|
2002. 10. 30
読売巨人軍、日本一決定。
ジャイアンツの過去20度にわたる日本一の経験の中で、4連勝での優勝はこれが初めてなのだそうだ。
なにはともあれ、めでたい。
実は先月逝った親父殿は、大の長島ファン、野球ファン、そして巨人ファンだったのだ。
本当は、私の新居に泊まり込んで、新居からドームへ、それこそ日本シリーズでも、観戦に行くのを楽しみにしていた。
親父殿の四十九日の法要は、国体の開会式でもあったけれど、日本シリーズの初戦でもあって。旦那寺の住職の読経のかたわらで、音声を落としてプロ野球中継がテレビ画面に映し出されていたりした。
日本一が決まった今夜、母は父の遺影をテレビの正面に置いて観戦させたそうだ。
いろんな意味で忘れられない親父の秋、そしてスポーツの秋である。
|
2002. 10. 24
夕食を作った後、使ったフライパンを洗おうとして、左手の、小指を除く4本の指で、うっかりフライパン自体の縁を掴んでしまった。
ほんの数分前に火を消して中身を皿に取ったばかりである。多少冷めてはいても当然熱い。なんたって、うっかり掴んだ瞬間
──ジュッ。
とイヤな音がしたくらいだ。
慌てて流水で冷やしたけれど、そのままでは明らかにヤバい。悪くすると水ぶくれを作ってしまう。
冗談ではない。そんなことになったら夜のネットライフにも昼間の仕事にも思いっ切り支障を来す。
で。考えた。何か使えるモノはないかと。
氷は作ってないから使えない、となると、代替品。
冷凍室を開けて中を睨んで、私が取り出したのは……お弁当に隙間が出来たときのために冷凍してある、カボチャの煮物であったりした。
ラップをかけたまま煮物を握って、冷えて指が痛くなるまで数分。
結果、私の左手は、凍った煮物が功を奏して、酷い火傷にならずに済んだのだ。
余り物さまさまv
ちなみに火傷の手当に使ったカボチャの煮物は、25日の私の昼のおかずである。
|
2002. 10. 22
今月あたま、台風一過の西の空に、くっきりと黒く富士山が見えた。
先週、空気が澄んでいたのだろう、夕焼けにやはり黒々とした富士山が浮かび上がった。
そして今朝。
雨上がりの朝、ぼんやりと見えた霊峰は、山頂に雪を頂いていた。
富士山が見えるのは空気が澄んでいる証拠である。
そして、これからの季節は寒さの証明、でも、ある。寒いときほど空気が澄むからだ。
これから、この綺麗な山は、姿を見せてくれる度に、白い衣の裾を広げてゆくのだろう。
これも我が家の新しい風物詩だ。
|
2002. 10. 17
気の早い話だが、来年のカレンダーが届いた。
学生時代に出会って以来毎年買い続けている、とある写真家さんの作品集カレンダー。
今年は早々に案内が届いたので、いそいそと申し込んでおいたのだ。
関東ではここ数日夏日が続いていることもあって、
「もう?」
という気がしないでもないが、もう暦は神無月。
今年もあと2ヶ月と少しなんだな、と、届いたカレンダーにふと思った。
|
2002. 10. 13
いつもお世話になっていた、前の住まいの近くの図書館で、登録住所の変更手続きをとってきた。
利用規則に住所要件はないとのことで、馴染みの紅茶専門店もCDショップも化粧品を買う薬局もある場所のこと、どうせ頻繁に行くのだから、と、これからも利用させてもらうことにしたのだ。
にしても、ついでだし安いから、と、足を少し伸ばしてごくごくフツーに野菜を買ったり日用品を買ったり、まるでその街に住んでいるような買い物をして、地下鉄に乗って家に帰るって、それもどうなんだ自分(苦笑)。
|
2002. 10. 12 彼の国の形。
アジア大会が開催されている韓国に、北朝鮮から美女300人が応援団として送り込まれ、現地男性陣の目を釘付けにしているそうだ。
おそらくは国中から集められ、教育されて送り込まれているだろう彼女たちは、会場でも一糸乱れぬ動きで自国選手を応援するパフォーマンスを繰り広げ、宿泊所に戻ってからも、移動手段のバスから降りると、彼女たち目当ての見物人を前にやはり一糸乱れぬダンスなどでパフォーマンスを繰り広げるのであるらしい。
