2004. 9. 11.〜13. 怒濤。むしろ波乱万丈。
15日が祥月命日の父親の三回忌のため実家に行って来た。
まず11日。
ド田舎で空港から実家までのアクセスが非常に悪いので、途中まで父方の従姉に迎えに来てもらって、それでも自宅を出てから実家に着くまで延々7時間、相変わらずの長旅である。
やっと辿り着いた実家では法事の準備が始まっていたので当然私も即稼動。
が、いきなり水のトラブルが。
台所の蛇口から水が漏れ始めたのだ。見れば蛇口と水道の根元との継ぎ目が裂けている。
そのままではいつ外れるか判らないのでとりあえずビニールテープで補強して応急処置。なるだけ早く修理してもらおう、ということにして、ひとまずは身内だけの法要を終えた、これが序曲だったのだ。
明けて12日。
法要の本番はこの日の昼なので、11日よりお客も多く、朝からまさしく『おおわらわ』。
水道は前日の応急処置でこわごわながらも使えていたのだが、大工をしている母方の従兄(母の長兄の息子)が、丁度新品の蛇口がひとつ余っているというので交換してもらえることになり、万々歳。
が、水を元から止めて蛇口を交換してもらっている最中に、唯一その『元栓』の在り処を知っている母が、注文していた料理を受け取りに外出したまま、交換が終わっても戻らず、一時水が出なくなって。
結果、当然一同困惑。
水道のメーターがあるところに元栓もあるだろうとお思いだろうが(実際最初は我々もそう思っていたのだが)、私の実家はモーターで地下水を汲み上げているためメーターがないのだ。
まあ、すぐに母が戻って事なきを得、全員で苦笑したのだが、これはまだまだ序の口だった。
その後、11時に旦那寺の住職がいらして祭壇の前でお経を上げてもらい、墓前でもお経を上げてもらう(これが私の地元の習慣)ために、母や私、伯母、従姉他数人を残して集まってくださった方々が先に墓へ。
その先発隊が戻って来たら入れ代わりに私達が墓へ参りに行くことにしていた、ら。
先発隊が三々五々戻って来たので「じゃあ」と出ようとしたら、何やらトイレから呼び声がする。
何事、と思ったら、呼んでいるのは母方の従姉だ。
「誰かいるー?」
「いるけど、なに?」
「トイレのドアが開かないのーーー!」
なんだとぅ!?
築30年を超える家だから各所にガタは来ているのだが、それがいきなり何の前触れもなくこの日この時ここに出た。
どうやらドアノブそのものがイカレたようで、ノブを回しても開かなければ押しても引いても当然開かない。
御住職はじめ、墓から戻って来た人が驚いて目を見開くのにも
「あーすみませんちょっとトラブルでっ! えーあの大丈夫なんで上がってください」
見物されても密かに邪魔で危険なので、顔を引き攣らせながらも精進落としの席をしつらえてある二階へ上がってもらえるように促す。
一方で、閉じ込められた従姉には、外に面した小窓から前述の従兄(閉じ込められている従姉はこの人の姉)がドライバーを渡し、ノブ自体をドアから外そうと試みるも、意思疎通と指示の齟齬により果たせず。
従兄の出した結論が、
「仕方ない。ガラスを割ろう。」(ドアには30x50cmほどのすりガラスがはまっていた)
──マジッすか!?
割って開けたガラス窓から手を突っ込んでどうにかしようという算段らしい。
すぐさま全員に退去命令が出され、ドアの前に新聞紙が敷き詰められて、スパナを持った従兄が
「姉ちゃん、避けてろよ!」
言いざま
──パンッ! パリン!
「きゃーーーっ」
──バン!! パリパリパリ!!
「きゃあーーーーーっ!」
それでもドアは開かず、最終手段でドアの隙間をドライバーその他でこじあけて広げ、内側から従姉に蹴って破壊させることに決定。
「よし、今だ蹴れ!」
ダン!
「もっと!」
ダンダン!!
「もっと強く!」
──ダンッ!! バキバキ。
従姉、脱出成功。
壊れたドアノブを付けておくのも危険なので取り外して応急処置で引き手をつけ、割ったガラスの後にはまたまた応急処置で破ったカレンダーを張り付けて、ドアは事実上半壊ながら一件落着を一応見た。
が。まだこの後があったのだ。
後発部隊として私と前述の従姉、伯母の4人で墓参りに出たら、墓前に到着した途端大雨。
「散々だね」と苦笑しながら足下ずぶ濡れで実家に戻って、徐々に帰途に着くお客を見送り、宴席の片づけをあらかた終えて、一段落したところで、最後の方まで残ってくれていた(でも最後ではなかった)レスキュー従兄(笑)夫婦も帰るという。
ので、「二度ある事は三度あるっていうから気を付けてねー」と冗談半分で言いながら見送りに出ようとしていたら、先に外にいた母が慌てて戻って来て玄関で。
「ちょっと早く来て大変よあの子達の車のタイヤが溝へ落ちたわ!!」
──そう来るか!!(脱力)
慌てて走って見に行ってみれば、車の左前輪が側溝へ見事に落ちている。
幸いギアをバックに入れてアクセルを踏んだら簡単に落ちたタイヤも上がったのでさしたる被害はなかったのだが、連発するトラブルにもう一同笑うしかない。
絶対に忘れられない三回忌になった。
……いや、まあ、水道や脱輪はともかくトイレのドアだけは、母ひとりの時にそうなるよりはこの日なっといて良かったんだが。
でもって、13日。
午後早い飛行機で東京に戻ることにしていたのだが、前日の宴席でなんとその便が会議に出席するため東京へ飛ぶという御住職と同じだというのが発覚。
「丁度いいから空港まで乗って行く?」
との御住職のお言葉にありがたく甘えさせていただいて、途中で合流なさった別の寺の御住職と3人で、空港までの2時間半を非常に快適に過ごさせていただいた。
……それにしても。
なんだろうかたった2泊3日でこのネタの数。
間違いなく、今後親族が集う度に、ずっと、きっと、話題にのぼる。
次の父の法要は七年忌だが
次はもうこんなネタはいいから、父!!
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