2002年9月の私淑言

 


2002. 9. 24

使っている洗顔料が切れかけたので、仕事帰りに馴染みの薬局に立ち寄ったら、来週から働きに出るのだという若奥さんが、薬局の奥さんと2人、サンプルで色々試しながら化粧品を選んでいた。
面白そうなのと、意見を求められたりもしたのとで、ずっと眺めていたのだが。
「それね、今は丸くつけてあるけど仕事に出る時は縦につけてみて」
と頬紅のつけ方を助言される段になって、
「……縦にって……どう?」
と、若奥さんが困ってしまった。
要は目尻と唇の端を結ぶラインの外側に頬紅をつける、ということなのだが、それを説明した薬局の奥さんの具体例が絶妙だった。
「あのね、デーモン木暮の顔の灰色のとこ!
あまりの判りやすさに、若奥さんと2人して大笑いしてしまった。

あの顔を素顔と仰る閣下だが、ご自分の顔が女性のメイクにそんな形で活用されていようとは、よもや夢にも思うまい。

 


2002. 9. 11〜19 親父を諡る日

昨年来、癌と闘っていた親父殿が、15日の朝、逝った。
11日に帰省してから母と2人病室に泊まり込んで、ほとんど意識のない父を見守る日が続いていたけれど、それも15日の朝で終わった。
心電図が乱れて慌てて呼んだ、病院から30分ほどのところに住む兄と、大阪から父のためにやはり近所の友人宅に泊まり込んでくれていた伯父夫婦の、どちらも間に合わないほど、見る間に呼吸の回数を減らし鼓動を止めた、こう言ってはなんだが早業の最期で、さほど苦しみもせず静かに逝った。
16日の通夜、17日の葬儀、どちらにも、地元に住む従兄が驚くほどの弔問客に来ていただけた上、兄の幼馴染みの札所の住職に、檀家ではないのに読経してもらった父は幸せ者だろう。
18日は諸々の雑事の処理をして、19日に自宅に戻った私だが、これから毎年、9月15日は、私にとっては敬老の日でも老人の日でもなく、親父殿を思う日である。

にしても。
親父の命日は敬老の日、父方の祖母のそれは雛祭りの前日、同じく伯父の1人は2月14日のバレンタインデーで、母方の伯父は地元の神祭。揃いも揃って忘れがたい日に逝って……
なんてぇ人たちだか、まったく(苦笑)。

 


2002. 9. 10

母親から帰還命令が下った。
本格的にヤバそうな今回の召喚。
どのくらいの期間帰省することになるのかまだ判らないけれど、とりあえず掲示板だけ臨時休業にしてゆくのでご了承のほどを。

 


2002. 9. 8

新居に移り住んで実質5日。
やっとなんとか迷わなくなった。
何に、かと言うと。
駅までの道でも近所のスーパーまでの道でも実はなく、己の家の中で、だったりする(自爆)。
別段迷うほど広い家ではないのだが、イマイチ家の中の動線を把握しきれなかったのだ。
必要のない遠回りをしてみたり、どこに何を置いたか忘れて物置を何カ所も開けたり。
洗面所に行こうとして、トイレのドアを何度開けたか(苦笑)。
あとはどれがどこの照明のスイッチかを把握しきれば完璧だ(←まだ覚えきってない・^^;)。
頑張れ、自分!(大笑)

 


2002. 9. 7

4日午後、母に涙声で
「あんた、週末帰るようにしてるって言ってたけど、週末じゃ間に合わないかもしれないわよ」
などと電話でコワいことを宣われて慌てて5日の飛行機に飛び乗ったが、父親の容態、良くないなりに落ち着いているようなので、とりあえず帰宅することにした。
密かに喪服一式持参しての病院行きだったことを思えば、胸をなで下ろすことしきりである。
これで持ち直してくれれば言うことはないのだが、どう転ぶかは、親父殿の踏ん張り次第だ。

 


2002. 9. 2〜4 The 引っ越し その3、+α。

4日。
本日の予定は、市役所に出向いての転入届提出と印鑑登録、それから衣類の片づけである。
市役所までは、バスで5分、歩いて20分、自転車だとこれが10分弱。
後々の買い物のこともあって、だから買った自転車だ。
昔取った杵柄でペダルをこげば、陽射しは多少きついが風は涼しい。荷物が重かろうが道に段差があろうが、苦にならないだけのテクニックは持ち合わせているから平然と走る。手軽な『足』の復活である。
届け出をして、帰りに食料を買い足して。

