2004年9月の私淑言

 


2004. 9. 30.

29日に日本列島を横切った台風21号。
これで今年8個目で、記録をまた更新。
重なったせいか被害も増えて16人が亡くなり11人がまだ不明とか。
他方東京は30日に最高気温30度を突破して、これで今年70日目の真夏日になった。

こんな記録、更新されてもちっとも嬉しくない。
不明な方々の無事と、亡くなった方々の御冥福と、被害を受けた方々の1日も早い復旧を願ってやまない。

 


2004. 9. 27.

今季限りで合併・統合が決定しているオリックスと近鉄の、今日が直接対決の公式最終試合。
結果は2対7でオリックスが勝利して、近鉄は全12球団中ただひとつ、日本一を経験しないまま、日本プロ野球史上からその名を消す。
他方、ストライキが決行された2試合の再試合はしないそうで、今年は例年より2試合少ない中で各賞が決定されることになる。
さらに言えば、新球団設立に名乗りを上げたライブドアと楽天は何故か同じ東北は宮城を本拠地に指定して争う構えを見せている。

海の向こうではイチローさんが、大リーグの1シーズン最多安打記録を84年ぶりに破ろうとしているというのに、何をやってる日本プロ野球人?

 


2004. 9. 17.

タイムリミットの夕方5時を大幅に過ぎての交渉の結果、この週末のプロ野球の、史上初のストライキが決定されたようである。
確かにオーナー側も不誠実で不条理ではある。
突然合併話を持ち出された選手達の気持ちも判る。
が、週末である。まして連休である。
遠方から野球観戦を楽しみに球場に出かけるはずだった方々も少なくないだろう。
ストライキの代替試合はしないという話だから、現在首位にいるチームの選手監督、ファン、その他関係者にしてみれば、このまま優勝しても実感は薄れるのではないだろうか。
以前アメリカメジャーリーグが長期のストライキを決行した時、翌年の人気は急下降した。
史上初のストライキ、さて吉と出るか凶と出るか。

 


2004. 9. 11.〜13. 怒濤。むしろ波乱万丈。

15日が祥月命日の父親の三回忌のため実家に行って来た。

まず11日。
ド田舎で空港から実家までのアクセスが非常に悪いので、途中まで父方の従姉に迎えに来てもらって、それでも自宅を出てから実家に着くまで延々7時間、相変わらずの長旅である。
やっと辿り着いた実家では法事の準備が始まっていたので当然私も即稼動。
が、いきなり水のトラブルが。
台所の蛇口から水が漏れ始めたのだ。見れば蛇口と水道の根元との継ぎ目が裂けている。
そのままではいつ外れるか判らないのでとりあえずビニールテープで補強して応急処置。なるだけ早く修理してもらおう、ということにして、ひとまずは身内だけの法要を終えた、これが序曲だったのだ。

