2004年8月の私淑言

 


2004. 8. 30.

本日未明、アテネオリンピック閉幕。
「さすが」と皆が頷くメダルあり、「まさか」のどんでん返しのメダルあり、ドーピングも多くて繰り上げがあったり泣いたり笑ったりの2週間。
柔道で叫び体操で泣き競泳で吠え卓球で握りこぶしをつくり、バレーと野球に怒り喜び、女子マラソンでは「後ろー!」とはらはらし。
見ごたえのある試合ばかりで、競技時間が深夜にもかかわらずライブでついつい見てしまった。
体操団体の最終種目鉄棒で、N○Kアナウンサーが叫んだ
『伸身の新月面の描く放物線は栄光への掛け橋だ!』
は、多分この先あの富田のフィニッシュの映像が流れるたびに思い出すだろう名台詞だ。(だいたい何も見ずにここに書けるあたりでもうダメだろう・笑)
日本選手が勝ち取った金メダルの数もメダル総数も結果として過去最多だったこの大会。
課題を数え上げればいくらでも出て来るけれど、それでも、関係者に一番言いたいのは
「ありがとう」。

さて、次は、北京だ。

 


2004. 8. 25.

微妙に寝不足。

原因は言わずと知れた、そしてお仲間は世にいくらでもいることだろう、『アテネ時間』だ。
柔道は決勝はおろか表彰式まできっちり見た。
競泳も同様である。
先日の女子マラソンもスタートからゴール、インタビューまで見届けたし、女子レスリングも気が付けば浜口の3位決定戦まで見ていた。
聞けば主な放送が深夜帯であるにもかかわらず視聴率2桁は当たり前、女子マラソンに至っては最高で約30%をたたき出したそうだ。
熱戦は29日まで。
寝不足な日々はもう少し続く。

 


2004. 8. 22.

アテネでオリンピックが熱いが、甲子園も熱い。
駒大苫小牧(南北海道) vs 済美(愛媛)で行われた今日の決勝戦、スコア10ー13、3時間に及ぶ熱戦を制したのは、南北海道代表の駒大苫小牧だった。
春夏を通じて、高校野球の優勝旗が北海道に渡った事はない。
どころか、奥州白河の関を越えた事もかつてなかった。
初出場で優勝旗をひといきに津軽海峡まで飛び越えさせた駒大苫小牧にも、やはり初出場で春夏連覇を眼前まで引き寄せた済美にも。
言い尽くせない全てを込めて、ただ拍手を贈りたい。

 


2004. 8. 15.

さらに明けて15日。
1日『自分の疲労回復日』が欲しい私はこの日帰宅することにしてある。
同様に帰宅する兄一家の車に便乗させてもらって、午前の内に一路空港へ、向かったまでは良かったが。
あと5分もあれば空港へ着く、という頃になって、いきなり空が暗くなり、ワイパーも効かないほどの土砂降りに。
トランクから荷物を取り出すほんの30秒ほどの間にずぶ濡れになりながら、慌ててアーケードの下に入り込み、慌ただしく兄一家に別れと便乗の礼を告げて空港のロビーへ入る。
濡れたバッグや服をざっと拭っただけでハンカチが絞れるほど濡れる雨である。
そんな突然の悪天候に、空港上空で旋回して着陸の遅れる便が続出。挙げ句、大阪・伊丹から飛んで来た飛行機が、空港上空で着陸を諦めて伊丹に引き返す事態に。
東京便が心配になったけれど、その土砂降りも通り雨だったようで、東京便は羽田の滑走路混雑による遅れが出ただけで無事到着、そして出発。
東京に戻ってみたら最高気温が20度前後で、肌寒さすら覚えた。

 

この15日の涼しさで、14日まで続いた東京の真夏日連続記録が『40』日で途絶えたのだとか。
つい
「39じゃなくて、5x8の40か」
と思ってしまう茶寮主を、意味の判る人は指差して笑ってくれて結構だ。(←自白&自爆)

 


2004. 8. 14.