不思議な話だ。
試合に昂奮して、とか、楽しい雰囲気に酔ってとか、負けた試合に不満噴出で、というなら、指先まで揃った動きはない。同じように、誰を見てもほとんど差のない満面の笑みというのもない。
けれど彼女たちは『そう』なのだ。
まだフーリガンの行動の方が理解できる。
イメージアップを狙ったパフォーマンス以外の、きっと彼女たちの行動はなにものでもなくて。
そこに彼の国の形を、見る思いが、する。
|
2002. 10. 6 新居の効能
引っ越して1ヶ月。新居から通勤すること2週間である。
住まいが広くなって過ごしやすくなった。キッチンが広くなって料理の動作が楽になった。通勤時間が少し長くなって起床時間が早くなり、前よりちゃんと朝食を摂るようになった。自宅から最寄り駅までの距離が前より延びて、駅構内の階段も以前の最寄り駅より多くなって、歩く距離が長くなった。自宅からスーパーまでも前より遠くなった。
長所、短所と数えれば、やはりいろいろあるのだけれど。
どうやら、思わぬ効能が、出てきている……ようなのだ。
職場の最寄り駅から職場までが非常に近いために、駅の改札を出てから職場の入り口まで、ほぼ一連の動作で階段を上る感じになるのだが、以前は一息に昇ると多少息切れしていた。
が、通勤距離が延びて歩く時間も延びた今、その息切れしていた階段を、ごく普通に昇り切っている自分がいるのだ。
ひょっとして。
ひょっとすると。
……心肺機能とか脚力とか、多少強くなっていたりするのだろうか……。
もしもそうなら、今度から、
「新居、どう?」
と他人様に訊かれる度に、
「うん、ちょっと健脚になったかも。」
という受け答えも、新居の効能として付け加えるべき、かも、しれない(笑)。
|
2002. 10. 2 気が付けば1ヶ月
いろいろばたばたしたのですっかり忘れていたが、気が付けば新居に移って1ヶ月が経過している。
と、言っても、親父殿のあれこれで実質2週間しか住んでないのだから、実感が湧かなくても当然といえば当然、では、あるのだけれど。
けれど、この短い間でも、新居に馴染むには私にとっては十分だったようで。
記念に、と撮影しておいた、本やCDで一杯ながらそれでもどうにか生活していた前の住まいを、残っていたフィルムをやっと使い切ったので現像に出して『写真』の形で今見ると、
「よくこれで生活出来てたなぁ、俺…………」
と、写真になると奥行きがなくなって見えることを差し引いて考えて、それでもしみじみ思うのだ。
これから先の長い年月を過ごす家。
住む自分が気持ちの良いように、訪れる人が気持ちの良いように。
そんな家に出来るかどうかは、ひとえに私の腕次第だ。
|
2002. 10. 1 すばらしき天然。
少し時期を早くして、この月末に父の四十九日の法要を執り行うというので、飛行機のチケットを取ろうとしたのだが、何があるというのか、ANA、JAL、JASとも丁度取りたい日とその前日がなぜだかもう満席で、慌てて母に電話したのだ。
「マズイ。親父殿の四十九日に飛行機予約しようとしたら全部満席でチケット取れない! 月末なんかあるのそっち?」
焦り気味に言った私に、母は、真顔だろうなというのがありありと判る声で、こんなことを宣った。
「え? 月末? お父さんの四十九日。」
…………母よ。アンタ人の言ったこと、全っ然、聞いてなかっただろう……。
それとも何か、親父殿は四十九日の法要で当日地元乗り入れの飛行機が全部満席になるほどの超絶有名人だったとでも言うつもりか!?
オソロシイことに、これで素なのだ。
『天然ってすげぇ……』
己が母相手に時々つくづくそう思う。
ちなみに四十九日は、新幹線で大阪まで行けばそこから伯父が拾って車で連れて行ってくれるそうで、どうやらそれで事なきを得そうだ。
──どこでもドアが欲しいよドラえもん。(切実)
|