明けて12日。
法要の本番はこの日の昼なので、11日よりお客も多く、朝からまさしく『おおわらわ』。
水道は前日の応急処置でこわごわながらも使えていたのだが、大工をしている母方の従兄(母の長兄の息子)が、丁度新品の蛇口がひとつ余っているというので交換してもらえることになり、万々歳。
が、水を元から止めて蛇口を交換してもらっている最中に、唯一その『元栓』の在り処を知っている母が、注文していた料理を受け取りに外出したまま、交換が終わっても戻らず、一時水が出なくなって。
結果、当然一同困惑。
水道のメーターがあるところに元栓もあるだろうとお思いだろうが(実際最初は我々もそう思っていたのだが)、私の実家はモーターで地下水を汲み上げているためメーターがないのだ。
まあ、すぐに母が戻って事なきを得、全員で苦笑したのだが、これはまだまだ序の口だった。
その後、11時に旦那寺の住職がいらして祭壇の前でお経を上げてもらい、墓前でもお経を上げてもらう(これが私の地元の習慣)ために、母や私、伯母、従姉他数人を残して集まってくださった方々が先に墓へ。
その先発隊が戻って来たら入れ代わりに私達が墓へ参りに行くことにしていた、ら。
先発隊が三々五々戻って来たので「じゃあ」と出ようとしたら、何やらトイレから呼び声がする。
何事、と思ったら、呼んでいるのは母方の従姉だ。
「誰かいるー?」
「いるけど、なに?」
「トイレのドアが開かないのーーー!」
なんだとぅ!?
築30年を超える家だから各所にガタは来ているのだが、それがいきなり何の前触れもなくこの日この時ここに出た。
どうやらドアノブそのものがイカレたようで、ノブを回しても開かなければ押しても引いても当然開かない。
御住職はじめ、墓から戻って来た人が驚いて目を見開くのにも
「あーすみませんちょっとトラブルでっ! えーあの大丈夫なんで上がってください」
見物されても密かに邪魔で危険なので、顔を引き攣らせながらも精進落としの席をしつらえてある二階へ上がってもらえるように促す。
一方で、閉じ込められた従姉には、外に面した小窓から前述の従兄(閉じ込められている従姉はこの人の姉)がドライバーを渡し、ノブ自体をドアから外そうと試みるも、意思疎通と指示の齟齬により果たせず。
従兄の出した結論が、
「仕方ない。ガラスを割ろう。」(ドアには30x50cmほどのすりガラスがはまっていた)
──マジッすか!?
割って開けたガラス窓から手を突っ込んでどうにかしようという算段らしい。
すぐさま全員に退去命令が出され、ドアの前に新聞紙が敷き詰められて、スパナを持った従兄が
「姉ちゃん、避けてろよ!」
言いざま
──パンッ! パリン!
「きゃーーーっ」
──バン!! パリパリパリ!!
「きゃあーーーーーっ!」
それでもドアは開かず、最終手段でドアの隙間をドライバーその他でこじあけて広げ、内側から従姉に蹴って破壊させることに決定。
「よし、今だ蹴れ!」
ダン!
「もっと!」
ダンダン!!
「もっと強く!」
──ダンッ!! バキバキ。
従姉、脱出成功。
壊れたドアノブを付けておくのも危険なので取り外して応急処置で引き手をつけ、割ったガラスの後にはまたまた応急処置で破ったカレンダーを張り付けて、ドアは事実上半壊ながら一件落着を一応見た。
が。まだこの後があったのだ。
後発部隊として私と前述の従姉、伯母の4人で墓参りに出たら、墓前に到着した途端大雨。
「散々だね」と苦笑しながら足下ずぶ濡れで実家に戻って、徐々に帰途に着くお客を見送り、宴席の片づけをあらかた終えて、一段落したところで、最後の方まで残ってくれていた(でも最後ではなかった)レスキュー従兄(笑)夫婦も帰るという。
ので、「二度ある事は三度あるっていうから気を付けてねー」と冗談半分で言いながら見送りに出ようとしていたら、先に外にいた母が慌てて戻って来て玄関で。
「ちょっと早く来て大変よあの子達の車のタイヤが溝へ落ちたわ!!
──そう来るか!!(脱力)
慌てて走って見に行ってみれば、車の左前輪が側溝へ見事に落ちている。
幸いギアをバックに入れてアクセルを踏んだら簡単に落ちたタイヤも上がったのでさしたる被害はなかったのだが、連発するトラブルにもう一同笑うしかない。
絶対に忘れられない三回忌になった。
……いや、まあ、水道や脱輪はともかくトイレのドアだけは、母ひとりの時にそうなるよりはこの日なっといて良かったんだが。

でもって、13日。
午後早い飛行機で東京に戻ることにしていたのだが、前日の宴席でなんとその便が会議に出席するため東京へ飛ぶという御住職と同じだというのが発覚。
「丁度いいから空港まで乗って行く?」
との御住職のお言葉にありがたく甘えさせていただいて、途中で合流なさった別の寺の御住職と3人で、空港までの2時間半を非常に快適に過ごさせていただいた。

 

……それにしても。
なんだろうかたった2泊3日でこのネタの数。
間違いなく、今後親族が集う度に、ずっと、きっと、話題にのぼる。
次の父の法要は七年忌だが
次はもうこんなネタはいいから、父!!