明けて14日。
朝9時を過ぎて兄一家も到着。
去年の初盆に続いて今年もう1回旦那寺の住職に法要してもらう習慣があるウチの地元。
近しい親族を招いて昼の会食を取り、住職に拝んでもらって、昼間仕事や他の用のあった親族のために夜にもちょっとした宴会をする。
去年はここで従姉ふたりがSM○Pに大はまりしていることが発覚し、久々のマップ仲間同志語り合うチャンスを捉えたふたりが延々3時間もしかも我が家で熱い語りをかましてくれたが、今年は義姉と従兄の奥方とが、何故か使った皿を洗いながら、妊娠・出産経験で盛り上がる(--;)。
その場に居たのは、彼女達ふたりと母、私と、兄。
母は当然経産婦だし、私も一応性別は女なのでそれなりに知識はあるが、間隔2分だの切ったの縫ったの、いくら下の子の時には立ち会い出産をしたとはいっても兄には辛かったことだろう。

その後、子供ふたりを寝かし付けるために早々に寝室へ引き上げる兄夫婦を横目に、私と母はオリンピック観戦。
谷選手、野村選手の優勝を見届けて眠りについた。
おめでとう!!

 


2004. 8. 13.

というわけで帰省。
朝7時前に自宅を出て羽田へ。
飛行機自体には少々滑走路が混雑して離陸が遅れた以外にはさしたる問題もなく、定刻をわずかに過ぎた程度で地元空港に着いたのだが、そこから先が長かった。
タクシーと第3セクターの電車とバスとを乗り継いで実家に行こうとしたのだが、車を持っていない人間にはシビアな田舎、電車とバスの接続が非常に悪く、まっすぐ実家のあたりまで連れていってくれるバスがターミナルから出るのがなんと私がそこに着いた1時間後。20分後に発車する便は、向かう方面は同じでも途中止まりなのである。
その旨母に連絡を入れ、仕方なく1時間ターミナルに付属のショップで時間を潰そうと思っていたら、昼食用のパンを買った直後に母から電話が。
従兄に途中まで迎えに来てもらえるよう話をつけてくれたようで、それなら、と、いそいそと件の途中止まりのバスを待つべくバス停に……向かおうとしてすんでの所で思いとどまった。
東京も暑いが私の出身県も暑いのだ。
湿度も気温も東京よりは低いが、日差しがキツい。
どのぐらいキツいかという証拠をひとつ。
5分前にバス停に赴いた私が遅れて来たバスに乗り込むまでの10分強の間に、昼食用に買い込んだクロワッサンとパンプキンドーナツが『焼き立てほかほか』とPOP付けたくなるぐらいあたたまっていたのだ中まで。一緒に買ったお茶も飲む頃にはぬるかった。
うっかりサンドイッチなんぞを買い込まなかった自分の判断を密かに誉めた。
とりあえずバスに乗り込み、途中で従兄に拾ってもらって、実家に辿り着いたのは午後2時過ぎ。
今回もやっぱり長旅であった。

で、夜。
ベランダに出て眺めれば、久々に見る実家の星空である。
探さなくても天の川が判る。逆に星座の方は、よほど大きな星のある目立つものでないと、さして星座に詳しくない私では星座早見盤がなければ、星がありすぎてどれがどれだか判らない。
楽しみにしていたペルセウス座流星群は、ほんの10分程の間に目の悪い私でも10数個確認出来て、もうそれで満足。
数年前の獅子座流星群が『流星雨』になった時には一体どれほどの流星が見えたのか。
私が『どこでもドア』が欲しいと思うのは、実はこんな時であったりする。

 


2004. 8. 12.

東京、連続38日目の真夏日を記録して、1995年の37日抜いて記録更新。
破られても全然嬉しくない記録だけれど、連続真夏日の期間中の最高気温の平均は95年の方が1度ほど高いらしい。
いずれにしても、
「やれやれ」
と、肩を竦める記録ではある。

 

というところで茶寮主、13日から2泊3日で実家へ帰省してきます。
晴れてくれれば流星群がばっちり見られると思うので、実は結構楽しみだったり。

 


2004. 8. 8.

