2003年12月の私淑言

 


2003. 12. 30. 迎春仕様

暮れも押し迫って30日。
1日飾りはよろしくないので、自宅玄関に、自転車に、そしてサイトトップにも、正月飾りを飾り付けた。
別段取り立てて豪華なものを飾るわけではないが、それでも真新しい藁の香りはやはり清しい。
伯母から届いた雑煮餅も切り分けて、ちょっとした正月支度の完了である。

今年は我が家に高岡さんと祐さんを迎え、明けて元旦はドラちゃんと睦月ちゃんも加わり、更に翌2日は祐さん、ドラちゃん睦月ちゃんと翠條さんが交代して、賑やかな年末年始を過ごす予定。

日付けが変われば大晦日、更に明ければ2004年。
暗い事の多かった2003年に替わって、来る年が良い年であれば、と願う。

 


2003. 12. 27. 初雪

前夜から降っていた雨は、どうやら夜明け前に雪になったらしい。
朝、リビングの窓から見下ろすと、視界が白く染まっていた。
初雪である。
12月9日だった去年に比べれば結構遅いが、『平年並み』は年明けだそうだから、まあ、それなり、ということだろう。
日陰の雪は午後になっても解けないまま、多分今頃氷になっているのではなかろうか。
この冬の雪は多いか少ないか。
ここに来て一気に冷えた日本列島、スキー場の関係者は胸をなで下ろしているに違いない。

 


2003. 12. 26. 恒例。

世界情勢も国内情勢もウチの会社も色々波乱万丈だった今年も残すところ後数日。
本日26日は仕事納めだ。
午後も遅くなっても会費の徴集がなかったので、今年は忙しくてそれどころじゃないのだろうか、と首を傾げていたのだが。
やっぱりあった。鍋。

待ってましたか?

が、今年は例年ほど派手に料理はしなかった。
1尾買って来たらしい石鯛だかの白身魚を本部長手ずから捌いて身とアラに分け、半身は鍋に、半身は刺身になって、これで2品。もうひとつのコンロにかかる土鍋は鳥鍋。この土鍋2つが回転して、鳥鍋は肉を豚に変えてキムチ鍋に、魚の方には後からアラや余った鶏肉、うどんを足してごった煮状態。
他にクラッカーとチーズ、ハム、クッキー等の乾きものやたくあん、ビールやワインや焼酎にフルーツジュースの飲み物で、ぬくぬくお腹一杯の鍋大会だった。

やっぱり年末はこれがないとv

 


2003. 12. 23. 『クリスマスだからじゃない。』

毎年この時期になると必ず思い出す歌がある。
もう10数年前になるだろう、どこの局だったかすら忘れたが、クリスマスに、2年だけ、ユーミンやサザンといった豪勢なメンバーを集めたスペシャル番組を放送した。
その番組ラストで歌われたのが、この曲。
確かタイトルには『クリスマスだからじゃない』という言葉も入っていたと思うのだが、それすらも定かではない。
売っているものなら探してでも買うし、そもそも当時既に気に入っていたのだから手に入れていたのだが、この曲は番組内だけの企画曲で、シングルカットすらされてない。
当時その番組を見ていた人か、なんらかの形で保存した人しか知らないだろその曲の、メロディとうろ覚えの歌詞を、私は毎年思い出す。
「クリスマスだから言うわけじゃないけど」というフレーズがキーワードのその曲の、1番のラストはこうだ。
「今年の思い出に、すべて君がいる」。

この曲を覚えている人が他にいないか、密かに同士を募りたい茶寮主なのである。

 


2003. 12. 22. 『恐るべきさぬきうどん』第10回

『恐るべきさぬきうどん』第10回。松下。
今回の『松下』は、茹で時間12分の冷凍生麺で、つゆは200mlのお湯で希釈するタイプ。ここも出汁のほどよくきいた、薄味の美味しいつゆである。
麺を食べ、つゆをひとくち飲んで思った。
とても優しい味がする。
麺は決して固いわけではない。でもきちんとこしがある。つゆも、出汁が主張するわけでもとみに薄味なわけでもないが、きちんとうどんに味を添えてくれる。
西の方のうどん屋ならどこででも食べられそうな、でも多分絶対他では食べられない、優しくて美味しい『おうどん』だ。

 


2003. 12. 15.