 


2004. 9. 10.

『11日以降の9月の土日』で決行予定とされていたプロ野球のストライキは、どうやらこの週末は回避されたようだ。
もともとは選手もファンもほとんど無視で進められている球団統合や1リーグ制への移行に選手会が抗議しての今回の騒動である。
少しでも良い方向へ、と願う、けれど、他のスポーツに比べたら野球ってやっぱり恵まれているんじゃなかろうか、と、ふと思ったりもするこの頃だ。

 


2004. 9. 7.

台風シーズンはまだこれからだというのに9月あたまにして年間台風上陸数の記録更新。
観測開始以来、これまでの記録は1990年と93年の6個だが、7日朝、九州に上陸した18号が今年7個めの台風となった。
が、すぐ後に19号も、関東の南を北上中で、まだ記録を更新しそうな気配がある。
台風の発生件数はとりたてて多いわけでもないが、なにしろ日本にやってくる数が多い。
浅間山が噴火したり、東海や北陸で地震が発生したりと、どうも災害の多い今年。
一体どれだけの台風が上陸するのか、心配なところではある。

 

追記。
7日23時30分現在、相当強い風が吹いている。
雲の流れる方向からしてそろそろ18号本体は秋田や青森の沿岸に達しているのではないかと思うが、風の音が「ゴーーー」を通り越して「ドーーー」と聞こえる。
たまにだが、マンションの建物自体が揺れているような気になる(←気のせいである)。
まるで実家にいるようだ(え?)。
典型的な『風台風』。これから進路にあたる方も、本体が通り過ぎた地域にお住まいの方々も、くれぐれも油断なさらぬように。

 


2004. 9. 4.

気が付けば今月2日で今の家に来て丸2年が経過している。
「まだ2年」とも「もう2年」とも思うこの頃だが、築2年を迎えたウチのマンションで、管理組合主催、希望者参加で自衛消防訓練が、今朝、実施された。
消防車も来て、水消火器での消火器使い方訓練もやらせてくれるという話。参加しない手はない。
というわけで、いそいそと参加希望に○をつけ、朝10時、訓練開始の連絡を待った。
今回、メインは住民の避難ではなく、管理組合理事会役員および防火管理者の方々の通報、消化訓練だったようなので、我々には特に『○○○号室で火災が発生しました。住人の方は、エレベーターを使わず非常階段で避難してください』以外の通報はなく、みんな『降りていいんだよね?』ぐらいの感じでてくてくと非常階段で中庭へ。
実は役に立ちまた面白かったのはここから。
管轄消防署の方々4名が消防車で指導にいらしてくれていたのだが、この方々の話が非常に実用的だったのだ。
消火器の有効用途は表のマークの色で判る(白が通常火災、黄色が油由来、青が電気由来)とか。
消火器の持続時間は1回10秒程だとか、同じ数台の消火器を使うなら1つずつ順番に使うより全部まとめて一気に消火剤をかける方が余程有効だとか。
バックドラフトを警戒しながらの消火方法だとか、炎が身の丈を超えた場合の対処とか(消火剤を噴出させたまま消火器を室内に放置して自分は逃げれば、対流による空気の循環で消火剤が火元に届いて延焼速度を落とすことが出来るらしい)。
消火器で火が消えたと思っても、熾火から再度発火する可能性があるため、完全消火のために必ず消防署に連絡を入れることが肝心だとか。
固定電話からの119なら現場に一番近い最小単位の自治体(区とか市とか)の消防本部へ連絡が行くため、『(○○市)○○、○丁目』で良いけれど、携帯からの場合は、県庁所在地等、携帯の管轄圏内キー局のある市(たとえば埼玉ならまず『さいたま市』)の消防本部へ連絡が入るため、居住市からきちんと通報しないと、別の市の同じ地名の場所へ消防車が行ってしまう可能性がある、だとか。
理由を聞けば納得だし、少し考えれば判ることだが、あらためて現場に携わる方から言われる言葉は重みが違った。
30名ほどだった参加者全員で(子供さんも含めて)消火器の使い方を教えてもらい、実践もさせてもらって、その後は、消防士の方々が乗り付けて来てくださった消防車(化学車だった。)をじっくり見せていただく。
普段滅多に近寄れないものを、触らせてもらって、ドアやシャッターも全部開けて見せていただいて、乗ってもオッケーだったので、子供さんが大喜び。はしごに昇るわ座席に座るわ、親御さんに写真を撮ってもらって非常に嬉しそうだった。ついでに大人も色々質問。気さくに応えてくださって、時間は短かったけれど、とても楽しい訓練だった。