2日連続で花火。今度は地元市。
市街地での花火大会なので、高度は低く、かつ尺も大きくはないのだが、そこはやはり近さが物を言う。
途中からではあったが、バルコニーに出て夜風に吹かれながらの花火はやはり綺麗。
前夜と違って雲もなく、空もきちんと暗かったため、余計に発色が良く見える。
ついでに、打ち上げ会場のちょうど正面にある、まだ入居の始まっていないタワー型マンションのガラスに、花火が映って見えるおまけもついて、ちょっと味のある花火なのだった。

 


2004. 8. 7.

自宅に前の職場の友人3人(但し内1人は学生時代からのつきあいなので他2人より遥かに長いが)を招いて花火大会鑑賞。
去年も書いたが、隣市の花火大会が自宅リビングから見えるのだ。
6時をめどに集合、としてあったのだが、時間通り集合場所に揃ったのは1人(^^;)。肝心の私も道路が混雑してバスが遅れたため遅刻してしまった。ダメダメ。
駅前のデパートやバス停近くのドラッグストア(以前はスーパーだったのが知らない間に変わっていた!)で食料や飲み物を買い込み、自宅に着くと、もう花火は始まっていた。
とりあえず買って来た食料をちょこちょこつまみつつ、バルコニーから花火を堪能。
が。夕方降った雨のためか、花火が打ち上がる高度にまで、ぶあつーい雨雲が……。
左斜めに半分かけた花火だの、上半分がかけた花火だの、真ん中を雲の帯に遮られて上下しか見えない花火だの、風向きの具合か丁度開いた花火の中央にあたる部分に煙がたまってまるでどこぞの使い捨てカメラのCMのような花火とか、ちょっと珍しいものを見たようには思うが、
やっぱり花火はちゃんと見たいよ!(^^;)
我が家からは見えない仕掛け花火の時間になったり、少し打ち上げに間があいたりすると中の1人が「終わり?」とやけに終わらせたがるのに笑いながら眺めること約1時間半。
結局フィニッシュも○瀬が邪魔しているような中抜けで物足りない気分は残ったものの、風も涼しく楽しい花火鑑賞だった。
その後、ピザを注文したり買い込んで来た食料をつまんだりする間にサッカーアジアカップの決勝が目前に。
結果はとにもかくにも
『おめでとう日本代表!』
なのだが、やはり問題は多々ありまくり。
こんなので北京五輪大丈夫なのか…………?
それからも延々話し続けて、気がつけば午前5時(--;;;)。
いそいそと布団にもぐりこんだ我々の、全員が目覚めて揃ったのが午前11時。
…………酒なんて皆無に等しかったというのになんだろうかこの無茶っぷりは……。

 


2004. 8. 1.

日本近辺に長々と居座った台風10号、四国・中国地方を縦断してやっと日本海へ抜けたようだが、テレビ各局天気予報にどうにも気になる言葉遣いが。
曰く、

「台風10号ですが、日本海側へ抜け、間もなく熱帯低気圧に変わるものと思われます」

 

いつから日本は熱帯になった?

そもそも熱帯低気圧とは、気象庁の気象用語を参照すれば、「熱帯または亜熱帯地方に発生する低気圧の総称」であり、「気象情報等で熱帯低気圧を用いる場合は、台風に満たない、低気圧域内の風力の最大が7以下(17.2m/s(34kt)未満)のものを指す」。
つまり台風の卵である。
熱帯・亜熱帯地方で発生した低気圧が勢力を強めて台風と呼ばれ、北上して温帯の日本付近に来るのであって、それが勢力を弱め低気圧に戻ってもそこが温帯である以上決して『熱帯低気圧』とは呼ばれない。
そういう場合はこう呼ぶのだ。
『温帯低気圧』と。
これは中緯度や高緯度に発生する低気圧で、通常はただ『低気圧』と呼ばれるものだ。
気象庁によればこうなる。
「通常は単に低気圧とするが、台風が温帯低気圧に変わったときなど、その変化を強調する場合に用いる。」

これが1局、1番組の天気予報であったなら、そのコーナー担当者ひとりのボケで済むが、私はこの間違いを少なくとも2局3番組で聞いている。
気象予報士の資格も持たない、ただ台風銀座と称される土地に生まれ育っただけの素人でも判るような、こんな基本的な間違いをしていてどうする、テレビ局。

 


 

 

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