帰宅した直後、母から電話が飛び込んだ。曰く
「お父さんがあぶない。」
かねてより闘病生活を送っていた父の、力が尽きようとしているらしい。
落ち着く間もなく、明日、午後の飛行機に乗る。

 


2002. 9. 2〜4 The 引っ越し その2。

明けて3日。チェストと、ソファとベッドが届く。
ソファとベッドはちゃんと家具屋が搬入・設置までやってくれたため、私は指示するだけでよかったのだが、チェストを持ってきたのはなんとただの宅配業者。設置どころか、とりあえず部屋まで運んだだけで、梱包も解かずに去ってしまった。去り際、
「あのー……これ、1人で楽に持ち上げられる重さですか……?」
と訊いた私に、宅配のにーさんのくれた台詞がふるっている。
「いや、ちょっと難しいんじゃないですか?」
……ならちょっと手伝ってくれよ、と心で呟いてぬるい笑みを浮かべたけれど、逃げるように帰ろうとするにーさんにすがるのも馬鹿らしく、己でなんとかする覚悟を決めた。
結果は──いっそにーさんがやるよりよっぽど丁寧だったんじゃなかろうか。
が、実は食器がまだ片づいてなかったため、3日はそれに残りの時間を費やし、買い物に出て、ついでに必須の自転車も買って、衣類の整理は4日に回すことに早々に決定。
久々に乗る自転車に、ふと「何年ぶりだろう?」と考えて、高校卒業以来だったことにいささか呆れた引っ越し2日目の午後だった。

 


2002. 9. 2〜4 The 引っ越し その1。

1日。午前は新居でエアコンの据え付けに立ち会い、午後はプロに梱包を頼んであったためエアコンの取り付けが終わったら慌てて自宅に戻って、と、忙しかったが、プロの仕事はさすがである。
食器や本や小物や、衣装ケースから出して運ぶ分の服など、我ながら「どこに置いてあったんだこんなにこの狭い家?」と思うほどのものたちを、4時間ほどで詰めてしまった。
多少ほこりがついたままだったり、「あ、それ捨てます」と言う暇もなくがしがし段ボールに詰め込まれたりと、人柄もあるのか微妙に私の顔のひきつることはあったが、そんなことを気にしていたらとても半日では終わらない、と割り切ればそれまでである。
結果、自分自身は比較的楽な『引っ越し前日』だったのだが、当日はのっけから、業者のトラックが近所のガス工事に阻まれて1時間遅れてやってくる、というトラブル発生。
気温も35度をぶっちぎり、晴れすぎを少々恨みたくなったりもする。
それでもなんとか全ての荷物を2時間でトラックに積み込めば、後に残るのはほぼ10年を過ごした『空っぽ』の部屋である。さすがに感慨深かった。
お陰で新居へと向かう電車の中では、淋しいと嬉しいが入り交じって、なんとも気分はフクザツである。が、それも某さまからの携帯メールでどこかへ消し飛び、『嬉しい楽しい大変』にい一発逆転してしまった(笑)。
そして午後2時。
いよいよ順番待ちしていた私の荷物の搬入が始まる。
梱包もさすがプロの仕事だと思ったが、開梱も「さすが」である。一斉入居の強みで同じ業者から助っ人さんが2人来て、5人で30分で荷物を運び込み、冷蔵庫や洗濯機、テレビを据え付けて帰っていった。
残ったモノはもちろん、自分で片づける段ボールの山である。
さすがについつい溜め息がこぼれたものだが、ベッドもチェストも3日搬入で片づけようにも片づけられない。あっさり割り切った私が、すぐ使うものの次に開けたのが、何を隠そうパソコン関連だった、と、ここでも正直に自己申告しておこう。

ちなみに、9月3日午前0時時点で、実は食器の箱も開いてなかった、と言ったらさすがに呆れられる、のだろうか(笑)。

 


2002. 9. 1 ちゅーか、『明日』。

日付変わって9月1日。
引っ越しまであと……ちゅーか『明日』(^^;)。
梱包も業者に頼んであるのだが、ホントに1日の午後で本とかCDとか食器とか『引っ越しの荷物』になるのか……?
1日から2日へ日付が変わる頃までアクセス出来ればそれに越したことはないけれど、とりあえず無理はしないつもりなので、次の私淑言は新居から、かも。

本人が3D世界で引っ越しをしても、電脳空間のメールアドレスやこの茶寮のURLは変わりませんのでご安心を、みなさま(もっと早く言え自分)。

 


 

 

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