ちなみに、今のはしご車は、だいたい13階ぐらいまでは届いてカバー出来るらしい。参考までに。

 


2004. 9. 3.

ロシア・北オセチア共和国で1日に発生した中学校占拠・人質事件が、日本時間3日夕方、ほとんど最悪に近い急展開を見せた。
特殊部隊の突入、銃撃戦、爆発。
逃げ出して来る人質は上半身裸だったり下着姿だったり。無傷な人が珍しいほど誰もが弱り、血を流して。
絶対に多数の死者がいる、と、画面のこちらでも確信せざるをえない状況で、現地対策本部は人質救出作戦の終了を宣言したそうだ。
当初400人ほどと伝えられていた人質の総数は、けれど、1年生から11年生まで全校生徒900人弱だという中学のほぼ全員が校内に居た『始業式』兼『入学式』の場で事件が発生したのだと聞けば、1000人を軽く超えるという地元住人や各国メディアの証言と当局の発表とのどちらに信憑性があるかは明らかなのではないだろうか。
最終的に犠牲者がどれほどの数にのぼるのか、現時点では定かでない。
加えて、犯人グループの一部は逃走中だという。
『作戦終了』と『無事解決』とは、決してイコールでは結べない。

 


2004. 9. 1.

防災の日。
各地で防災訓練が行われたり、某『ガッ○ン』が防災特集だったり。
そもそも9月1日が防災の日なのは大正12年の関東大震災によるが、この時期の『災害』といえばやはり台風だろう。
先日も16号が日本列島全域を勢力圏内に入れて各地に被害を出しながら通り過ぎたばかりだが、既に18号が発生している。
被害に遭われた方々の心労は推察するしか出来ないが。
私の実家は台風が来れば必ず地名の上がる場所にある。台風の目が通過することもよくある。当然雨量も半端ではなく、暴風も高波も来る。
それでも『実害』が出ることはほとんどない。長年にわたる学習の成果だ。
台風が北上して来ると、コースを読みながら、風雨が強まるに必要な予防措置を取る。具体的に言えば物干竿を下ろしたり、鉢植えを中に入れたり、停電に備えて水を溜めたり早々に雨戸を閉めたり。
はなから降れば豪雨と判っているから、治水も一級。
隣近所や親族が声をかけ、様子を見あいながら、「気が早いけどね」と母は笑う。
地盤が強いことも幸いしてだろうが、私は生まれてこの方生まれ育った地区で台風で亡くなった方を1人も知らない。
全て過去、ほんの数十年の経験を元に培った意識の賜物だろう。
防げない災害は多いが、防げる災害もまた多い。

 

余談だが。
先月、メディア各局が台風崩れの低気圧を熱帯低気圧と言うのに突っ込んだ後、他の局、他の天気予報でもしばらく『そう』だったため、首を傾げていたのだけれど、この17、16号あたりから、その呼称が『温帯低気圧』に戻っている。

ふっふっふ。勝利v(←いや勝ち負けじゃないから自分)

 


 

 

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