強、北上するにつれ、また標高が高くなるにつれて車中の気温が冷えて来るのにこれから行く先の気温を思いつつ、辿り着いた高原の駅で、車で迎えに来て下さったM。さまと合流。まず、宿泊予定のペンションへ。
チェックイン時刻の前だったのだが、荷物を預かって下さるというので、何やら用事があったらしくじりじりしながら玄関先で待っていて下さったペンションの奥さんに頼んで玄関先に荷物を置かせてもらい、M。さまの車にふたたび乗り込んで、まだ時期は早いという話だったが、雨に煙る山のせめて紅葉具合を眺めたい、と、標高の高い山の方へと向かった。
つづら折りの山道、雨、そして発生するガス、車内と車外の気温差のために曇るガラスにもめげず窓の外を眺める我々。
さすがに標高が高くなるにつれて木々の色の変化も鮮やかになってきて、雨を押して車を降りた『山の駅』近辺では綺麗なグラデーションを堪能出来た。
冷やかしに入った土産物屋でうっかり緑の甲羅に『福』と書いて臙脂の組み紐をつけた親指の先ほどの小さな亀に魅入られ購入してしまった(ちなみにKさまはこれの色違い、臙脂の甲羅に緑の組み紐の亀を御購入なさった)のは御愛嬌。所詮煩悩の塊である。
18時30分頃から、というペンションの夕食に間に合うように『山の駅』を発ち、戻ったのが18時。
この時点で昼間15〜18度あった気温は既に12度ほどに下がっていて、部屋に当然のように装備されていたファンヒーターを即、点火。少し温まったところで、さすがに気になっていた台風の情報を得ようとテレビをつけ、ニュースを見た、ら。

まず目に飛び込んで来た映像が水につかった渋谷駅前。次いで同様に川のようになった新宿駅前、天井板が抜け落ちて滝のように水の落ちる池袋駅構内、線路が一部水没した麻布十番駅。四ッ谷で線路脇が崩れて中央総武線は一時ストップするし、千葉方面の列車や今後の進路に当たる北陸、東北方面への電車も、東京発着の新幹線も羽田や成田発着の飛行機もストップ。
土砂崩れの危険から避難勧告の出た地域はあるわ、地下での工事中急な水の大量侵入で流されて行方不明になった方までいるわ……
1年の上陸個数をさらに更新する今年9個目の台風かつ関東を襲ったものでは過去最大の勢力(でも950ヘクトパスカルは私に言わせれば「まあ普通」なんだが……)だという22号で、首都圏が大変な事になっていた(滝汗)。

ニュースを見ているうちに食事の時間になったので、一同揃って食堂へ。
前菜のサラダ、スープ、魚料理、肉料理、デザートに飲み物と続く素晴らしく美味なコース料理に舌鼓を打ちつつ、それでも飛び出すのは煩悩にまみれたバカ話。だいたいサラダの色味が赤と緑だったり魚料理のソースが赤と緑の2色だったりするのにいちいちにやける時点で終わっている。
が、食事と会話を楽しんでいた我々の耳に、突然窓の外を吹き荒れる風の音が。
「ヒュー!」だの「ゴーー!」だの「バタン!!」だの、いかにも『嵐』な風雨と音に、その場にいたほぼ全員が「台風が来るんだ……」と、思った。
ところが。「来るんだ」と思った台風は、どうやら30分ほどで通り過ぎてしまったらしい。
おかげで露天風呂にも入ることが出来たのだから良かったのだが、拍子抜けしたのもまた事実。
とりあえず翌日の晴天を願いつつ、ゆっくりお風呂を堪能して、煩悩話に花を咲かせて、日付けが変わったすぐ後に明日に備えて布団に入って、初日の夜は更けたのだった。

 


2004. 10. 7.

6日夜11時40分頃、関東で久々にちょっと大きな地震発生。
我が家あたりの震度は4。
学生の頃震度5を体験して以来、久々に震度3を超えた。
物が落ちたり位置がずれたりといった実害はなかったから良いのだが、関西、東北に続いて今度は関東。浅間山の噴火もまだ続いている。
しばらく前のテレビ番組で言っていた、日本列島が活性化しているというのも、あながち嘘ではない、かもしれない。

 


2004. 10. 4. 記録。

日本時間10月4日、現地時間10月3日、対レンジャーズの今シーズン最終公式戦で、イチローさんの成績は4打数2安打。
メジャーリーグのシーズン最多安打記録を262にのばした。
当然首位打者。
来年からこの人は、自分の記録を塗り替えるためにまた、戦って行くのだろう。

 


2004. 10. 2.

現地時間10月1日、対レンジャーズ戦でイチローさんがメジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した。
これまでの記録は1920年ジョージ=シスラーの1シーズン257本。
シスラーの御息女やお孫さんの見る前で、スタンディングオベーションに包まれて、長く『Untachable record』と言われたこの記録をメジャー4年目で破ったイチローさんに、深い尊敬と讃辞を贈りたい。
いくら言葉を尽くしてもとても足りるものではないけれど。

 


2004. 10. 1.

40年前新幹線が開通し、22年前CDが発売された10月1日。
今年、気象庁富士山測候所が72年の有人観測に終止符を打ち、明日から無人の自動観測に入る。
かつて台風の監視役だった測候所。
勤務した人員700以上、うち観測中の死亡者4名。
1965年に設置された山頂レーダーは1999年に廃止され、外観ドームは体験学習施設となっている。
最後に残っていた4名が1日下山して、長い有人観測に幕が降りる。

 

夜、思いがけず『姫神』のシンセ奏者・星吉昭氏の訃報を知る。
願わくは天上で響け神々の詩。

 


 

 

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