真面目な話の直後だが。

冷蔵庫を買い替えた。
といっても実際に届いたのは14日の日曜日、更に言えば買ったのは6日の土曜日なのだけれど。
さすがに手持ちの冷蔵庫が年季が入って来たのと、某社製品が小型までノンフロンになったというので見に行って、買い替える事に決めたのだ。
……何故今か、というと、別にボーナス云々じゃなく。
単に年数的にいつ壊れてもおかしくないものを、そのまま使い続けてうっかり夏に昇天されたら目も当てられないからである。
買い替えて少し容量も大きくなった我が家の冷蔵庫だが、それを母や叔母、いとこたちに言うつもりはない。
絶対ない。
…………出来ませんそんなコワいこと(TT)。

 


2003. 12. 14. 「We got him.」

14日午後9時過ぎ。
イラク暫定行政当局のブレマー行政官が、緊急記者会見を開いて、まずひとこと、こう言った。

「Ladies and Gentlemen. We got him.」

「him」とは、他の誰でもない、サダム=フセイン元大統領。
現地時間の13日午後8時半、出身地ティクリートの近郊で、米軍特殊部隊が身柄を拘束したそうだ。

これで、変われば良い。
イラクが、そしてこの混乱が。

 


2003. 12. 12.

日本漢字能力検定協会が公募、集計して発表する『今年の漢字』。
2003年は、全87410人の応募者中20%を超える17709人の票を集めて、『虎』だった。
理由はいわずもがな、星野阪神の快進撃だろう。
北朝鮮拉致被害者の方々が帰国なさった去年は『帰』、同時多発テロが発生した一昨年は『戦』。
一昨年の『戦』などは今年も2位にランクインしたようだが、これも含めて2位以下は3%に満たない得票数だ。
内外に暗い事の多かった年だから、せめて輝いた星と虎を。
「ダメ虎」が「猛虎」になったように、明るいものを、この世界にも。

 


2003. 12. 9. これもまた繰り言。

自衛隊がイラクへ行く。
記者会見でコイズミくんは言ったそうだ。
「武力行使はしない。戦闘行為に参加しない。戦争に行くのではない」
だが、現実に目を向ければ、今のイラクは間違いなく戦地だ。
どれほどコイズミくんが言葉を駆使して「軍隊ではない、戦争に行くのではない」と言おうとも、イラクの人々の目に、そしておそらくは諸外国の目にも、事実上の軍隊だと映るだろう。
人道復興支援だとコイズミくんや永田町のお偉方は言う。国際社会から求められていると。
そうか?
そもそも発端のイラク戦争からして、間違いがありはしないか。
どういう言葉で包もうと、事実はおそらくこれだけだ。
自衛隊は戦地へ行く。
これから彼の地へ送られる方々に、そして今かの地にいる方々に、願うことはこれだけである。

君、死にたもうことなかれ。

 


2003. 12. 7.

7日放送の世界遺産は1時間スペシャルでエベレストだった。
チベット名チョモランマ・神々の母、ネパール名サガルマータ・大空の頭。
よくぞこれを映像にしてくれた、と感謝したいほど美しい映像の、荘厳さと美しさに見とれた。
シェルパがいてこそ登ることの出来る山。
世界の屋根の最高峰。
氷河の後退と泥色の湖、温暖化の影響がここにまで現れている、それが哀しい。

 


2003. 12. 6.

イラクで奥参事官、井之上三等書記官とイラク人運転手が殺害されて、1週間が経つ。
イタリア、スペイン、国連、そして現地人警察官。
決してイラク国民に敵対しているわけでも、したいわけでもない、ただあの国の復興を願うものに対して今、牙が向けられている。
アメリカの戦争終結宣言から7ヶ月。
あの戦時下以上の混迷を見せながら、イラクよ、どこへ行く。

 


2003. 12. 4. 化け狐のひとりごと。

ここから先に綴るのは、「言葉の使い方ってやっぱり難しいな」という、茶寮主の繰り言である。
なので、そういう繰り言を鬱陶しいと思われるならば、どうぞ読まずに飛ばしていただきたい。

 

過日、某所でのチャットの折、流れで私の使った言葉が、意図した以上の強さで先方に響いてしまったらしい。
週末、先方の日記でそれを知り、実は私の方が驚いた。
チャットの流れで使った言葉、とは、これだ。『過ぎる謙遜は嫌味』。
どういう話の流れでか、チャットがいつの間にか極小規模の『謙遜合戦』になっていた。
先方は絵描きさんでいらっしゃる。
御本人は認めたがらないが彼女の絵のファンは多い。私も大好きだ。
その方が、他の方との話の中で、再三、こう仰った。
「私のなんか、下手の横好きです」。
気持ちは判る。
自分の中に、自分だけの物差があって、それで測れば「まだまだ」だと思う、それは絵描きであると字書きであると、何であるとにかかわらず付いて回る感情だろう。
私自身、自分に対して下す評価は大差ない。精進あるのみだと思っている。
が、誉めあうだけでは進歩はないが、謙遜と卑下を言い合っていてもそこから先へは進めない。
他に絵描きさんも何人もいらしたチャットの場でもあったから、話がループしそうになったところで「過ぎる謙遜は嫌みですよ」と、口を挟んだ。
私の側の行動理由はこういう次第であるのだが、先方にはこの言葉が非常に重く届いたらしい。
サイトの閉鎖も考えたという話だから、申し訳ないことである。
けれど、私は自分の言葉を撤回するつもりは、ない。
『先方が』嫌味だというのでは無論ない。ただ『過ぎる謙遜』が、『人に嫌味だと受け取られかねない』と、そう思う。
我が身に置き換えれば、過ぎる謙遜や卑下は、私の綴るものを好きだと言ってくださる方々に対して失礼にあたることもあるかと、そうも思う。
これも『私の』考えであり、言葉では、あるけれど。

『先方』をご存知でここも御覧になる方がどれほどおいでか私は知らない。
先様をご存知でなければこの繰り言も何がなんだか判らないだろうと思う。
そういう方々には、申し訳ない、と、平謝りするばかりである。
ただ、日記を拝見して慌ててメールを差し上げたまま、その後日記にも動きのなかった先方が、少し落ち着かれたようなので、『私の側』も書いておこうかと思った次第。
これで先様との正当性を云々する気など毛頭ない。
これは、あくまでも、『化け狐のひとりごと』、なのである。

 


2003. 12. 1.

非常に稀な事に、季節外れの台風が日本列島に接近している。
12月の台風接近は実に13年ぶり、過去50年に遡っても5回しかない珍事だそうだ。
気温も天気も秋と冬を行ったり来たり、スキー場にはこの時期まだ積雪がなく、オープンできずにいるとも聞く。
これもまた異常気象の1現象か、と、ふと溜め息をつくのだが。

……そんな今日、12月1日午前11時、関東、関西、中部のそれぞれ一部地域で、地上波デジタル放送が開始された。
アナログに比べて画質も音質も格段に良く、どこででもテレビを見ることが出来るようになる可能性を秘めている。
この先ゆっくりと放送区域を広げて、2011年には全てのテレビ放送がデジタルに切り替わることになる。
その頃、そしてその先。
テレビがどういうものになっているのか、今から少しわくわくする。

 


 

 

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